がらくたが芸術になるとき

がらくたが芸術になるとき、それは対照的な二点の距離間にある不透明な異空間が、目の前でつかの間の影をさす瞬間です。

気候の影響や光の屈折により地水面に見る自然現象、蜃気楼。あるはずのないものが目線の先に見えたとき、私たちはまるで異世界へ紛れ込んでしまったかのような不思議な錯覚に陥ります。殺風景な灼熱砂漠に突如出現した巨大彫刻の数々は、まさしくそれを優しく静かに体現しているかのようでした。

カリフォルニア州ロサンゼルスから東へ210㎞。西部劇の背景をそっくりそのまま切り取ったような風景が見られるコロラド砂漠とモハベ砂漠を進んで行くと、ジョシュアツリーと呼ばれる地層や岩山が特徴的な変状地形の地区に入ります。ジョシュアツリーは国立公園、またはキャンプエリアとして人々から親しまれている地区ですが、一歩外へ出ればそこはれっきとした不毛の荒野。見るものといえば、延々と続く砂色の地平線、突き抜けるような真っ青の空、そして、熱い風を受けながら、生存するか息絶えるかを往還する生命の後景ばかり。生と死。南カリフォルニアの大自然が作り出す広大な乾いた大地は、誰の手で荒らされることなく静寂に居座り続けています。

そんな中、突然姿を表す巨大な彫刻の数々は、人々を一瞬にして別世界へと導きます。

広範囲に渡り設置された、錆びついた鉄の表面と白を基調とした作品配色のコントラストが印象的なオブジェの種々は、2004年に他界したアーティスト、ノア・ピュリフォイにより、15年の年月をかけて制作されました。100を越えるこのアートガーデンの作品が、環境と地形を上手く利用したラージスケールのランドアートとして表現されています。

素材としてピュリフォイが使用するものは、タイヤ、鉄骨、古い家具など、リサイクルされたものや、どこかでたまたま見つけてきたような大量生産品の一片ばかり。いわゆる「レディメイド」と呼ばれるアートの手法です。レディメイドといえば、1910年代に勃発したダダイズムの芸術運動から生まれた「ファウンド・オブジェクト(見いだした物体)」を用いて作品を制作するという表現方法を指す言葉ですが、このダダイズムの根源である無意味や虚無感が、ピュリフォイの彫刻のたたずまいに通じていると言ってよいでしょう。

砂漠には、生と死以外は何もありません。このような不毛の土地に立ちいつも体感できることは、空間と空間をブロックするものが何一つ存在せず、目的地やルートを定めずに吹き流れる熱く乾いた風が、皮膚を撫でるように通り過ぎるという即物的な感触。その感覚は、自分の体が自然の一部として認められていながら、それと同時に黙殺の対称ともなりうるような激しい引き合いのものであり、真っ白な壁に赤い点だけが著しく浮き出たようなあからさまの「生」を感じるのです。

ピュリフォイが見つけたがらくたの数々は、彼の手によって荒野の芸術品とし生を見いだしました。しかし同時に、それは廃品から作られ、ナンセンスが概念とされるダダイズムやジャンク・アート(廃物芸術)が持つ反芸術性、つまり無意味なものであると言ってもよいのです。砂漠で生と死が引き合わされるように、ピュリフォイの作品の中では、対照的な概念が摩擦を起こし、そこに発生した熱がニヒリスティックなハイエネルギーを放出しているように感じます。

蜃気楼のようにふわりと現れ、瞬時的に人々を別世界へと引き込み、そしてまた何事も無かったかのように大地へと融和し返るピュリフォイの野外アート。

目撃したものは、具現していたのかもしれないし、すでに遺失したものだったのかもしれません。または、存在や記憶を思い起こさせ、そこに映し出された大量生産社会を象った思想が芸術作品となり得たのか、あるいは単なる廃棄物の集合体にすぎなかったのかもわかりません。

がらくたが芸術になるとき、それは対照的な二点の距離間にある不透明な異空間が、目の前でつかの間の影をさす瞬間です。

Noah Purifoy: Junk DaDa

ノア・ピュリフォイ「ジャンク・ダダ」展

2015年6月7日〜9月27日

参考

ノア・ピュリフォイの野外美術館

Noah Purifoy Foundation

63030 Blair Lane

Joshua Tree, CA 92252

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