「働きがい」はどのように作られるか

「働きがい」という言葉がある。当然のことながら、仕事にやりがいを感じてくれる社員が多いほうが、企業にとって有利であることは間違いなく、企業は様々な活動を通じて従業員の働きがいを演出しようとする。それには、仕事の内容を変えること、社内の提案制度の採用、社員食堂の充実、給与から異動の施策まで様々なものがある。

「働きがい」という言葉がある。当然のことながら、仕事にやりがいを感じてくれる社員が多いほうが、企業にとって有利であることは間違いなく、企業は様々な活動を通じて従業員の働きがいを演出しようとする。それには、仕事の内容を変えること、社内の提案制度の採用、社員食堂の充実、給与から異動の施策まで様々なものがある。

だが、それらの施策は本当に当を得ているのだろうか。内閣府による調査では、「仕事についてやりがいを感じている」という人の割合は20%以下。しかも漸減している。残念ながら、生活時間の半分以上を占める「仕事」において、やりがいを感じてもらうことは非常に難しいようである。現在のところ、残念ながら多くの企業は有効な手を打てていない。

「従業員の働きがいなど気にしない」と言う経営者もいようが、良い人材の獲得は競争であることを鑑みれば、その考え方は改めざるをえないだろう。

実際に上で紹介した内閣府のレポートでも、

“中小企業において、仕事のやりがい等に対する従業員の満足度を向上させることは、従業員の定着率や生産性の向上を通じて、当該中小企業の業績にプラスの効果をもたらすことを示唆していると考えられる。”

と結論づけている。

さて、それでは従業員のやりがいはどのように生み出されるのか。これについては、古くから研究が行われているが、最も有名なものの一つが1920年代のイリノイ州ホーソンのウエスタン・エレクトリック社での実験だ。

この一連の実験により導かれた説は、驚くことに「働く者の満足を左右するものは、仕事の内容ではなく、仕事の重要度への認識である」というものだった。

つまり、「自分が重要な仕事をしている」という認識こそが、仕事のやりがいを決めるのであり、仕事が単調だろうと、作業内容が退屈だろうと、「自分の価値」が確認できる仕事であればやりがいは生じるということである。

もちろん経済的に困窮していたり、労働時間が長すぎたりすれば労働者の意欲は低下する。しかし、そういった条件をクリアしてもなお、「働きがい」を得ることができない労働者が多い理由は、「自分の仕事に対する誇り」が持ちにくいことにある。

昔コンサルタントをやっていた頃、30人程度の中小企業で、あるメーカーの下請を行っている会社に訪問したことがあった。

おどろくべきことに社員ひとりひとりまで礼儀正しいばかりか、非常にモラルが高く、やる気もある。

社長に「なぜこのように意欲の高い社員さんばかりなのですか?」と聞いたところ、次のような言葉を頂いた。

「私は特に何もしていませんよ」

私は不思議に思った。「何もしていない…、でも、こんなに活気のある職場は初めてです。」

社長はちょっと得意そうにこう言った。「そうですか。実はこの前ウチの会社が雑誌に取り上げられましてね。いや、取り上げられた事自体は別に大したことはありませんでした。でも、ある出来事があって、皆がとても変わりました。

私はその理由が知りたかった。「どんな出来事ですか?」

社長はこう言った。「従業員宛に、手紙が届いたのです。取引先のメーカーさんの製品を使っている方らしいのですが、記事を見て、我々に「皆様のような中小企業あっての製品なんですね」という内容の手紙を書いてくれました。それを、皆に見せました。そうしたら、皆の顔つきが変わりました。」

私は感心してこう言った。「そんなことがあったのですか。」

「そうなのです。それ以来、取引先に頼み込んで、その製品を使っている方々のフィードバックをこちらにもいただくようにしています。

営業職が自分の仕事にやりがいを感じないのは、売れないからではない。自分の売っている商品に「お客さんの役に立つ」という自信が持てないからである。

技術職が自分の仕事にやりがいを感じないのは、技術レベルが低いからではない。「自分の技術が世の中の役に立っている」という実感がわかないからである。

事務職が自分の仕事にやりがいを感じないのは、「社内の人々にとって自分たちが重要であるとの認識がされないからである。

これは、働いている組織の規模とは関係なく起こりうる。

内閣府の調査を見ても、仕事へのやりがいを感じる人の割合は、会社の規模によらないことがわかる。むしろ大企業の方が少しやりがいを感じる人の割合が低い。

結局、人は「その他大勢」であること、「無意味だと感じる仕事」には耐えられないのである。

ピーター・ドラッカーは著書「企業とはなにか」において、こう述べている。

”昔から言うように、仕事に意味を持たず食べるためにのみ生きる者は、市民ではないし、市民足りうるはずもない”

自分の仕事が「重要な仕事である」と感じるだろうか?部下は今の仕事を「重要な仕事だ」と考えて働いているだろうか?

(2013年5月20日 Books&Apps に加筆・修正)