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「記憶のコミュニティ」が紡ぐ原爆の記憶:「ヒロシマ・アーカイブ」制作ワークショップを終えて

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沖縄「慰霊の日」前となった6/20-22の三日間、「ヒロシマ・アーカイブ」の制作ワークショップを、広島女学院中学高等学校にて開催しました。当日のようすが、NHK広島放送局と中国新聞で報じられています。

記事にあるように、広島女学院の中高生、中国新聞のジュニアライター、そして一般参加者の方々によって、証言データのマッピングが行われました。さらに、被爆者の児玉光雄さんと土井史郎さんも参加され、首都大・渡邉英徳研究室の学生たちがチューター役を務めました。

私たちは、2011年の「ヒロシマ・アーカイブ」公開後も、被爆資料の拡充を続けてきました。その中には、広島女学院の生徒有志による被爆者インタビュー映像も含まれています。決して「プロではない」地元の若者たちによる素朴なインタビューが想定外のちからを発揮し、これまでお話になられたことがない方々からも、貴重な証言が得られました。

この事例にみられるような、世代を越えて多元的な人々が参加する運動体を、私は「記憶のコミュニティ」と呼び、その詳細について「データを紡いで社会につなぐ」で述べました。本のなかで、私は「「作り手」が「語り部」になる」という節を用意し、若者たちがプロジェクトに参画する意義を以下のように説明しました。

さて、こうした時間を共有した僕や学生たちは、いつのまにか原爆投下後の広島に詳しくなります。どの人が、どこでどんな体験をしたのか。どの写真が、どこでどちらを向いて撮影されたのか......。これらの情報を今の広島に重ねて記憶しているので、広島原爆について、ある程度は話せるようになります。つくり手が学ぶことで、語り部となっていったのです。
インタビューをおこなった広島の高校生たちについても同様です。自らアーカイブの作り手として主体的に被爆者の話を聞くことによって、その証言の記憶は、彼らの中に強くのこっていきます。

この引用箇所にあるように、広島女学院の生徒たちはこれまで「被爆者インタビュー」の役割を担ってきました。したがって、Google Earthにマッピングする作業は、首都大チームに委ねられていました。作業にはある程度の技術が必要だし、サーバも首都大側が管理しているし、それでいいかな、と私も思っていました。しかし、「越谷デジタルマップ」「アチェ津波アーカイブ」の各プロジェクトを経て、考えが変わりました。

越谷デジタルマップ」では、地元の越谷総合技術高校の生徒たちが、Google EarthにマッピングするKMLデータの作成も担当し、十二分な貢献を果たしています。また「アチェ津波アーカイブ」でコラボレーションした山本博之・西芳実先生(京都大学・地域研究統合情報センター)からも、完成してしばらく経った後「自分たちでデータを編集する仕組みが欲しい」というリクエストがありました。

これまでの私は、前述した「つくり手」の境界線を、身の回りの狭い領域に引いていました。つまり、データを集めるひと|コンテンツをつくるひと、の間にあるボーダーです。しかし、これらのアーカイブズ・シリーズに用いられているHTML、JavaScript、KMLといった技術は、仕様が公開されており、誰でも習得可能なものです。事実、私が教える首都大の学部生たちは、1〜2ヶ月の課題で完成度の高い作品をつくってきます。

広島女学院の生徒たちも「自力で」アーカイブを更新するスキルを身に付けることができるかもしれない。そんな予感が湧いてきました。ちょうどそのタイミングで、NHK広島放送局の桑子真帆アナウンサーから「今年はヒロシマ・アーカイブに新しい展開はあるのか?」と電話取材で問われたので、「生徒たちが自力でアーカイブを更新するワークショップをやります」と即答しました。つまり「やるしかなくなった」わけです。

ちなみに桑子さん(写真右)は、子ども向けバラエティ「ワラッチャオ!」の「くわこおねえさん」としても有名です。今回、桑子さんの飛び込み取材がなければ、ワークショップを開催することもありませんでした。ありがとうございました。

ワークショップ前日の打ち合わせにおいて、私は「XMLファイルの編集など、難しい作業は、首都大の学生が担当して欲しい。生徒たちには被爆場所の特定を主にやってもらうように」と、学生たちに指示しました。はじめてそうしたファイルに触れる生徒たちばかりですし、技術的な詳細というよりも、おおまかなイメージを掴んでもらうことが大事だと思っていたからです。

しかし、ワークショップ本番では、予想もしなかった状況になりました。生徒たちが口々に「自分たちで最初から最後までやってみたいです!」と言い出し、首都大の学生たちの指導を受けながら、率先してファイル編集をはじめたのです。さらに、ご本人の証言掲載を承諾してくださった児玉さん・土井さんは、生徒たちと地図を眺めつつ、被爆された場所の特定にご協力くださいました。被爆者の方々、地元の生徒たち、そして東京から訪れた私たちが集う「記憶のコミュニティ」が現前していました。

薄紫色のシャツを着た男性が広島女学院高の矢野一郎先生、その右側が中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターの宮崎智三さんです。矢野先生は、これまでともに「ヒロシマ・アーカイブ」をつくってきた"同志"です。宮崎さんには、今回のワークショップのための被爆証言の提供や、事前の開催告知などに多大なご協力をいただきました。ありがとうございました。

さて、データのマッピング作業ののち、ウェブサイトとARアプリにデータを実装し、コンテンツの体験会を実施しました。参加者たちは、さまざまな感想を述べながら、「自分たちの手」でプロットしたデータを、現実の広島の風景に重ねてみていました。写真にみられる生徒たちの表情が、当日の雰囲気をよく伝えていると思います。開催してよかった、と感じました。

ワークショップ終了後、生徒たちの一人は「技術が難しかったので、全体の流れを説明した教本をつくります!」と述べていました。まったく、彼女たちには驚かされることばかりです。正直「この子たちのちからを見くびっていたな」と思い、生徒たちが参加する「ヒロシマ・アーカイブ」を含むさまざまな平和活動が、順調に育っていくことを確信しました。今後の活動についても、このブログで報告していきます。

なお、PC版、iOS版ともに、ワークショップの成果を反映したバージョンが既にリリースされています。ぜひお試しください。また、ワークショップのようすはNHK広島放送局の特集番組として放映されるそうですので、そちらもぜひ。

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