一人の学生として、パリ同時多発テロを考えた

私たちは、本当に「全人類」や「人間性」について考えてきたのか...

パリ同時多発テロのあと、Facebookのプロフィール写真に三色旗を重ねることの是非が話題になった。私の友人では、フランスが好きらしい日本人のほかに、留学時に出会ったフランス人、シンガポール人、それにハフィントンポストの編集長といった人々が、プロフィールを三色に変えていた。

この変更をするかどうかは、最終的には個人の経験や考え方次第なので、一つの結論を出すのは難しい。それより、私は、この議論の根源にある疑問について考えたいと思った。つまり、中東の暴力には目をつむってきた人々が、テロの現場がフランスに移った途端にプロフィール写真を三色に染めるのはなぜだ、という疑問について。

犠牲者が出た場所の違いだけで、なぜ世界の反応が全く違うのか、ということをこれほど多くの日本人が考えることは、今まで非常に稀だった。日本が平和なのは当たり前。もしお金と時間があれば、安全で優雅なパリ旅行にも行ける。イラクで戦争があったらしいけど、あまり興味はない。そんな人が多かった気がする。

しかし、三色旗プロフィール写真が話題になったことで、変化があった。多くの人が、「平和な主要国」が「危険な中東」を黙認するという歪んだ構造の存在に、気づき始めたのではないか、と私は思った。

そこで、一人の学生として、この「歪んだ構造」について考えたいと思った。

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アメリカのオバマ大統領は、今回のテロ発生直後、"this is an attack on all of humanity and the universal values we share"と言った。「これは人類全体、そして私たちが共有する普遍的な価値に対する攻撃だ」と。フランスのオランド大統領もまた、"Les actes de Daech en Irak et Syrie sont des crimes contre l'humanité"と言った。「イラクとシリアのダーイシュが行ったことは、人類に対する犯罪だ」と。だが、オバマの言う"all of humanity"、オランドの言う"l'humanité"とは、一体なんだろう?

日本の安倍総理大臣も、アメリカやフランスのリーダーを追うように、17日「卑劣なテロ行為は全人類に対する攻撃であり、我々が共有する価値に対する挑戦です」とFacebookに書いた。"all of humanity"、"l'humanité"、「全人類」。しかし、そんな言葉を使ってよいほど、アメリカ人やフランス人、そして日本人は、「全人類」や「人間性」について深く考えてきたのだろうか?

イラクやアフガニスタンで、アメリカのドローン攻撃に巻き込まれる無辜の人々は、"all of humanity"に含まれないのか? テロの後で始まったフランスのIS空爆が巻き添えにしてしまう、シリアに残された市民は、"l'humanité"の範囲外なのだろうか?

こうした疑問を突き詰めていくと、強大な軍事力を持つ大国が、自分に都合のいいように「平和」や「民主主義」といった言葉を使いながら、紛争地の戦争に介入し、手を貸してきた歴史に行きつく。残念ながら、日本も、その例外とは言えない。

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第二次世界大戦後、核という危険すぎる武器を手に入れた主要戦勝国は、他の大国と直接戦火を交えることを止めた。その代わりに、大国に支援された小国や民族集団が、いわゆる第三世界を舞台に局地戦を戦う事態がしばしば起こった。大国は自国民に平和な生活を提供する一方、第三世界、中でも石油資源の豊かな中東では、自分たちに従順な勢力が優位に立つよう、積極的にてこ入れをした。

日本もまた、戦後、アメリカの「核の傘」に守られながら、経済的な繁栄を享受し、影からアメリカの戦争を支えてきた。ベトナム戦争のとき、日本(内地)はアメリカの後方基地として沖縄を差し出した。沖縄から飛び立ったアメリカの爆撃機は、ベトナムの都市に爆弾の雨を降らせ、ジャングルにダイオキシンの霧を撒いた。

イラク戦争が始まったとき、小泉総理大臣は「米国の武力攻撃を理解し、支持します」と明言して、アメリカの肩を押した。米軍中心の有志連合は、瞬く間にフセイン政権を倒したが、同時に現地の治安をひどく悪化させた。民主化も成功したとは言えず、イラク情勢は混乱を続けて、IS誕生に道をひらいた。

しかし、ベトナム戦争中も、イラク戦争中も、アメリカや日本の国内は至って平和だった。ニューヨークや東京の空から爆弾が降ってきたこともなければ、ロサンゼルスや大阪の道端に地雷が仕掛けられたこともなかった。

戦争の理由となったトンキン湾事件や大量破壊兵器保持の情報は、後になってデタラメだとわかった。しかし、そのことで当時のアメリカ首脳部が裁判にかけられたり、日本の大臣が反省表明を余儀なくされたりしたことはない。国内では平和を享受しながら、第三世界で何をしても、介入した大国は責任を取らされない現実がある。

