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渡邉英徳 Headshot

68回目の原爆の日、「国際平和シンポジウム」を終えて

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1. はじめに

前回の記事でお知らせしたように「国際平和シンポジウム」(朝日新聞社、広島市、広島平和文化センター共催)が、去る7月27日、広島国際会議場にて開催されました。8月6日の朝日新聞朝刊にて、シンポジウムについての詳細な報告記事が掲載されます。また、しんぶん赤旗朝刊において、アーカイブズ・シリーズについての記事が掲載されます。ぜひご覧ください。

私たちは今年、68回目の広島原爆の日を迎えます。今回の記事では、シンポジウムを終えての所感を述べたいと思います。以下の画像は、宿泊したホテルの窓から「ヒロシマ・アーカイブARアプリ」を通して眺めた広島市街のようす。右側が平和公園です。過去の「ヒロシマ」は現在の「広島」と地続きであることが、この画像から感じられると思います。

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「ヒロシマ・アーカイブARアプリ」を通して眺める広島市街

2. パネルディスカッション、基調講演について

国際平和シンポジウムにて、私はパネルディスカッションに参加しました。下記に私のプレゼンテーション動画を掲載します。前回の記事で予告したとおり「人とデジタル技術が力を合わせることによって何ができるのか」について強調したものになっています。なおディスカッションでは「デザインの持つ、若者を巻き込む力」について主張しました。

渡邉英徳のパネル発表

当日の基調講演、ゲスト講演及びパネルディスカッションの録画は、朝日新聞デジタルの特設サイトで閲覧することができます。長尺ですが、ぜひご覧ください。

シンポジウム全体を通して、パネルディスカッションはもとより、チャタムハウス(王立国際問題研究所)のパトリシア・ルイス氏による基調講演が私の印象に強く残りました。

パトリシア氏は、徹底して客観的なエビデンスを提示することによって「核兵器は役立たずである」こと、さらに「核抑止論には説得力が無い」ことを示しました。物理学者でもあるパトリシア氏のスタイルが良くわかる内容です。プレゼンテーションではさらに、広島と長崎の経験を持つ日本が果たすべき役割についても言及されました。

情緒的なメッセージを省いたプレゼンテーションに、被爆国の我々としては違和感を抱くかもしれません。とはいえ、工学で学位を取った私にとっては「理系の核廃絶論者」であるパトリシア氏のスタンスは共感し得るものでした。懇親会で会話した際にも「情緒的な訴えだけでは、核廃絶は難しい」と仰っていました。私も、それは正しい意見だと思います。

主観的・感情的な訴えと、客観的なデータの双方を世界に対して示しながら、着実に進めていく核兵器廃絶に向けた活動。これは、先に述べたような「人とデジタル技術の協働」とも重なるイメージです。こうした活動においては文系・理系といったイデオロギーの対立が生まれがちなように思いますが、両方の良さを組み合わせることが重要だと私は考えます。

3. 原爆と原発をどう語るか、について

シンポジウム当日の昼食会には、我々パネリストだけではなく、松井一實広島市長をはじめとした、市の関係者も出席しました。予期していなかったことですが、ワーキングランチと称した30分ほどのディスカッションが展開されました。

ここで強調されたのは「原子爆弾と原子力発電所(各々による被害)は明確に別のものである」という意見です。原子爆弾は大量殺戮のための兵器であり、原子力発電所は社会に貢献するための発電施設である。安易にオーバーラップして欲しくない、という主旨でした。この姿勢は、松井市長の平和宣言骨子にも顕れています。

この昼食会における発言は、ディスカッションのためというよりも寧ろ、こうした市長の姿勢と方針をパネリストに伝えておきたい、という主旨によるものであったと私は理解しました。パネリストたちは賛同も否定もせずに、昼食会は終わりました。その後、少なくとも講演とパネルディスカッションにおいて、この切り口からの意見はみられませんでした。

