仕事と遊びの境界はどこにあるのだろうか?

「仕事は遊びじゃない」と言われたことがある。そのとおり、仕事は遊びではない。しかし、その境界線はどこにあるのか、と聞かれると私は答えに窮する。
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新人の頃、「仕事は遊びじゃない」と言われたことがある。そのとおり、仕事は遊びではない。しかし、その境界線はどこにあるのか、と聞かれると私は答えに窮する。

仕事と遊びの境界線は一体どこにあるのか。仕事を遊びに変えることはできるのか。少し考えてみる。


まず「遊び」と「仕事」をお金の発生の有無で切り分けてみる。


仕事はお金をもらい、遊びは仕事をもらわない。一見正しそうである。しかし、現実的にはサービス残業など、お金をもらえない仕事もあるし、スタートアップの会社では「お金がもらえない仕事」などザラである。

また、賭け事など、お金をもらってしまう遊びもある。だから、お金の発生の有無は仕事か遊びかどうかは関係ない。



では、「責任」で切り分けてみよう。


仕事は責任を負い、遊びは責任を追わないと考えてみる。これも難しい。責任のない仕事はないが、遊びにも責任が発生するものがある。例えばフットサルをチームを作ってやるとする。仕事ではない。が、チームに貢献する責任は発生する。したがって、遊びに責任はない、とするのは誤りである。



では、「強制されるかどうか」でも考えてみよう。


仕事は強制され、遊びは強制されない。これも難しい。少なくとも強制されれば「遊び」ではないように感じるが、仕事が全て強制されたものかどうかというと、自発的に行う仕事もある。仕事と遊びの境界線は「強制」では無いようだ。



では、「仕事は遊びではない」という人々は何を持って境界を設定しているのだろうか。


よくこのような言葉が飛び出すシーンは、「手を抜いて」いたり、「真剣さが足りない」というシーンのように思える。そういう時、「真剣にやれ」という意味を込めて、「遊びではない」と言う方が多いだろう。


しかし、この話も決定打にかける。「遊び」を真剣にやる人も多いからだ。対戦ゲームをやってる人々を見ると良い、皆真剣にやっている。



そう考えていくと、実は仕事と遊びの境界線は限りなく曖昧である。むしろ区別するほうが難しい。結局はその人が「仕事」と考えているものが仕事で、「遊び」と考えていることが遊びであるに過ぎない。これは主観の問題なのだ。

ということは、「仕事」を「遊び」に変えるには、やっていることの内容ではなく、個人の考え方を変えれば良いということになる。

すなわち、今やっていることは「遊び」であると。


どう工夫すれば楽しくなるか、どのような目標を設定すればよいか、他者とどのように駆け引きすればよいか、達成感をどのように得るか。

そういったことは、本質的に「全て自分で決めることができる」ということだ。もちろん、仕事にも遊びにもルールがある。ルール破りにはペナルティが課される。しかし、逆に言えば仕事も遊びも「ルールがあるから面白い」とも言える。



でも、なんとなく納得が行かない...そう思っていたところ、一つ大きな違いがあることに気づいた。


「好きな人とやれる」のが遊び。


「嫌いな人ともやらなくてはいけない」のが仕事。


仕事を遊びに変えたいなら、「付き合う人」を変えることから始めよう。




・2014年5月2日 Books&Apps に加筆修正

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