II. 努力をすれば報われる環境にいるのは、ラッキーなことであり、幸せなことだ。
アメリカの大学では、学生団体へ所属するのに書類選考や面接を受けなければいけないことが非常に多い。私は過去2年間、興味を持ったプログラムや学生団体へいくら応募をしても受かったことがなかった。
最初はショックだった。自分の中で培ってきた、こうすれば受かるというやり方が、一歩場所を変えれば効かないということが証明されてしまった。この際、ニッチなところに応募しようと、規模の小さい団体に応募しても、ダメだった。
感覚でいえば、全力でやりたいことに突っ込んでいっては、小指の爪で弾き返されるようだった。そして受けては落ちて、を繰り返すうちに、落胆は怒りへと変わっていった。何がダメなのか。新手の差別なのか。前回の経験を踏まえて変えているつもりなのに、落ち続け、渡米して二年過ぎると、自分に向き合って改善していくことに疲れていった。
色々学ぶうちに、物の見方も変わっていった。目指していた夢の違う面を知り、「あれ、思っていたものと違う」となって、努力の基盤を失った。お金を無視して勉強することなど出来るわけがないので、自分がやっていることは、お金をはたいてまでする価値あることなのかと自分を疑った。
ただ、私はしばらくトライすることをやめなかった。数撃ちゃあたる、というささやかな希望を持ち続け、少なくとも、受動的ではなかった。
それも、鬱になるまでだった。
鬱になったのは、校内10kmマラソンイベントの後だった。学期中の唯一のモチベーションだったし、コツコツ練習をしていたので、走破した時には本当に嬉しかった。しかし、終わったと同時に、心のどこかの糸が切れてしまった。
自分の算段ではとっくに上手く生活しているはずなのに、何一つ思い通りにいっていなかった。そして同時に、家族や自分の周りで様々な変化があったこともあり、居場所がなくなっていく感覚や、人との繋がりが途切れていく感覚が非常にあった。日本の同級生たちがどんどん自分のコミュニティーを築いていく傍ら、自分は暗闇の中にいた。日米両方の相反する考え方が頭の中に芽生え出し、自分で自分がよくわからなくなった。相談したかったけど、経験者が身近にいないので自分の中で堂々巡りだった。また、渡米してから2回も身内の訃報を聞くことがあり、心労も重なった。こんな思いをするために留学したんじゃない、その意味はあったのかと、何度も何度も自分を疑った。
鬱になると、心は鉄の壁を持ったように硬くなった。今まで大好きだったものに興味がなくなり、感動できなくなった。味も、よくわからなくなった。いくら寝ても昼間は凄く眠くて、不意に涙が出そうになったり、夜はとても心細かった。朝は目を開いた瞬間に泣いてしまった日もあった。
ストレス発散にやっていた運動に朝行くのもままならず、自分を押して行ったとしても、リフレッシュできなかった。それでも続けたが、あとは生活も勉強もやるべきことを最低限やって、学期が終わったら秒で日本に帰った。1年生の夏は大好きな旅行に出るエネルギーがあったが、2年の夏は完全なるガス欠状態だった。
帰国中は友達と遊んだりしたけれど、楽しくて嬉しいと同時に、少し辛かった。周りはどんどん変わっていく。インターンに勤しむ友達や、自分の選んだ専攻のコンペや作品に熱を注ぐ人たち。自分は駒を進めてきたつもりでいたのに、いつの間にか周りに追い抜かされた気持ちになって、自分だけが何も見えないトンネルの中を彷徨っている気分だった。
親に相談するにも、泣きすぎて話にならないので、夏の間は大学生活のことを極力考えないように、話さないようにするという暗黙の了解ができた。
結局、日本にいる間は楽しかったが、心の隅ではテキサスに帰ることへの不安がずっと渦巻いていた。考えただけで頭が爆発するんじゃないかという緊張や不安、悲しみ、寂しさ、怒りに襲われ、物凄く、怖かった。
いざ夏が終わり、寮に戻った日には、とても惨めに感じた。
授業が始まってからは、余計なことを考えないようにと自分を忙しくしようとして色々な人に会う予定を入れた。メンタルカウンセラーからアカデミックカウンセラー、留学生支援事務所の人にも会った。
そうしていくうちに、見方が変わり始めた。