診断違いと予期せぬ「がん告知」 - 「忘れられたがん」と闘う舞姫(1)

私の病気は、世界的に「忘れられたがん」と呼ばれる「肉腫(サルコーマ)」という希少がんです。肉腫は、大人のがん全体の中でも1%足らずの患者しかおらず、その1%に50とも80ともいわれる種類が存在します。

「5年生存率7%」

進行がんである私の場合、このように言われる中、2010年2月21日に、おかげさまで「5年生存」を達成することができました。あれから3年が経ち、8年生存もクリアすることができ、今生かしていただいていることに心より感謝をしています。

もちろん、この8年の間には、度重なる再発・転移を繰り返し、11回にもおよぶ手術を含め、壮絶な闘病を経験してきたことは言うまでもありません。

私の病気は、世界的に「忘れられたがん」と呼ばれる「肉腫(サルコーマ)」という希少がんです。

肉腫は、大人のがん全体の中でも1%足らずの患者しかおらず、その1%に50とも80ともいわれる種類が存在します。

最初にがんが発生した部位である原発巣も、骨・筋肉・神経と様々で、血液の流れによって身体中どこにでも再発・転移を繰り返します。

また、肉腫は、がん細胞の目印となる血液中の腫瘍マーカーも見つかっておらず、身体の深部に発生するため画像診断も難しいといった状況。さらに有効な抗がん剤も、ほとんどの肉腫に対して存在しないのが実情です。

このようなことは、この8年の闘病の間に少しずつ理解してきたことで、当初はまったくと言っていいほど、情報もなくわかりませんでした。

私は、筑波大学国際関係学類に在学中に、ミス日本を獲得し、競技ダンス(社交ダンスの競技)のプロとしてもデビューをしました。卒業後は、ダンスの本場イギリスに10年間留学し、世界的に活躍をさせていただきました。現役を引退後は、競技会の審査や司会、そして後進の指導をしています。

そんな時に私は、腹部に激痛が走り、大学病院で診ていただくことになりました。画像診断や血液検査により良性の腫瘍だと診断され、2005年の2月に、腹部の「腹腔鏡手術」を受けました。術中の細胞診でも良性と診断されたため、直径10センチにも成長している腫瘍を、疑いもなく、切り刻んで小さな創部から取り出すという術法を続行しました。

良性腫瘍を取り除いたので、これで大丈夫!と安心して退院し、仕事にも復帰をしました。すると、ある朝、執刀医から自宅へ電話がかかったのです。

「病理検査の結果が出たのですが、もしかしたら悪性かもしれないので、すぐ病院に来てください」

えっ、悪性かもしれない?どういうこと?

私はすぐに病院に向かい、執刀医から説明を受けました。

「さっき電話でお話ししたように、病理検査の結果が出まして・・・悪性だったんです。正式名称は、後腹膜平滑筋肉腫というがんなんです」

「がん」って、どういうこと?「へいかつきんにくしゅ」って、何?

何がなんだかさっぱりわからない、というのが、正直な思いでした。

「良性だと思っていたので、腫瘍を骨盤内で切り刻んでしまったのですが、内視鏡で見える範囲でできるかぎり回収はしました。でも、残っている可能性がありますので、近いうちに開腹手術をして回収したいと思っています。そのあと、抗がん剤を投与します」

悪性だとわからずに切り刻んだ?残っているかも?手術のやり直し?抗がん剤の投与?いろんなことが、頭の中をグルグルと駆けめぐりました。しかし、どうすれば良いのか、全然わかりませんでした。

「最善の方法を話し合っておきますので、一週間後にまた来てください」

「はい、ありがとう・・・ございました」

そう答えるのが、精一杯でした。聞きたいことが山ほどあるような、でも、具体的には何を聞いていいのかわからず、モヤモヤした気持ちと重い足取りで、病院をあとにしたのでした。

のちに、これが私の受けた「がん告知」だったのだと気づきました。

ここから、私と希少がん「肉腫」との闘いが始まることになるのです。

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