看護師として、女優の生き方から学ぶこと

仕事と私生活を並列で力をいれるのではなく、力をいれる時期をずらしている。つまり、「直列つなぎ」だ。
TOKYO - MARCH 7: Japanese actress Rie Miyazawa holds a trophy at the Japan Academy Prize 2003 March 7, 2003 in Tokyo, Japan. Miyazawa received the outstanding performance by an actress in a leading role prize. (Photo by Junko Kimura/Getty Images)
TOKYO - MARCH 7: Japanese actress Rie Miyazawa holds a trophy at the Japan Academy Prize 2003 March 7, 2003 in Tokyo, Japan. Miyazawa received the outstanding performance by an actress in a leading role prize. (Photo by Junko Kimura/Getty Images)
Junko Kimura via Getty Images

私は看護大学の3年生だ。高校2年生のとき、初めて自分はどうなりたいか考えた。「困っている人に寄り添うことができるような人になりたい。それを生涯の仕事にしたい。」と思い、看護の道に進むことを決めた。

私の理想はマザー・テレサだ。彼女は「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。」と言う。

彼女は18歳で家を出た。37歳でインドのカルカッタのスラム街に移り住んだ。医療宣教修道女会で訓練を受け、貧しい人のために生涯を捧げた。

マザー・テレサは偉大だ。私の目標だ。ただ、一点だけ彼女を見習いたくないことがある。それは、彼女が結婚していないことだ。私は、看護師として働くとともに、私生活を充実させていきたい。

どうすれば、仕事と私生活の両方を充実させることはできるのだろうか。世間では、ワーク・ライフ・バランスというが、しっくりこない。若い人の歓心を買うため、甘やかしているように聞こえる。

一流の女性は、どうやっているのだろうか?私は、女優に着目した。

女優が活躍する芸能界は実力主義の世界である。看護師と違い、業務独占資格はない。

実力をつけるには時間がかかるだろう。一旦、認められても、さぼっていたらすぐに後進に追い抜かれる。油断できない。一体、一流女優は、どうやって私生活を充実させているのだろうか。

私は、日本アカデミー賞最優秀女優賞の受賞者に着目した。受賞者は誰もが「一流女優」といっていいからだ。

日本アカデミー賞は1978年に始まり、今年、38回目を迎える。これまでに30人が「最優秀主演女優賞」を受賞している。5人が複数回受賞している。詳細は以下だ。

・4回:吉永小百合(「おはん/天国の駅」(1985)、「つる-鶴-/華の乱」(1989)、「長崎ぶらぶら節」(2001)、「北の零年」( 2006))

・3回:松坂慶子(「青春の門/男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」(1982)「蒲田行進曲/道頓堀川」(1983)「死の棘」(1991))

・2回:樹木希林(「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(2008)、「わが母の記」(2013))、大竹しのぶ(「事件」(1979)、「鉄道員(ぽっぽや)」(2000))、宮沢りえ(「たそがれ清兵衛」(2003)「紙の月」(2015))

受賞者の背景をご紹介しよう。その生年は、1911年から1987年と76年間という幅があった。デビュー年齢の中央値は16歳(範囲5歳~25歳)だった。デビューは比較的に早そうだ。

では、彼女たちは、何歳くらいで栄誉ある賞を受賞したのだろうか。受賞年齢の中央値は38歳(範囲は22歳~81歳)だった。デビュー年齢以上に幅が広い。

では、彼女たちは、どうやってキャリアを高めているのだろうか。3人の女優を挙げて、具体的にご説明しよう。宮沢りえと真木よう子と浅野ゆう子だ。

宮沢りえは、1973年に東京都練馬区でオランダ人の父と日本人の母の間に産まれた。11歳で、雑誌モデルとして活動を始める。さらに、14歳で資生堂のCMでテレビデビューし、15歳で「ぼくらの七日間戦争」で映画初主演する。21歳の時に、大相撲の当時関脇だった貴花田との婚約を発表。順風満帆だ。

ところが、ここから試練が始まる。婚約発表からわずか2カ月で婚約解消。自殺未遂。歌舞伎俳優との不倫疑惑。さらに拒食症によるとされる激ヤセもあり、一時期は完全に芸能活動を休止していた。

27歳の時、体調が回復し、活動を再開。28歳の時に主演した香港映画「華の愛・遊園驚夢」で、モスクワ国際映画祭最優秀女優賞を受賞。そして30歳で「たそがれ清兵衛」にてアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞する。その後44歳の時「紙の月」で7年ぶりに映画主演し、日本アカデミー賞最優秀女優賞と、日本人女優では11年ぶりに第27回東京国際映画祭・最優秀女優賞を受賞した。

彼女は若くしてデビューし、その後、挫折する。6年間の雌伏の後、復活した。この期間に大きく成長したのだろう。

次は真木よう子だ。彼女は1982年千葉県印西市に生まれ、4人兄弟の唯一の娘として育った。空手を習ったり、陸上部に所属し、特技はスポーツと男勝りだ。小学2年生の時に安達祐実の「REX恐竜物語」を見て芸能界に入りたいと強く思う。中学3年生のときに両親にそのことを相談するが、父親に猛反対される。結局、16歳のときに女優の道を決意し、倍率200倍の中俳優養成所「無名塾」に入塾。入塾当初から才能が評価され、17歳でデビューしている。

