レオン・ラッセル死去 「ア・ソング・フォー・ユー」で知られる名シンガーソングライター

ジョージ・ハリスンと共演した「ビウェア・オブ・ダークネス」はラッセルの名演奏として知られる。

『ア・ソング・フォー・ユー』や『デルタ・レディ』などのヒット曲で知られるアメリカのシンガーソングライター、レオン・ラッセルが11月13日、テネシー州ナッシュビルの自宅で死去したと公式サイトが伝えた。74歳だった。

公式サイトによると、ラッセルは13日、自宅で就寝中に亡くなったという。AP通信によると、死因は公式には明らかになっていないが、7月に心臓発作に襲われたが、手術を受けて快方に向かっていたという。

2010年にも心臓と脳の手術を受けていた。代理人によると、ラッセルは2017年1月のツアーの準備をしていたという。

ラッセルは1942年オクラホマ生まれ。14歳からオクラホマのナイトクラブでピアノプレイヤーとして活動を始め、その後拠点をカリフォルニアに移した。ラッセルは2014年のインタビューで、その頃は「かなり荒んでいた」という。

「当時のオクラホマはドライ・ステート(禁酒州)だったけど、禁酒法はなかったから、未成年がナイトクラブで演奏するのを取り締まる法律もなかった。だから早い時期から活動を始めることができたんだ」と、ラッセルは語っていた。

「17歳で高校を退学してカリフォルニアに行った時、カリフォルニアにいる奴らはユーモアセンスがないから、21歳までナイトクラブで演奏させてくれなかった。だから他の人から身分証明書を借りなきゃいけなかったんだ」

その後ラッセルは60年代から70年代にかけて、音楽業界で一流のスタジオミュージシャンとして名を馳せることになる。音楽プロデューサー、フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」(音の壁)と呼ばれた厚みのある音のオーケストラの一員として活躍した他、ビーチボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』のレコーディングに参加した。

また、ベンチャーズの「十番街の殺人」やアニマルズの「朝日のあたる家」の印象的なオルガンや、バーズ、ローリング・ストーンズなど、数多くのミュージシャンのバックで活躍した。また、イギリスの歌手ジョー・コッカーのライブアルバム『マッド・ドッグス・アンド・イングリッシュメン』のプロデュースも担当した。

2014年1月18日、フロリダ州ボーカラトーンのマイズナーパーク・アンフィシアターで開催された「サンシャイ・ミュージック&ブルースフェスティバル」で演奏するラッセル

長い髪と髭がトレードマークのラッセルは、70年代にキャリアのピークを迎える。1971年、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたバングラデシュ難民救済コンサートでジョージ・ハリスンやボブ・ディランと共に出演した。この時、ジョージ・ハリスンと共演した「ビウェア・オブ・ダークネス」はラッセルの名演奏として知られる。その後、ラッセルはボブ・ディランの「川の流れを見つめて」や「傑作を描く時」などのプロデュースをした。

ソロアーティストとしても活躍し、1970年にはソロアルバム『レオン・ラッセル』を発表する。この時点ですでにラッセルは数多くのミュージシャンの収録に参加していたことから、ソロ作品はカントリー、ソウル、ブルース、ジャズ、ゴスペル、ポップスなどさまざまな音楽のジャンルを融合させた彼独特のスタイルを確立していた。ニューヨーク・タイムズは「ラッセルは素朴で自然なアメリカ音楽の大きくて洗練されたパレットのようだ」と評している。

代表曲「ア・ソング・フォー・ユー」は、カーペンターズ、レイ・チャールズ、ダニー・ハサウェイ、アレサ・フランクリン、ハービー・ハンコック、シンプリー・レッド、ホイットニー・ヒューストン、エイミー・ワインハウスらにカバーされている。

2010年、ラッセルはエルトン・ジョンとの共演でアルバム『ザ・ユニオン』を発表。シングル「イフ・イット・ワズント・フォー・バッド」でグラミー賞の「ベスト・ポップ・コラボレーション・ウィズ・ボーカルズ」部門にノミネートされた。2011年にはレコーディングやコンサートのスタッフを表彰する「サイドマン部門」でロックの殿堂入りを果たした。

ラッセルがロックの殿堂入りを果たした時、スピーチで「空間と時間の達人」と評したエルトン・ジョンは13日、友人であり共同制作者だったラッセルの訃報に接し、Facebookで追悼した。

My darling Leon Russell passed away last night. He was a mentor, inspiration and so kind to me. Thank God we caught up...

Posted by Elton John on Sunday, 13 November 2016

親愛なるレオン・ラッセルが昨晩死去した。彼は私にとってのメンターであり、私にインスピレーションをもたらし、親切にしてくれた。私たちを引き合わせてくれ、『ユニオン』を作れたことを神に感謝したい。彼は再評価されたし、十分やりきったように思う。彼を愛しく思うし、これからもずっとそうだろう。

多くの人がTwitterで哀悼の意を表明した。

これを投稿するのは残念だ……(マイ・ケミカル・ロマンスのフランク・アイイアロ)

訃報記事を読んで、彼の傑作「ア・ソング・フォー・ユー」を聴いた。レオン・ラッセル、偉大なソングライターにしてミュージシャンだった。(コメディアンでミュージシャンのスティーブ・マーティン)

さらば友よ。あなたの仕事ぶりを見られて光栄でした。(ブルースロックバンドのテデスキ・トラックス・バンド)

ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。

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