僕は勇敢な虫の目を持ちたい

自分の頭で何が本当なのか考え、自分の目と耳をひらいて街を歩き、出会った人に質問をぶつけ、また考える。そうした努力が今より重要になるのではないか。

2016年の11月9日。

インターン先に出勤していた僕は、昼食から戻ったあと、パソコンを開いて目を丸くした。

驚いた。本当に、驚いた。

というのも、CNNやBBCなどの海外の有力メディアがみな、アメリカ大統領選について、共和党候補・トランプの優勢を伝えていたからだ。

最初は何かの間違いではないかと思った。小一時間おきのチェックを何度繰り返しても、New York Timesがトランプの勝率を95%以上と表示しているのを見て、やっと現実を受け入れたことを覚えている。

あれから4ヶ月半。

トランプは現実に大統領に就任し、メディアとの激しい批判合戦やイスラム圏の国々からの入国禁止令によって物議を醸しながらも、大統領の地位を守っている。

あれほど激しく知識人やメディアを批判しながら、そして、あれほど劇的に下馬評を覆して選挙に勝った人物を、僕は他に知らない。

選挙当日の夜、テレビカメラの向こうでマイクを握った「報道ステーション」のリポーターが「未知との遭遇」と表現していたとおり、僕たちはいま、これまでとは重要な何かが異なる時代に入りつつあるような気がする。

どれが本当に正しい情報なのかを知るために何をすべきか、考え直さなくてはいけないと感じる。

だから僕は、大学を卒業する前にもう一度、2016年のアメリカ大統領選について考えてみようと思う。

(本記事は説得的に書こうと言葉を重ねるうちに、たいへん長くなってしまったので、「お湯を注いだカップラーメンができあがるまでの間に読んでやろう」という心持ちでアクセスした方は注意されたい)

・・・

僕は東大文学部の学生で、いわゆる高学歴エリートの部類に入る人間だ。両親も大卒で、新聞は朝日、夕食時のテレビはNHK。そういう家庭で育った。

子どもの頃から運動部に入ってはいたものの、特に社交的ではなかった自分にとって、テレビや新聞などのメディア、そして現代社会に関する書籍や教科書は、日常から離れた刺激的な世界について教えてくれる貴重な存在だった。

スマートフォンを使うようになってからは、テレビや新聞、書籍以外の情報源にも目を通すようになったが、自分にとって最も信頼でき、なおかつ興味深い情報を伝えてくれる存在の代表格は、長らくNHKや朝日新聞であり続けた。

そうしたメディアに時おり登場する自分の大学の教授や海外の有名な教授に対しても、敬意や憧れのような感情を抱いていて、学生生活中に彼らの著した学術書や新書をたくさん読んだ。

さらに、大学3年時からは社会学を専攻し、実践も交えつつ社会調査を学んで、4年時には学術書の出版に関わる幸運まで得ることができた。それゆえ、自分の住む社会が今どんな状態にあるのか知ることに、僕は人一倍関心があった。その方法を学ぶ機会を与えてくれた教授たちに敬意を持ったのは、自然なことだったと言うべきかもしれない。

だから、自分にとって、社会を大きくマクロに眺めて理解するための方法を最もよく知っている人々、言ってみれば最も優れた「鳥の目」を持つ人々は、大学で社会学や政治学を教える教授、そして有力メディアで報道を担当する記者だった。

そうした考えが、この数カ月で大きく揺らいだ。

今回の選挙で、僕はクリントンの勝利を希望的に予想していたから、トランプ勝利にショックを受けたという訳ではない。それよりも、社会科学の分野で自分が最高と考えていた研究者たちが、並んで予想を外してしまったことに衝撃を受けたのだ。

それは、これまで強く信じてきた世界の一部分が、突然ひっくり返ってしまったような感じだった。

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まず第一の驚きは、データ・ジャーナリズムの旗手と呼ばれたネイト・シルバーが、予測を外したことだ。

シルバーは、2008年のアメリカ大統領選で結果をほぼ正確に予測したことで名を挙げた、統計の専門家だ。2012年の大統領選では全50州の予想を的中させ、評価を確かなものにした。野球のゲーム結果を統計的に予測していた経験から、映画『マネーボール』の登場人物のモデルになったとも言われている。