フランスは、イラク戦争のときアメリカの武力行使に反対した。これは正しい選択だった。それでも、フランスが今日の中東情勢に無関係だとは言えない。あるドキュメンタリー番組によれば、フランスの一部の企業は、他の欧州企業とともにシリアに武器を輸出してきた。紛争地で生まれた人を殺すための需要を、自らの利益に変えてきたのだ。

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戦後、アメリカやフランス、日本といった「主要国」は、危険で都合の悪いものは第三世界に押し付けながら、自国内をなるべく安全で豊かに保ってきた。「平和な主要国」と「危険な中東」。この構造は、もともと不安定だった中東でアフガニスタン紛争やイラク戦争が起きたことで、固定化が決定的になった。

主要国の人々にとっては、「平和」が日常になった。それは、どこかで歪んだ構造に守られた「平和」だったが、大抵の人はそんなことは気にしなかった。私も、つい最近まで、日本の平和は当然のものだと思っていた。

「歪んだ構造」について考えるようになったきっかけは、ベトナム戦争を学んだことだった。大学に入学してから、芥川賞作家・開高健の『輝ける闇』を読み、NHKスペシャル「我々はなぜ戦争をしたのか」のディレクター・東大作氏の授業を受けた私は、超大国アメリカを唯一完全に敗走させた戦い、ベトナム戦争に興味を持った。

去年、一人でベトナムを旅行し、ハノイの戦争証跡博物館を訪れた。そこで、米軍の散布したダイオキシンの影響を受けて生まれた、障害者や奇形児の写真展に衝撃を受けた。まさに言葉を失う、という感じだった。人が、人の形をしていない。思わず、アニメ映画「AKIRA」のクライマックスで、暴走する鉄雄の身体を連想した。彼らが、障害のせいで亡くなったり、今日もあの姿でベトナムに残されていると思うと苦しくなる。アメリカも第三世界ではどれだけ無茶苦茶なことをするか分かったものではない、と思った。

今年になって、学生新聞の取材で、60年代学生運動の元参加者に話を聞く機会があった。当時、東京大学の学生としてベトナム反戦運動や東大紛争に参加していた方で、現在は弁護士をされている。反戦運動の中で友人を亡くしたことが、運動に深く関わるきっかけになった、という。

彼は「ここで黙っていたら何が自分なんだ」という思いから、運動に参加した。ベトナム反戦運動では、「平和」や「民主主義」を謳い文句としながらアメリカの戦争に加担する日本に異を唱え、東大紛争では、職員や研修生に対する差別構造の上に乗りながら、その構造に無自覚なまま自分の研究に没頭する東大教授や研究者の態度に反発した。

やがてベトナム戦争は終わり、ベトナムはアジアの新興国として脚光を浴びるまでに成長した。だが、今も多くの国が「第三世界」の状態に留まる中東に関しては、今日でも彼の問題意識が通じるように思う。それはつまり、自分の存在自体が矛盾の上にあるのではないか、という意識だ。

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「平和な主要国」と「危険な中東」。パリ同時多発テロは、この二つの世界を隔てる壁に穴を空けた。暴力に満ちた中東紛争地域の日常が、テロの形をとって、平和を日常とするフランスの象徴・パリに噴き出した。「フランスで戦後最悪のテロ」によって、主要国の人々、とりわけ9.11とイラク戦争の記憶が薄い若者は衝撃を受けた。そして同時に、「平和な主要国」が「危険な中東」を黙認するという歪んだ構造に、目を向けることになったのではないか。

世界は歪んでいる。ごまかしとダブル・スタンダードに満ちている。今回の事件のあと、Facebookだけでなく、AmazonやYouTubeのサイト、東京タワーなど、至るところに現れた三色旗の向こう側に、私はこの歪みの深淵を見たような気がした。

長い歴史の積み重ねによって生まれた、巨大な「歪んだ構造」を前にして、私たちができることは限られている。世界はこれまでもずっと歪みを抱えてきたし、それはこれからも続くだろう。日本の学生が一人、疑問を表明してみたところで、ほとんど何も変わらないかもしれない。

しかし、安全保障の枠組みが大きく変化しているいま、日本人も国際情勢を無視することはできない。私たち日本人がテロに巻き込まれる日に備えるのならば、国際ニュースの背景に大きな歪みが存在することを、頭の片隅に留めておく必要があるのではないか。そこから目をそらし続けていれば、どこかで人間として大切なものを見失うのではないか。

いつか日本でテロが起きてしまったとき、その構造を見て見ぬふりして、「『人類』を代表するのは私たちであって、奴らは人間ではないから、殺して当然だ」という独善的で攻撃的な考えが日本中に広まることを、私は恐れる。だから、もしこの文章があなたにとって、世界の構造について、あるいは「人類」や「人間性」について考える機会になったのなら、私はうれしい。

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