当たり前だが、企業の目的は利益ではない。

利益を真っ当に出している会社は、世の中の役に立っている会社なのだ。だが、「利益を追求することそのもの」が目的化すれば、社会的に糾弾されることは避けられない。
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「企業の目的では利益ではない」は、「マネジメント」という言葉を最初に世に広く知らしめた学者である、ピーター・ドラッカーの言葉である。有名な一言なので、ご存じの方も多いと思う。

私見ではあるが、「企業の目的は何?」と聞かれて、「利潤追求」というような人は今の世の中にはずいぶんと減ってきていると思う。しかし、最近「キレイ事では経営はできないよ」というアドバイスをいただいたので、もう一度自分でも確認してみた次第だ。

ドラッカーの著作「現代の経営」で、彼はこう述べている。

"事業体とは何かを問われると、たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。たいていの経済学者も同じように答える。

この答えは間違いなだけではない。的はずれである。"

この言葉はともすれば誤解を招きがちである。

「ドラッカーは、利益なんぞ要らない」と言っているのか。学者がいいそうなことだ、と。

そうではない。彼はこう言う。

"もちろん、利益が重要でないということではない。利益は、企業や事業の目的ではなく、条件なのである。また利益は、事業における意思決定の理由や原因や根拠ではなく、妥当性の尺度なのである。"

この著作は1993年に書かれた著作にある言葉だが、恐るべき先見性である。

わかりやすく言うと、

「利益のために会社がある」のではない。「社会的な役割を果たす」ために会社がある。しかし、利益が出なければ企業活動を継続できない。

したがって、「利益は継続して社会の役に立つための条件」である。だから、経営者は常に利益を意識しなければいけないし、利益が出なければ会社は無くなる。

それ故、ドラッカーは、「全く私心のない天使が経営者であったとしても、利益には関心を持たざるをえない」という。

だから、利益は今自分たちが行っていることが、社会的に意味のあることかどうかを判断するための「尺度」とも言える。

経営者の方で、この考え方は違う、と思うなら、従業員に聞いてみるといい。

「利益のために働いているのか?」それとも、「お客さんや、社会のため、自分のために働いているのか?」と。

おそらく、ほとんどの方は後者というだろう。

会社の数字のために働く人など、ほとんどいない。

断っておくが、金持ちになりたい一心で起業することは別に悪いことではない。世の中に役立つのであれば私心に満ちていても良いのだ。当然、私も例外ではない。

そういう意味で、「キレイ事ではモチベーションが上がらない」という経営者が存在していることは十分に理解できる。

だが、ドラッカーは著作「マネジメント」でこう述べている。

"利潤動機なるものは、的はずれであるだけでなく、害を与える。このコンセプトゆえに、利益の本質に対する誤解と、利益に対する根深い敵意が生じている。この誤解と敵意こそ、現代社会における危険な病原菌である。

(中略)利益と社会貢献は対立するとの謬見さえ生まれている。"

「儲ける」という行為に敵意を燃やす人も多いが、とんでもない話だ。利益を真っ当に出している会社は、世の中の役に立っている会社なのだ。だが、「利益を追求することそのもの」が目的化すれば、社会的に糾弾されることは避けられない。

だが私は安心している。間違いなく、「企業は利益のため」と思わない人が多数派になってきている。これは数々の会社を見てきた上で私が確信していることの一つである。

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