そのシルバーは、選挙期間中、一貫してクリントンが当選する可能性を高く見ており、投票前日の時点でもクリントンの勝率を71.4%と予測していた。

世界が注目し、アメリカ中の統計学者が挑んできたであろうアメリカ大統領選の結果予測。その激戦区を勝ち抜いて確固たる地位を築いたシルバーならば、今回も予測を外すことはないだろうという漠然とした考えを、僕は持っていた。

社会学関係者のあいだで、「シルバーの敗北」に衝撃を受けた人は少なくなかった

それだけではない。日本でも、トランプの勝利を予想する向きが少なかったのは周知の通りだが、東大を代表する国際政治学者の藤原帰一教授がトランプの勝利はありえないという趣旨の発言をしていたことに、僕は大きな影響を受けた。

藤原教授は東大の法学部出身で、イェール大での研究や千葉大での助教授経験を経て、40代前半で東大法学部に就任した人物だ。学者として数々の業績を残す一方で、NHKへの出演や朝日新聞・毎日新聞への寄稿も数多くこなす、スター教授のような存在だった。

僕自身も、一学生として藤原教授の授業に出てみたり、著作を読んでみたりした経験がある。その中で最も印象的だったのは、教授が担当する「Japan in Today's World」という題名の授業を受けたときのことだ。

ある中国人らしい学生が、戦時期の日本による中国での残虐行為について質問をぶつけた。教授は、その学生の近くまで歩み寄って軽く机に腰掛け、彼女の顔をまっすぐ見ながら質問に答えた。及び腰になることなく、威嚇することもなく。

回答の内容は正確に覚えていないが、それは丁寧に質問の趣旨に答えるもので、僕には非常に「誠実な学者」という印象が残った。「こういう人が東大の教授であるべきだ」というような感覚を持ったと記憶している。

その藤原教授は、選挙当日の一ヶ月前に当たる10月9日の時点で、Twitterに「トランプは終わりました」と書いていた。トランプの性的暴行に関する証言が多く出てきたことを受けて、状況が少し変わった時のことだ。

アメリカの大統領選について、世界一、日本一クラスに詳しいと思われた2人の研究者が、いずれもクリントン勝利の確率が高いと予想していたことは、トランプが勝つことはないだろう、と僕に信じさせるのに十分だった。

・・・

一方で、トランプが勝つことを予想していた人もいた。

ひとりは、アメリカのドキュメンタリー映画監督・ジャーナリストのマイケル・ムーアだ。

大統領選当日の3ヶ月以上前、7月23日のブログ「5 Reasons Why Trump Will Win」(邦訳:ドナルド・トランプが大統領になる5つの理由を教えよう)でムーアが指摘した点は、鋭く的を射るものだった。

「トランプが大統領になる」第一の理由として、ムーアはラストベルトと呼ばれる工業が衰退した地域で、トランプへの支持が高まっていることを指摘している。

トランプは、ミシガン、オハイオ、ペンシルベニア、ウィスコンシンといった五大湖を取り巻く4つのブルーステート(民主党が優位の州)に意識を集中させると俺は思っている。

2012年にはオバマの民主党が勝利したが、2016年はトランプの共和党が制した州は、全部で6つある(逆に、2012年は共和党が勝ったが、2016年は民主党が勝ったとという州はひとつもない)。フロリダ、アイオワ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニア、ウィスコンシンの6州だ。

驚くべきことに、ムーアがブログの中で真っ先に挙げたラストベルトの4州は、すべてこの中に含まれている。激戦区となったラストベルトの各州で、トランプが民主党の牙城を切り崩すことを、ムーアは既に予見していたのだ。

ミシガンで生まれ育ったムーアが、この地域の変化を敏感に感じ取ることができたのは、自然なことだったかもしれない。とはいえ、学歴では大学中退に過ぎず、ジャーナリストの仕事をクビになったこともある人物だ(Wikipedia)。

彼が予想を当てることができたのは、なぜだったのだろう。

ジャーナリストを経て映画監督となったムーアは、デビュー作『ロジャー&ミー』の頃から、「アポなし突撃取材」を武器に数々のドキュメンタリーを撮ってきた。

カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受けた『華氏911』が有名だが、他にもアメリカの銃社会に疑問を呈した『ボウリング・フォー・コロンバイン』や、医療に焦点を当てた『シッコ』などの作品がある。