だが、翌年、練習法に関して意見の食い違いがあり、退塾する。その後、苦労したようだ。

彼女が脚光を浴びるのは、デビューから6年を要した。「ベロニカは死ぬことにした」(2005)から始まり、「SP」(2007)、「龍馬伝」(2010)と続き、「さよなら渓谷」(2013)で日本アカデミー賞最優秀女優賞を獲得した。さらに2013年には「そして父になる」で最優秀助演女優賞を受賞。最優秀女優賞と助演女優賞の両方を同時に受賞したのは大竹しのぶ以来35年ぶり2人目である。

彼女の人生は試練の連続だ。デビューするまでに親からの反感があり、その後も養成所との考えの行き違いが生じる。さらに、彼女が大活躍するには、デビューから15年、ヒット作が出てから8年もかかっている。彼女は試練を通じ、どんなに批判されてもあきらめない強い精神力を養っていたのだろう。

最後は浅野ゆう子だ。彼女は1960年に香川県東かがわ市で生まれた。3歳の時に両親が離婚し、親戚の家を母と共に転々とする。神戸市立の中学校に通い、『歌う新人王決定戦』で優勝したことで、アイドル歌手としてデビューする。当時は小柄な女性アイドルが好まれたが日本人離れした長身で、女性からの反撥を受けたこともあり、アイドル歌手としては大成しなかった。20代は水着でキャンペンモデルを行う以外、テレビの仕事は2時間ドラマが年2本程度だった。

彼女の転機は28歳。バブル全盛期に放映された「抱きしめたい!」で、女性から爆発的な人気を得た。さらに、33歳の時に出演した「わが愛の譜・滝廉太郎物語」が大ヒットする。そして、36歳の時に「藏」で日本アカデミー賞最優秀女優賞を受賞。

彼女は、モデルでデビューしても、売れずにいた。だが、女優に転向し成功を収めている。これは、自分が売れる場を模索し、努力した結果なのであろう。

三者に共通するのは、挫折を経験し、そこから這い上がっていることだ。同じ女性として憧れる。

では、彼女たちのプライベートはどうなっているだろうか。宮沢りえも真木よう子も結婚している。結婚時の年齢は21歳と26歳だ。彼女たちは特殊なケースだろうか。また、浅野ゆう子のように結婚していない女優もいる。多忙なスター女優の私生活は一体どうなっているのだろうか。

私が調べたところ、受賞者30名のうち23名の女優が結婚していた。割合にすると77%である。一般女性の結婚率56%であることをふまえると一流女優は結婚している割合が高い。

若い時期から多忙であるのになぜ、一般の人より女優結婚している人の割合が高いのだろうか。女優と一般の人の結婚した年齢に注目してみる。

80年代の女優の結婚平均年齢は33歳、一般女性は25歳である。90年代は女優31歳、一般女性26歳であり、2000年代では女優は33歳、一般の女性は28歳である。どの時代でも一般女性より結婚が遅い。

女優は世間よりも遅くなるが、多くが結婚していた。では、出産・育児はどうなっているだろうか。

まずは、女優の出産だ。今回の調査では、30人の女優のうち16人が出産していた。出産率は53%だ。一般女性の出産率は約62%(平成22年度少子化社会に関する国際意識調査報告書)とされており、若干低いものの遜色ない。スター女優の多くが出産しているのは意外だった。

次に出産年齢だ。第1子出産年齢の平均は女優36歳(26ー40歳)だった。最高は40歳で初産した寺島しのぶだ。一般女性の初産の平均は30.1歳だから(平成23年人口動態統計月報年計(概数)の概況:結果の概要)、出産年齢は6歳も高いことになる。

30代の6年は大きい。35歳以上で妊娠・出産することを高齢出産という。一流女優の多くは高齢出産だ。

高齢出産には、いくつかリスクがある。その一つが流産だ。25歳では15.4%、30歳では15.4%、35歳では20%、40歳では35.4%である(2012年産科婦人科学会ARTデータブック)。35歳以降、急激にリスクが高まる。

もう一つが染色体異常児の増加だ。代表的な先天性染色体異常であるダウン症候群の発症率は30歳では0.11%だが、35歳では0.27%、40歳では0.92%(矢嶋聰.中野仁雄.武谷雄二(2004)NEW 産婦人科学(改訂第2版)株式会社南江堂)と、加齢とともに上昇する。

ただ、これらについては慎重に考える必要がある。40歳でもダウン症のリスクは約1%なので、許容できると考えることも可能だからだ。多くの女優は、このように判断して高齢出産しているのかもしれない。リスクの判断は個人の価値観次第だ。自らが考え、選択しなければならない。

今回の調査を通じて、多くのことがわかった。大女優の多くは、仕事を始める時期が早く、若いときに仕事に打ち込んでいる。そして、一般人よりやや遅く結婚し、高齢出産している。こうやって仕事と私生活の両方を充実させている。

つまり、仕事と私生活を並列で力をいれるのではなく、力をいれる時期をずらしている。つまり、「直列つなぎ」だ。これもワーク・ライフ・バランスの一つの形だ。

女優と看護師の働き方やキャリアアップの方法は異なる。だが、一人の女性の生き方の選択という面では変わりない。私は自立した女性を目指している。これから看護師としてキャリアを積むにあたり、女優達の選択を大いに参考にしたい。

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