「デジタルノマド」はもう古い。これからは移住の概念を変える「Roamers」の時代

結局、名前はどうでもいいのです。

どうも、wasabi(wasabi_nomadik)です。

最近「ノマド」とはなにかについてよく考えています。

ブログや翻訳など「デジタル」で仕事をしているノマドワーカーである私は頻繁に「デジタルノマド」という言葉を使っていますが、正直「なんか違うな〜」と感じることがあるんです。なぜなら、もう実はこの言葉、使い古された感があるんです。

日本ではまだ浸透していない言葉ですが、欧州では「デジタルノマド」という言葉はすでに完全にマーケティングされています。デジタルノマド=ビーチで仕事、バカンス、カフェで仕事……などなど、どっちかと言うと「遊び」っぽいイメージが付いています。

そして、デジタルノマドのドキュメンタリーを作っている韓国人ジャーナリストのYoujin Doさん(@youjindo)はすごく重要なことに着目しました。それは、デジタルノマドは「圧倒的に先進国出身の白人シングル男性が多い」ということ。

何が言いたいかと言えば、ある種の「ファッション」なんです。デジタルノマドは、先進国出身のある程度経済的に恵まれた階級の人で、かつその中でもスキルのある人のみがアクセスできる働き方であり、ある種それを「自慢」することでマーケットが成り立っている部分があります。言うならば、高価で手に入りにくいシャネルのバッグを買って人に見せびらかすことで優越感を得る構造と一緒です。

先日、プログラマ―であり”デジタルノマド”である友人とこのことについて話していたのですが、彼が言っていたことがめっちゃ心に刺さったのでシェアします。

「デジタルノマドという言葉はもう使い古された。この働き方は君のような翻訳者や僕のようなプログラマ―だけのものじゃなくて、もっと多くの職業、先進国だけでないもっと多くの国でも可能なことなんだ。言ってみれば、あの市役所で働いている人だってノマドになれる。そして、この働き方は自分の身の周りの小さな問題から世界のあらゆる問題を解決することだってできる。僕たちが証明していくべきなのはビーチで仕事ができてラッキーということではない。これは社会のシステムを変えるもっと根本的な革命なんだ。」

彼がそう言ったとき、思わず握手してしまいました!

ノマドが持つ自由の可能性とは「カフェで働ける自由」だけじゃない

私が考えていたモヤモヤを見事に言語化してくれたと思います。

ちょうど先日こんなツイートを流しましたが、私が共鳴するのは「スタバやビーチで仕事する働き方」ではなく、もっと広い意味での「生き方」なのだと。もちろん、デジタルノマドはその生き方のパイオニアであり、革命的な社会変革の重要な一員を担っていることは間違いありません。

しかし、たとえばとある友人は旅する助産婦になろうとしていますが、デジタルじゃない働き方だってノマドになれるポテンシャルを持っているんですよね。

そして私のこれからの課題は、IT分野の人に限られているような印象を受ける「デジタルノマド」をいかにもっと広く一般的に浸透させてライフスタイルとして提唱していけるか、いかに先進国以外の国の人々にもこのライフスタイルを提唱して世界をフラットにボーダレスにしていけるかです。

それはCM Pathaさんも言っているように「移住の概念を変える21世紀的な生き方」です。つまり、動くのがあたりまえの時代に、動かないことが前提で使われている「移住」という概念はもはや時代遅れだということです。

日本や欧州の先進国でも働き方や人生にかんする問題はいろいろありますが、世の中にはもっと伝統的な価値観との狭間でレベル違いの問題を抱えている場所がたくさんあります。

この彼と会話で自分自身、「デジタルノマド」というブランドにとらわれていたかもしれないと気がつかされました。だからと言って「Roamers」という言葉にこだわるのも本末転倒なわけで、結局最終的に名前はどうでもいいのです。

もっと広い意味でこのノマド的な生き方の革命を証明するため、そしてもっと世界を自由にするために言葉を発信していこうと考えさせられた会話でした。

私のノマド論考は続きます……。

( 2016年8月1日「WSBI」より転載)

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