普通でもなく特別でもなく

きっと私達は普通も特別も欲しいものなんです。
Japan, Tokyo, business people walking around
Shuji Kobayashi via Getty Images
Japan, Tokyo, business people walking around

私達は特別であることに憧れます。

愛しいあの人の特別な存在になることを夢見たり、

大きなことを成し遂げて世界を変えるような特別な存在になる野望を抱いたり、

自分にしかできないことを求めて特別な才能の開花を望んだり。

でも、現実には。

多くの人が人生経験を積むうちに、

やっぱり自分が特別な存在でもなんでもなく、

とてつもなく普通の人間であることを思い知らされます。

自分ができることは他の誰かが普通に代行することができて、

自分がいなくても世界が何の乱れもなく普通に回ることを知ってしまいます。

私達は普通であることに憧れます。

自分の思うことや考えることが他の人に「おかしい」と言われると落ち込んだり、

やっぱり正直なところ我が子には五体満足に普通に生まれて来てほしいと願ったり、

世に言う「普通の生き方」を大きくそれる生き方には抵抗を感じたり。

でも、現実には。

多くの人が人生経験を積むうちに、

他の人が普通にできてそうなことが、

自分にとってはできなかったり、

他の人が普通に持ってそうなものを、

自分は持ってなかったり。

自分が何かしら普通から離れた位置に居ることを知ってしまいます。

自分が特別な存在になれないと、アイデンティティが確立できずに虚無感を覚えます。

いつまでも自分探しをしてしまいます。

自分が普通の人間になれないと、シンパシーを得られずに孤独感を覚えます。

いつまでも他人を妬んだり疎んだりしてしまいます。

私達はどうしようもなく普通でも特別でもないのです。

でも、私達は普通も特別も欲しいんです。

特別でありたいというのも普通の基準の中で特別であることを意味することが少なくありません。

きれいだとか、性格がいいだとか、仕事ができるだとか、運動ができるだとか。

これら世間で普通に認められている基準の中で特別な存在であることを求めています。

特別だって言っておきながら、どうしても「普通」を意識してしまっています。

普通でありたいというのも特別な基準の中で普通であることを意味することが少なくありません。

生まれや性別や人種や障害の有無などで、差別されることなく普通に扱ってもらえるとか。

これらは世間で特別視されるカテゴリーにされながら普通の存在であることを求めています。

普通だって言っておきながら、どうしても「特別」を意識してしまっています。

一方で、世に認められている普通の基準の中で普通であったり、世に認められていない特別な基準の中で特別であることはあまり好まれません。

だから、やっぱりきっと私達は普通も特別も欲しいものなんです。

「普通」という強大な引力を持つブラックホールに吸い込まれて自分が無になってしまうことを恐れ、「特別」という遠心力が強すぎて他の星の重力圏を離れ宇宙にひとりぼっちになることを怖がる。

太陽を回る地球のように、地球を回る月のように、付かず離れずの丁度良い距離が欲しいんです。

・・・と。

こんな風に、普通でなく特別でもない自分に悩むというのは、私は普通のことだと思うのですが、皆さんにとっては普通のことでしょうか?

それとも、特別なことでしょうか?

P.S.

特にたいした結論があるわけではないのですが。

ちょっとグルグルっと私の頭のなかで回っていたものを言葉にしてみました。

(2015年3月19日「雪見、月見、花見。」より転載)