部下を褒めてもダメ、叱ってもダメ、どうしたらいいんでしょう?

上司受難の時代である。現在、部下のマネジメントは極めて難しい。
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上司受難の時代である。現在、部下のマネジメントは極めて難しい。

日本経営協会の調査では、半数の人は「特に出世に興味が無い」という人である上、「私生活重視」といった理由でバリバリ働くことを好まない。

例えば、自分が管理職として「とりあえずやるべきことはやります。あとは放っておいてください。」と言う部下の上についたと想像してみて欲しい。

ただし自分に課せられている責任は前年に比べて厳しい物になっている。全員が奮起しないと達成しない目標だ。

一体この人をどう扱ったら良いのだろうか。

あなたはまず、その人のやる気を引き出すために「会社の目標が如何に大事か」や、「働く意味」などを語るかもしれない。

あるいは彼の主張を「よく聞く」上司として、頑張ったりもするだろう。また、あなたが短気な人物であれば彼を叱ったり、詰めたりしながら働かせるかもしれない。

しかし、私の経験からいえばそういった努力は残念ながら実を結ぶことは少ない。

仮に一時的にやる気になったとしても、長期的には歪みが出てくるし、「働く意味がわからなくなった」といって、会社をやめてしまう人も多いだろう。当然あなたの責任が問われる。

実際、褒めても叱っても、「やる気」が引き出されることはなく、部下に無理を強いているという事実は何ら変わらない。

まさに、「じゃあどうすりゃいいんだよ!」と叫びたくなる。

多くの研修会社は、「管理職研修」というプログラムを持っている。対企業には売れ筋の商品であるが、「管理職研修」が目立った成果をあげたという話はあまり聞かない。

おそらく100人が受講して、1、2人、変わる人がいれば良い方だ。そう、「管理職研修」は、あまり意味がない。

もちろん反論もあろう。そういった研修を受講した方から取ったアンケートを見ると、「よくわかりました、実践してみます」や、「すぐに試せそうでよかったです」、「変われそうな気がします」という言葉が並んでいるからだ。

アンケートの結果を信用するならば、それだけでも良い。

しかし、本質を見れば、それは今一度「何時間も、何十万円も研修にかけただけのコストに見合うものだったのか?」と問われて、はっきりとYES、と答える経営者はあまりいないのではないだろうか。経営者から返って来た答えは多くの場合

「研修受けたからすぐに変わる」ってことは無いよね。

「何かしらの役に立った人が中にいればいいと思う」

「効果はよくわからないけど、そういった機会を与えることが大事だと思う」

といったものだ。

したがって管理職研修は、「お金を持っている会社が行う社内儀式の一つ」の域を出ていない。個人的には「自己啓発が好きな人だけやればいいんじゃない?」という程度だ。

だから、「管理職研修」などの自己啓発プログラムも、上司受難の時代への処方箋とはならない。気休め程度だ。

本当のことを言うと、「管理職研修」に全管理職を参加させているような会社も中にはあるが、やめたほうが良い。貴重な時間とお金をドブに捨てるようなものだ。

褒めてもダメ、叱ってもダメ、研修で学ぶこともできない。「マネジメント」とは一体何なのか?習得可能なのか?

多くの人はそう思うかもしれない。

思うに、「マネジメント」で困っている人は考え方の根の部分が少しずれているように感じる。すなわち、マネジメントを「人を操作するための一連のノウハウ」と思っているフシがあるということだ。おそらく、これが間違いのもとである。実際には、

「マネジメントのノウハウを知り、それを実践したからといって、部下のやる気が引き出されるわけではない」

ということだ。これはあなたのスキルが足りないからできないのではない。原理的にできないのである。

あなたは「ヒット商品を作るコツ」というような本を読んだことがあるだろうか?そして読んだことがある場合、結果としてヒット商品はできただろうか?

殆どの人はNoだろう。

本に書いていることは「一例」に過ぎず、多くの場合前提条件が違いすぎ、「ちょっとしたヒント」にすぎない。本やセミナーとは、そういうものだ。

誤解を恐れず言えば、本質的にはマネジメントも、ヒット商品づくりも「頑張ったからといって、成果が出るとは限らず、決まったやり方もない。」のである。

ハーバード大学教授のマイケル・サンデルは、その著書「これからの正義の話しをしよう」において、こう述べる。

料理本はあまた出版されているが、それを読むだけで料理の達人になる人はいない。たくさん料理をしなければいけないのだ。ジョークの飛ばし方もしかり。

ジョークの本を読み、笑い話を集めても、お笑い芸人にはなれない。お笑いの原則を習っただけでも無理だ。

科学の知識が普遍的かつ必要なものに関わるのと異なり、実践的な知恵は行動の仕方にかかわっている。

(中略)実践的な知恵のある人は、自分自身だけでなく、同じ市民や人類全般についての前途は何かを熟慮できる。

熟慮とは、いま、この場での行動に関するものだ。たが、単なる計算ではない。それぞれの状況下で実現できる最高の善を追求するものなのだ。

マネジメントは科学ではない。実践である。礼儀と同じように、「その場での判断が必要な行動」である。それゆえ、「この場合はこうする」という知識をいくら集めても無駄である。

場合に応じで熟慮し、反省を繰り返すというやり方でしか身につかないものであり、楽器の演奏、スポーツの技術、そういったことと全く同じなのである。

例えばあなたが上司から「絶対にヒットする商品を作ってくれ」と言われたとする。あなたの返答はどのようなものだろう?(実際にはこのような無茶な要求をする上司は少ないとは思うが)おそらく

「絶対、というのは無理ですが、ベストを尽くします」

というのではないだろうか。

実際、「やる気を出させる」というのは、「ヒット商品を作る」ということと殆ど変わらない。制約要因はあなたの側にはなく、外部にある。人が変わりうるのは、唯一、その人が「そう決めた時」以外にはない。

だから、マネジメントには熟慮が必要だ。反省を繰り返しながら、成功に辿り着くまで実践を積み上げていく。

「自己啓発書、ノウハウ本ばかり読んでいるヤツ」がダメと言われるのは、本質を外しているからだ。

褒めてもダメ、叱ってもダメ、それなら泣いてみよう。それでもダメなら飲みに行こう、それでもダメなら、一緒にゴルフしよう。

上司が考え抜き、行動したものの中に、1つくらいは何かしらの効果があるものがあるかもしれない。

結局求められるのは、熟慮と、行動だけなのだ。ノウハウを求めてさまようことをやめ、考えよう。

・2014年3月29日 Books&Apps に加筆修正

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