二十四節気は太陽の運行をもとに一年を二十四に分けた季節の言葉。
冬至と夏至で二等分し、それを春分と秋分で分けて......
二十四等分すると、一つの節気はほぼ十五日になる。
一年という時間は、ただ単線のように長くて均一に流れていくように思えてしまう。
けれども「十五日」という単位で一年を感じてみたらどうか。
がらりと雰囲気が変わるから面白い。
たった二週間だけれど、それを一つの単位として意識し始めると、世界が確実に変わっていくことに驚かされる。
咲いていた花は散り、別の花が開く。瑞々しかった若葉は色が深くなり、いつしかこんもりと繁る。
背景の色も吹く風の音も漂う香りも、こんなに確実にバトンタッチしていくのか。
同じ景色は二度と無く、目の前の風景は、現れて消えていく。
二十四節気や旧暦関連の本がよく読まれている。
その人気の理由は? 移り変わりを嘆くのではなくて、味わう。
美しいリズムを刻むような暮らし方、遊び方を教えてくれるからだろうか。
もう一つ、二十四節気の言葉の響きにも秘密がありそうだ。
立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑......
季節の美しい言葉に触れてみたい、使ってみたい、書いてみたい。
そう感じている人は結構多いのではないか。
季節は少し前に遡るが、二十四節気を「味わった」私のかけがえのない経験について、紹介したい。
四月の半ば。
二十四節気の「晴明」は天地がすがすがしく、明るい空気に満ちる頃のこと。
久しぶりに母と恵比寿へ食事に出かけた。器が運ばれてきた時、私は思わず「あっ」と小さな声をあげてしまった。
器の中に、ブルーと白の細い線がぐるぐると渦を作るように模様を描いている。
それはまさしく、光の中を流れる清い水。
「清明」の姿がそこにあった。
器には根三つ葉と春キャベツと桜海老のおひたしが、楚々と盛られていた。
シャキシャキ、シャキ。
「歯ごたえがいいわね」と母は顔をほころばせる。
続けて出てきたのは若筍のリゾット。焼き目のついた穂先から春が薫りたつ。
筍の上にちょこんと載った木の芽を噛むと、スウッと冷たい空気が口の中に広がった。
旬を食す喜び。
それぞれの食材が最も美味しい瞬間、かけがえのない一瞬に出会うことができる店。
そう、恵比寿の「丁未坂(ひのとひつじ さか)」の献立は、二週間に一度、二十四節気にあわせて変化していくのだから。
そんなお店のもてなしを、私が心から楽しむことができるようになったのは、茶の湯のおかげに違いない。
「季節が巡る」ことの意味を知った。
それまでただ漠然と流れていた春、夏、秋、冬が、茶の湯の稽古を始めてから、一つ一つ細やかに粒立ち、微妙な色や肌合いをもって現れてきた。
芽を張り始めた柳が、風に揺れる。
笹の葉を、露が飾る。
雁の声が、夜に響く。
氷の上に、梅の花が落ちる。
知らなかった世界のきらめき。
一番の驚きは、私が気付く以前から全く同じ世界がそのまま私を取り巻いていたということだ。
気付かなければ、何も無い。
※東京・恵比寿駅近くにある「丁未坂」は、「二十四節気」をテーマに料理が変わっていく。コースは和とフレンチが自由自在に出る。店主の坂宜則さんは和と洋、両方の料理を学んだ。「でも、旬の食材や季節感をこれほど大事にするのは各国料理の中でおそらく日本料理だけでしょうね」。シメにはぜひ店主自慢の蕎麦を。こだわりの蕎麦粉で打つ、手打ち十割蕎麦の風味が素晴らしい。日本料理の繊細さとフレンチの力強さを組み合わせた、ここにしかないおもてなしに出会うことができる。
(出典 日本経済新聞2014.5.1「プロムナード」を加筆修正)