僕が数年前に観た映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』の中で、ムーアは出会った人にひたすら質問を投げかけていた。

「どうしてアメリカでは、こんなに銃が多いのか?」

この疑問を軸に、彼は、ゲームセンターのシューティング・ゲームに興じる若者から全米ライフル協会の会長まで、様々な人のところへ話をしにいく。銃撃事件で障害を負った少年たちと一緒に、小さな運動を起こす一幕もある。

その目線は、常に一般の人々と同じ高さに据えられている。態度はオープンで、語り口は率直だ。全米ライフル協会会長への突撃取材など、いかにも危険そうな場面でも、ムーアは恐れることなく、大胆に相手に近づいていく。

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今回の選挙で大多数の世論調査が外れてしまった原因として、特に多くの指摘を受けたのは、「隠れトランプ支持者」の存在だった。たとえば東洋経済オンライン朝日新聞が、この点を取り上げている。朝日新聞の記事による分析は、以下の通りだ。

問題発言を繰り返すトランプ氏への支持を公言しにくいことや、大メディアへの不信感から、世論調査に回答しない「隠れトランプ票」の存在が「番狂わせ」を招いた。

SNSの発達により、身近な人々と豊かなコミュニケーションを取ることが可能になったいま、信頼できないメディアの調査に答えるくらいなら仲間内で感情を共有していたい、と思う人が増えても不思議ではない。

そうした状況のもとでは、ムーアの非凡な大胆さ、オープンさ、あるいは自分の知らない土地に踏み込んでいく勇気は、彼が正確な予想をすることができた要因のひとつになったのではないかと、僕には思える。

もちろん、シルバーとムーアについて全てを熟知している訳ではない自分が、どれだけ正確な分析をできているかはわからない。

ただ、ある面で、2016年のアメリカ大統領選は、データ・サイエンスに精通した統計学者が、ひたすら現場を歩いてきたドキュメンタリー映画監督に負けた選挙でもあったのかもしれないと、僕は思うのだ。

少なくとも今回のアメリカ大統領選は、RDD方式による社会調査 のような「鳥の目」だけでは把握しきれない部分が、僕たちの住む社会に存在していることを教えてくれた。

今後、社会調査の手法が発展すれば状況は変わるだろうが、現段階では、知りたいと思う対象に近寄って対話や観察をしようとする「虫の目」のアプロ―チによってしか、理解することのできない事実があることは確かだ。

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トランプの勝利を予想していた人は、もちろん日本にもいた。

僕が知る限りで、その真相に最も近づいていたように思われる人物は、 社会起業家の安部敏樹さんだ。2009年の設立以来、スタディツアー事業を手がける団体の運営に携わってきた安部さんは、「日本一社会問題に詳しい男」として、様々なメディアで意見を発信し続けてきた。

日本の教育における「体験の格差」について語った記事の中の「体験が乏しい人って、それっぽいこと言ってるんだけど、抽象論・一般論でしかなくて、人をなかなか巻き込めないんです」という言葉に、僕は大きな感銘を受けたことがあった。

その安部さんが、大統領選当日の昼過ぎ(僕がパソコンの前で天を仰いでいた頃)に投稿して、大きな注目を集めたのが以下の記事だ。

この記事の中で安部さんは、日本でもアメリカと同様に社会の断絶が起きていることを指摘している。

クリントンに投票したくない気持ちは心の底からわかる。なので、人には言わないけど票を投じている人というのが多くいるのは想像できる。社会の断絶というのはそういうものだ。弱者は賢いやつに口では勝てないからとりあえず黙っておく。そしてあるとき行動に移る。アメリカ社会全体でそれが起きてるだけ。ちなみに全然日本も他人事じゃない。7年前に私が社会課題の当事者の現場に人を連れて行かなければ、と思ってリディラバを立ち上げたのはこういう断絶が起きている実感があったからなわけで。その傾向はどんどん顕在化してきている。

