ある清々しい春の朝、ホスピスは重苦しいムードに包まれていました。その日の朝、新しい患者さんの息子さんが刑務所からお見舞いに来たのです。これが患者さんと息子さんにとってどんなに辛いことだったかを思い、心が沈みました。
米国の囚人は通常、自分の家族が死に近づいている場合、二つの選択肢が与えられます。家族が死ぬ前に会いに行くか、葬儀に出席するかのどちらかです。両方を選択することはできないので、どちらかの選択を迫られます。患者さんの息子さんがホスピスにお見舞いに来たということは、これが最後の別れになるということだったのです。
手錠をかけられ、オレンジ色の囚人服を着て、警察に護衛されながら病気の父親に別れを告げに来た息子さんは、どんな気持ちだったでしょう。とても屈辱的で悲しかったはずです。そして患者さんにとっても、このような形で息子さんと最後の面会をするということは、どんなに辛いことだったでしょう。これは、ホスピスのスタッフやボランティアなど、携わった全ての人々に悲しみをもたらしました。
その患者さんをここでは、ジョンと呼びます。ジョンは、数回にわたって脳梗塞を経験した、55歳の男性でした。ホームケア(ホスピスのスタッフが患者さんの自宅を訪問して、サービスを提供すること)の患者さんでしたが、息子さんが刑務所からお見舞いに来られるように、数日間ホスピスの病棟に入院したのです。
その日の午後部屋を訪ねると、ジョンは窓の外を見ながらベッドに横たわっていました。自己紹介をし、ジョンにいくつか質問をしみて初めて、私は彼が言葉を話せないことに気づきました。脳梗塞が原因で、ジョンは言葉を発する能力を失ってしまったのです。
それでもジョンは、自分がギターを以前弾いていたことを、ジェスチャーで表現してくれました。音楽が聴きたいかどうか質問すると、うなずいたので、私はギターの伴奏で「You're My Sunshine」を歌いました。するとジョンは、涙目になりました。
歌の後、ジョンは、その日の朝の息子さんとの対面について、ジェスチャーで表現し始めたのです。息子さんとは4年ぶりの再会であったこと、対面がいかに辛いものであったか、そして息子さんと抱擁をかわしたことや、言葉は話せなくても心で通じ合ったことなどを教えてくれました。ジョンは、再び息子さんに会えないことを知っていました。話すことができなくても、彼の辛い気持ちは明らかでした。ジョンは泣きながら、一生懸命自分の気持ちを表現したのです。
しばらくしてジョンは泣き止み、テーブルの上の紙を指差しました。その紙には電話番号が書いてあり、その番号に電話をするようにと、ジェスチャーしたのです。電話をかけると、ジョンの奥さんとつながりました。
私が自己紹介をすると奥さんは、「ジョンは本当に音楽が好きなの。今日は彼にとって、本当に大変な一日だったと思うわ。だから、訪問してくれてありがとう」と言いました。
するとジョンは、もう一度私に何かジェスチャーし始め、どうやら奥さんのために私に歌って欲しい、というような内容ではないかと察しました。それを確認のために聞くと、ジョンはうなずいたので、私は彼に受話器を渡しました。するとジョンは不自由な体で、できるだけ受話器を私に近づけたのです。奥さんに歌を聴いて欲しい、という気持ちからだったのだと思います。
ジョンの奥さんに対する愛情は、言葉がなくても伝わってきました。しかしジョンは、もう奥さんに言葉で愛情を表現することは不可能でした。それを考えて、私はエルビス・プレスリーの「Love Me Tender」を選曲しました。そして、ジョンと電話越しに居る奥さんのために、歌いました。
ジョンは曲の間、泣きながら必死に受話器を私の方に向けていました。歌の後、二人にプライバシーが必要だと感じたので、私は一度部屋を出ることにしました。すると、ジョンが奥さんに「I... lo..love... you」 と言ったのがドア越しに聞こえたのです。私はそれまで、またそれ以降も、こんなに一生懸命にこの言葉を言った人を見たことがありません。
しばらくしてジョンの部屋にもどると、彼は微笑んで「Thank you」と口を動かしました。 そして彼は、数日後自宅に帰ったのです。
気持ちを的確に表現する言葉が見つからない場合が、時にはあります。ジョンの場合は言葉が話せなかったわけですから、まさにその通りでした。辛い時にジョンの気持ちを安らげたのは、奥さんへの愛情。「Love Me Tender」の曲が、彼の気持ちを反映したのだと思います。
ジョンとの出会いは忘れられないものです。音楽が言葉にできないものを表現する、ということを教えてくれた人だからです。フランスの詩人、ヴィクトル·ユゴーの言葉を思い出します。「Music expresses that which cannot be put into words and that which cannot remain silent」音楽は、人が言葉で言い表せないこと、しかも黙ってはいられない事柄を表現するという意味です。ジョンとの音楽療法は、まさにその通りだったと思います。
(2013年12月16日「音楽は言葉にできないものを表現する」より転載)