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ムッシュかまやつさん死去、78歳 「我が良き友よ」が大ヒット、ザ・スパイダース元メンバー

2017年03月01日 19時20分 JST | 更新 2017年03月02日 16時03分 JST
時事通信社

ミュージシャンのムッシュかまやつ(本名:釜萢弘 かまやつ・ひろし)さんが3月1日、すいガンのため都内の病院で死去したとNHKニュースが報じた。78歳だった。

かまやつさんは2016年9月6日、肝臓がんで入院中であると所属事務所が公表。9月に予定していたコンサートを中止していた

がん公表時には、所属事務所を通じて「絶対復活するから心配しないでください! それまでいろいろご迷惑おかけします!」とメッセージを発表していた

スポニチによると、かまやつさんは2016年10月末に退院。以降は、いとこで歌手の森山良子(69)宅に身を寄せるなどして、通院治療を続けていたという。

2016年12月8日には、ザ・スパイダースで一緒に活動した堺正章の70歳記念ライブに姿を見せた。産経ニュースによると、堺が「1曲だけ歌っていく?」と冗談のつもりで提案すると、ムッシュは「(歌わないと)金(=ギャラ)をもらえなくなっちゃうからね」と、ザ・スパイダースの名曲「サマー・ガール」を堺とデュエットで披露。これが、最後の公の場となった。

■ザ・スパイダース、「我が良き友」が大ヒット… ムッシュかまやつさん

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ムッシュかまやつさん(2010年4月01日)

ムッシュかまやつさんは、日本ジャズ界の草分け的存在、ティーブ釜萢の長男。青山学院在学中よりカントリー・ウェスタンの学生バンド結成し、米軍キャンプなどを中心に活躍。作詞家の安井かずみ(1994年死去)やミュージシャンのアラン・メリルらとも親交を深めた。

1960年代には「ザ・スパイダース」のボーカル兼作曲家として「ノー・ノー・ボーイ」「バン・バン・バン」「あの時君は若かった」などを発表。グループサウンズの先駆けとして活躍した。

1970年のザ・スパイダース解散後は、アニメ「はじめ人間ギャートルズ」のオープニング曲の作曲なども手がけた。

1975年、「シンシア」(1974年発表)で共演した吉田拓郎(当時は「よしだたくろう」)作詞・作曲の「我が良き友よ」をリリース。「♪下駄を鳴らして奴が来る…」と、古き良き「バンカラ」な男性の姿を歌ったこの曲は70万枚のセールスを記録。B面曲の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」とともに、かまやつさんの代表曲となった。

自身最大のヒット曲となった「我が良き友よ」だが、最初に曲を聴いたときは困惑を隠せなかったという。

父親の影響もあり、幼い頃から洋楽浸けだったかまやつさん。かつて朝日新聞の取材で、「(『我が良き友よ』の)歌詞の世界がさっぱり理解できなかった」と回顧した。

広島出身の拓郎さんは、大学の応援団の先輩をモデルにしたらしい。だけどぼくは東京の真ん中で生まれ育ち、バンカラや上下関係なんて縁がない。あっさり歌うしかなかった
――2016年8月27日 朝日新聞・朝刊「be」より

だが、その後も「戦友」である吉田拓郎との親交は続いた。2006年9月には「フォークソングの聖地」静岡県掛川市・つま恋多目的広場で開かれた『吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006』に出演。吉田拓郎とともに「我が良き友よ」を歌い上げた。

リリース当初は困惑したという「我が良き友よ」も、今になってみると「いい曲だ」と、かまやつさんは語っていた。

ムッシュは不本意だったろうけど、オレはいい曲だと思ってた、って向こう(編集部注=吉田拓郎)が言う。ぼくも、いま聴くといい曲だよね、と答えた。あわただしい日常の中、ふっと、あいつどうしてるかなと思い出す歌。誰もが共有する経験だから
――2016年8月27日 朝日新聞・朝刊「be」より

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2017年に亡くなった著名人


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