安部さんは、マイケル・ムーアに負けず劣らず、元総務大臣を相手にしても「言いたいことが溢れて時折タメ口になる」(『日本につけるクスリ』)というほど大胆で、なおかつ誰とでも気さくに話せるオープンさを兼ね揃えた人だ。

先日、あるイベントに出席したとき、安部さんは、普段の週末、縁もゆかりもない地域の子どもたちと野球をして過ごしていると話していた。

博士課程在籍とは言え、まだ20代の安部さんが熟練の国際政治学教授より的確に、現代社会を生きる人々の心理を捉えていたことにも、こうした要素が関係しているのではないか。

つまり、誰とでも距離を縮めて話を聞くことのできる力が、社会についての正確な情報を得るために役立つのではないかと思われるのだ。

・・・

それでは、不確実な時代を生きようとする僕たち若者は、どうすれば正しく世界のことを理解できるだろうか。

まだ半人前の自分にどれだけ説得力のある答えが出せるかわからないが、学生新聞の記者や教育NPOでのボランティア、ベンチャー企業でのインターンシップといった経験も踏まえて考えてみた結果、たどりついた答えのひとつは「勇敢な虫の目を持つ」ということだ。

言ってみれば、今の世界は、本当に知るべき情報がしばしば藪の中に隠れてしまうような状況にある。ネットには大量のフェイク・ニュースがあふれ、誰もが自分の正義を主張しているように見える。

そんなとき、鳥のように上から藪を眺めていても、信頼できる情報を得られる量には限りがある。それよりは、虫のように地面の上を歩いていって藪の中を探したほうが、真実に近づける可能性は高いはずだ。

中で何が待っているか分からない藪に独りで入っていくのは、少し怖いことかもしれない。勇気が要ることかもしれない。

それでも本当のことを知りたいなら、その世界に自ら足を踏み入れる必要があると、僕は思う。

・・・

僕はこのブログで、本を読んだり学業に力を注いだりすることに、意味がなくなったと言いたい訳ではない。

むしろ、現実で起きている有象無象のできごとを頭の中で整理するために、小学校から高校までの勉強で得られる知識や、主に大学で教えられている論理的思考力や情報収集の方法は、とても役に立つ。

東洋経済オンラインやNHKのクローズアップ現代といったメディアが、ネットで無料提供してくれる情報にも、現代社会を知るために有効な手がかりが数多く含まれている。

学問の世界から生み出される知識やメディアが伝える情報に目を通すこと、集めた知識や情報を整理・編集する力を身につけること、あるいは、よい「鳥の目」を持つことの重要性が、これから失われていってしまう訳ではない。

けれど、そこで立ち止まってはいけないのではないか。

アクティブ・ラーニングという言葉を持ち出すまでもなく、名門校に通う大学生であっても、ぼんやり新聞とテレビとSNSをチェックして受動的に教授の講義を聞いていればそれでいいという時代は、完全に終わってしまった。

NHKが渾身の力を込めてつくった特番を見ても、日本中の偉い教授が書いた論文を読み漁っても、次に何が起こるか分かる保証はない。

メディアや大学で働く人々が手を抜き始めたとは思わないが、誰にとっても未来の予測を立てることが難しい今、権威だと考えられてきた人の言うことをただ座って聞いているばかりでは、理解できる世界に大きな限界があるのだ。

だから今後は、自分の頭で何が本当なのか考え、自分の目と耳をひらいて街を歩き、出会った人に質問をぶつけ、また考える。そうした努力が今より重要になるのではないかと、僕は思っている。

少しずつでいい。

時には二、三歩、後ろに下がって考え直すこともあるかもしれない。

それでも、「虫の目」を持って、大胆に、オープンに、そして勇敢に、興味を持ったものに近づいていく。

そういう姿勢を持って生きていきたい。

・・・

このブログを読んだ人の中に、4月から新しく、あるいは継続して大学で学ぶ学生がいたら、以上の考えをひとつの意見として参考にしたうえで、本当のことを知るための正しい方法とは何なのか、自分なりの答えを探してもらえたら嬉しい。

この文章の筆者が、自分の正義を主張しているのではなく、本当のことを書こうとしていたのかどうか。

その疑問に対しても、最終的には読んでくれたあなた自身に答えを出してもらえればと、僕は願っている。

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