原爆と原発、これらを単純に凖えて話すことには、良しとしがたいものがあるかもしれません。とはいえ議論することの余地を無くしてはなりません。核開発の歴史にはさまざまな局面があり、原子爆弾と原子力発電には社会的・技術的な関わりがあります。それらを知る前の段階で、政治の手法で議論を遮断してはならないと、私は考えます。

4. Ustream中継とTwitterの利用について

今回、国際平和シンポジウムとしては初のこころみとして、Ustreamによる中継とTwitterハッシュタグ「#hiroshima0727」を用いたオンラインディスカッションが行われました。シンポジウム開始までは発言が少なく、私はやきもきしていましたが、当日は多数のコメントが寄せられました。

こうしたパネルディスカッションの常として、各自のプレゼンテーションが予定時間を超過した結果、Twitterからの拾い上げを含むディスカッションの時間が十分に確保できませんでした。このあたり、改善の余地が大いにあると思いながら、当日は議論していました。

その代わりとして、私がピックアップしたコメントの例を以下に示します。これらには、私宛のリプライやFacebookでの発言も含まれています。また、パネリストのうち誰に当てたものかが分かるように、適宜カッコを付けて示しています。

i. パネリストに向けたもの

  • (パトリシア氏へ)日本における死刑制度は合法ですが、正当性があるか、と問われたら答えに窮します。
  • (保田氏へ)何故、麻友さんは、被爆体験を語り継ごう、平和を実現する一助になるために行動しようと思うようになったのでしょうか?
  • (保田氏へ)麻友さんが、平和活動(とうろう流しのこと等)、被ばくを語り継ぐ活動等に取り組む(あるいはこれから取り組もう)にあたり、根底として抱く思い、あるいは、一人の人間として抱く信念や拘っていきたいこと(どうしても貫きたいこと)は何ですか?
  • (保田氏へ)どのような人間になりたいかというか、将来目指す『志』について。
  • (ゴードン氏へ)アーカイブスへユーザー側からの投稿を自由にすることは、リスクもあると思う。日本にはネトウヨという層がいるし、インターネット利用者にはモラル面の問題も存在する。そのあたりへの対応はどうなっているのだろうか。
  • 渡邉さんのプロジェクト、広島アーカイブ、素晴らしいね。英語版はどうなってるのかな?

ii. 平和記念資料館の蝋人形展示が撤去される件について

  • もっと惨い本当の戦争を今の高齢者の人たちは子供の頃見てきたのです。当時もう少し大人だった人は言います。あの死臭は忘れられないと。ドラマや映画などで描かれる死に様とは全く違います。そう言った意味でも蝋人形が残されることの意義は十分にあるのではないでしょうか。
  • 小さい頃、当時は報道が緩かったのか、関東大震災でまるこげになった人達の映像がテレビで流れていました(勿論、モノクロでしたが)。。 何があったのかがよく理解できたかも。。包み隠すばかりが良いのではありませんね。。
  • 展示をなくすことは、見たくないものから目を背ける、歴史や現実を受け入れないことだと思います。私がそうでした。はだしのゲンも被爆者の方の写真が掲載された朝日年鑑も小学生のとき一度見たきり避けていましたが高校生のとき向き合うことができました。

