「原爆投下は正しかったと思う?」米国退役軍人が死ぬ前に私に聞いたこと

原爆投下によって第2次世界大戦は終わったかもしれない。しかし、戦争はいつまでも終わらない。

先月、「『自分のしたことが許せない』原爆開発に関わった患者さんの最期」という記事を書いた。アメリカのホスピスで音楽療法士をしているときに出会った、サムという患者さんのストーリーだ。この記事は、ハフィントンポストアメリカ版、イタリア版、スペイン版、韓国版などに掲載され、さまざまな反響があった。アメリカ人からのコメントの多くは、原爆投下を正当化するものだった。

サムのように原爆開発に関わり罪悪感とともに生きた人や、原爆投下は間違いだったと考えるアメリカ人もたくさんいる。しかし、現在でも大半のアメリカ人が、原爆投下は正しい選択であったと思っていることは、皆さんもご存知だろう。

サムに出会った数年後、ロジャーという93歳の患者さんに出会った。彼は末期の心臓病で、私の勤めるホスピス病棟に入院していた。

ロジャーは第2次世界大戦中、戦闘機の整備員をしていた人で、彼の部屋には戦闘機のモデルが置いてあった。大柄で礼儀正しい彼にはたくさんの友人がいて、面会の人が絶えなかった。

ロジャーは週に一度の音楽療法のセッションを楽しみにしていた。彼の好きな音楽は、ビックバンド。中でも "I'll Be Home for Christmas (クリスマスを我が家で)" が大好きで、クリスマスでなくてもこの曲をリクエストした。

「昔戦争中に流行った曲さ。この曲を聴くと、当時のことを思い出すんだ」

1943年にリリースされたこの曲は、戦争でクリスマスに家族と会えない兵士たちのために作曲された。

ロジャーは戦時中イタリアに派遣されたが、幸いなことに戦地に送られることはなかった。でも、戦争で多くの仲間を失った。3年間家族に会えないことはつらかったが、そんなとき故郷の歌を聴くことが心の支えになった。

ロジャーと出会ってから数ヶ月たったある日、彼はいつものように"I'll Be Home for Christmas"が聞きたいと言った。私がキーボードの伴奏で唄うあいだ、彼はベッドに横たわり、静かに目を閉じて聴いていた。そして曲が終わると、落ち着いた声で話しはじめた。

「日本人である君に聞きたいことがあるんだ。原爆のことだ」

彼の質問は予想外のことだった。それまで私が日本人であることに関して、話題になることは1度もなかったからだ。もしかすると彼は、ずっとこの話をしたかったのかもしれない。

「原爆はひどいことだ。でも、原爆を落とさなければ本土での戦いになって、多くの軍人や日本国民が死んだことは間違いない。だから原爆が投下されて戦争が終わったとき、僕は嬉しかった。だってあのまま戦争が続いていたら、僕だって戦地に送られたかもしれない」

ロジャーは真剣な目で私を見た。

「ユミは、原爆投下が正しかったと思うかい?」

第2次世界大戦は、アメリカで 「Just War(正しい戦争)」と言われる。アメリカが戦争に介入しなければ、ナチスがヨーロッパを支配していたかもしれないし、日本がアジア諸国に進出して大変なことになっていただろう。しかも、アメリカが戦争に突入したのは日本が真珠湾を攻撃したからである。アメリカから仕掛けた戦争ではない。降伏しない日本に対して、原爆は戦争を終わらせるための唯一の手段であった。

正義の戦争を終わらせるための正しい選択。それが、アメリカ人が教えられてきた歴史だ。

「アメリカ人の多くが、原爆投下は正しかったと信じているのは知っています」

「でも君は、正しいとは思わないんだね......」

数週間後、ロジャーの部屋に行くと、テレビからはイラク戦争のニュースが流れていた。ちょうどその頃イラク戦争が悪化していて、テレビではいつも戦争のニュースが報道されていた。

ロジャーはその日、疲れているようだった。私のことに気づいて彼は目を開けた。

「僕が悲しいのは、今でも戦争が続いているっていうことさ。あんなにたくさんの犠牲者がでたのに、それは何のためだったんだ......」

原爆投下によって第2次世界大戦は終わったかもしれない。しかし、戦争はいつまでも終わらない。

どんな状況であれ、どこの国であれ、罪のない人を殺すことを正当化してはならない。それが、私たち日本人が戦後教えられてきたことだ。それを忘れたとき、日本もアメリカのように戦争の絶えない国になるかもしれない。

(「佐藤由美子の音楽療法日記」より転載)

Twitter ID: @YumikoSatoMTBC

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