iii. 感想

  • 語弊のある言い方だけれど、「メジャーな」広島・長崎だからこうした活動が可能になっているわけで、他の戦争被害地域の記憶などどんどん消えていってるんだろうな...
  • 広島は他県と比べ、平和教育が盛んだったはずですが、今では教育カリキュラムにおいて、平和教育よりキャリア教育が重視されています。保田さんのような方が今後、我々の世代に増えるかどうか、先行きに明るい展望はなかなか抱けません。
  • 東日本大震災デジタルアーカイブ、家に帰ったらパソコンでしっかり見たい。
  • えっ、ライシャワー先生ってあの「ライシャワー発言」のライシャワーか!?
  • (ゴードン氏の「東日本大震災デジタルアーカイブ」について)デジタルネイティブ世代以外には使い勝手の良くないアーカイブは多いけれど、これはかなり直感的で使いやすい印象を受けます。
  • 重要なのは、作り手側と使う人側の区別をなくすこと。参加すること。
  • アーカイブなどの活動で記録を残すことはとても大事なこと。原爆であっても、震災であっても風化を免れることはできないのだから。
  • 私の祖父も被爆者だけど、いつか聞かねばと思う内亡くなってしまったな...
  • ヒロシマアーカイブスの話を聞き、歴史の記録、継承も、新しい形が生まれているのだと感動した。どう継承していくかということは、とても深刻な問題。
  • あとは、記録をどう記憶していくのか、そこはテクノロジーを使う側の工夫が必要かも。でも、若い人がプロジェクトに自発的に関わっているのは素晴らしい!
  • デジタル・アーカイブの問題点は、非デジタルネイティブ層が直接情報を投稿できないこと。太平洋戦争を体験した世代でデジタル情報を活用している人は少ないだろう。アナログな聞き取り作業は必要不可欠だ
  • 昔の伝承がデータや記録ではなく、文学や寓話などストーリーとして記憶されていることの意味・必然性について考えた。
  • ちょっと違うのだろうけど、震災直後の広電市内電車の中で、修学旅行に来た東京の生徒たちに、偶然居合わせた被爆者の方が、「ちょうどあの津波と同じように、沢山の死体が転がっていて...」と話していて、語ることや表現は時によって変わるのだなと思った
  • 被爆者の経験の伝承を社会の文脈に生きた記憶として紡いで行く作業としての文学ってことかな?
  • きっかけ、というのはよくわかるのだけど、証言のヒアリングというのは、きっかけとしてはハードルが高くないかなあと思ってしまうけれど、そうでもないのかな
  • 広島県外出身者からすると、やはり広島より平和について考える機会っていうのは少ないなって思うし、このようなシンポジウムも開かれないし、開かれても人が集まらない気がする...どうやってなにも知らない人に興味をもってもらう方法っていうのはまだまだ課題かな。

これらのツイートはTwitter検索結果から辿ることができます。ぜひご確認ください。このように興味深いコメントが多数みられ、私としてはディスカッションに積極的に取り入れたかったのですが、時間が確保できず果たせませんでした。とても残念です。今後、このブログ等を活用して、議論を継続できればと思っています。

ともあれ、今回のこころみによって、長い歴史を持つ「国際平和シンポジウム」に、未来に向けて若者を巻き込んでいくための糸口は付けられたのではないかと思います。シンポジウムの今後の展開に期待しています。私にできることであれば全面的に協力するつもりです。

4. 「ヒロシマ・アーカイブ」と地元での活動について

前日に開催された資料館見学ツアーにて「ヒロシマ・アーカイブを制作しています」と自己紹介したとき、市の方々からは明確な反応、応答がありませんでした。しかし講演後には称賛のコメントを多数いただきました。嬉しいことですが、これまで地元の方々には知られていなかったということも確認できました。

いただいたのは「ヒロシマ・アーカイブ、私ははじめて見ました。とても素晴らしいです」といったコメントばかりだったのです。

福島をいかにアーカイブするか(3)」で述べたように、私は「デジタルアーカイブをつくり、ただネットに置いておくだけでは足りない。意義と活用方法を説明する活動を展開する必要がある」と考えています。しかし今回のシンポジウムを経て、私は「ヒロシマ・アーカイブ」について、地元・広島での普及活動がまだ十分ではないことを痛感しました。

シンポジウム終了後の懇親会にて、地元の研究者や活動家、そしてメディアからコラボレーションの打診をいくつかいただきました。前述した反省を踏まえ、来年、そしてさらに未来に向けて、これら「地元での活動」を具体化していきます。進捗状況について、このブログでも随時紹介していきたいと思います。