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逸見政孝さん-忘れられない12月25日-

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「わたくしが侵されている病気、病名は、ガンです」

「12時47分、逸見政孝さんは、旅立ちました」  

毎年12月になると、私は逸見政孝さんがスキルスによるガンのため、どこかへ旅立ってしまったことを思い出す。あれから20年の月日が流れ、昨日のように思い出す出来事は、今も色あせることなく、脳裏に焼きつく。亡くなったことが今でも信じられない。  

前者の言葉は1993年9月6日、逸見さんが記者会見を開き、ガンに侵されていることを公表したもので、後者の言葉は同年12月25日、三木プロダクションの三木治社長が報道陣に告げた言葉である。2つとも、重大な言葉のあと、報道陣のカメラがシャッターを押す度にストロボがまぶしく光っていたことを思い出す。 

この2つの出来事が起こるまで、私は長生きできると確信していた。煙草は吸っていないし、吸う気もない。アルコールも飲めないタチで、普段の生活でも必要がない。長生きできるということは、大病にかかることもない。 

思春期を迎えた中学生の頃、同級生と"大人の話"をして、私は堂々と酒、煙草、どちらもやらないことを宣言した。同級生たちは私の徹底ぶりに驚いていた様子だったと記憶している。ある男は「10日に1本は煙草を吸う」と言っていた。その男とは十数年会っていないし、連絡先や顔も忘れたので、今はどこでなにをやっているのかはわからない。もし、喫煙者なら、10日に1本ではなく、毎日やっていると思う。 

実は子供の頃、大人になったら、煙草が吸いたくてしょうがなかった。しかし、第58代横綱千代の富士が53連勝したとき、大関初代貴ノ花(のちの二子山親方で、2005年5月30日に他界)に禁煙を勧められ、煙草をやめたら、筋肉がついて、あっというまに横綱に駆け登ったことを知った。 

それ以来、煙草は体に悪いことを知ったワケで、喫煙願望を捨てた。もちろん、今でも煙草を口にくわえたことは1本もない。  

私は長生きできると確信していたが、1993年9月6日の記者会見で、大病にかからないという考えが崩れた。煙草を吸わなくても、大病にかかってしまうのだから、私はショックだった。その日、すべてのテレビ局のニュースを見たが、民放はトップニュースとして流した。しかし、NHKだけはその報道をいっさい流さなかった。 

逸見さんは記者会見の翌日、東京女子医大病院に入院し、数日後、13時間に及ぶ大手術を受けた。医師団は今までにやったことのないほど、壮絶な手術だったという。実は同年1月に別の病院で受けた定期検診でガンが発見され、手術していた(このときは「十二指腸潰瘍」と発表していた)。しかし、再発してしまい、2度目の手術を受けたが、結果が思わしくなく、東京女子医大病院で診察を受けたら、かなり悪い状態になっていたという。 

しかし、3度目の手術で胃を全部摘出しても、ガンが再発。スキルスガンという最悪なもので、手のほどこしようがなく、同年12月25日12時47分、48歳という若さで、旅立った。 

これで私の人生観が変わり、"長生き持論"は完全に崩壊した。私は今まで"死ぬことはまだ先だ"と思っていたが、これで死は身近なものへと変わり、人生を100パーセント楽しむことができなくなった。あれ以来、"私も48歳で亡くなるのではないか?"という不安をかかえている。また、私の人生で、クリスマスを迎えることはなくなった。毎年12月25日は"逸見さんをしのぶ日"である。12月に入ると、悪夢の出来事を思い出す。できれば、12月25日は"欠番日"として欲しいぐらいだ。 

1994年1月、ふと本屋へ足を向けたら、逸見さんに関する本が3種類売っており、迷わず1冊ずつ購入した。その中で、印象に残っているのは、『新版 魔法のまじめがね ブラウン管は思いやり発信局』(ネスコ刊)という逸見さんが書き下ろした単行本だ。 

この本を読んで驚いたのは、物事に対する考えがほとんど同じことである。違うというところをあげると、逸見さんは東京、大阪の文化を理解しているのに対し、私は大阪の文化を理解していない。東京に大阪の文化を持ち込まれるのがシャクにさわるからで、当時、逸見さん以外の関西出身者は好感が持てなかった。

なぜ、逸見さんに好感が持てたかというと、関西弁をしゃべらないからである。 

それは東京のテレビ局のアナウンサーになる夢を持っており、アクセント辞典をボロボロになるまで読みあさり、身につけたことに共鳴と共感を持ったからである。 

関西人はどこでも関西弁で押し通そうとする悪い点があり、この当時は関西芸人が東京に進出していた絶頂期だったから、イヤでイヤでしょうがなかった。現在は琉球文化の東京進出(おもに料理店)を歓迎しているので、自分勝手かもしれない。だが、関西はよく旅をするところで、現地の文化にケチをつけたことはなく、"東京もこうあるべきだ"と思うこともある。年齢を重ねてくると、考えても違ってくるものなのだろうか。

逸見さんは弟が1人いたが、ガンのため、32歳という若さでこの世を去った。弟は結婚が決まり、御茶ノ水にある山の上ホテルで挙式をあげるはずだった。しかし、逸見さんは弟にガンに侵されていることを告げなかったという。そして、十数年後、逸見さんも同じ病気にかかり、親御さんより先に遠くへ行ってしまった。 

逸見さんが記者会見を開いた1週間後、私の親戚もガンのため45歳という若さで亡くなった。数か月後、母から「ガン」という言葉を耳にしたとき、背筋が凍った。ガンへの憎しみが芽生え、逸見さんには生還して欲しいと願ったが天に通じなかった。 

もし、私が本当にガンにかかってしまったら、病名はきちっと告知して欲しい。ガンへの憎しみは誰よりも持っている自負はあるし、周囲にいつわりのない公表をすることで、"必ず生還してみせる"という戦闘意欲をかきたてるだろう。不安なのは治療費といったところである。  

実を言うと、私は生命保険に加入していない。貧乏な生活ゆえ、払うカネがないこともあるが、"死ぬことを前提としている"のが気に食わないからだ。 

残念なことではあるが、"生きもの"である限り、死を迎えないことはない。この世にいるよりも、あの世にいるほうが長い。

だが、常に生きる意欲がある限り、そういうことは考えたくない。アメリカでは1200万円払えば、冷凍保存し、蘇生する研究をしているという。私は死んで荼毘にふされるのは本意ではない。変わり果てた姿を見せられるのは残酷だ。アメリカみたいに埋めてくれたほうがマシだ。 

ガンは戦争と同じように、くりかえしてはならない。それなのに、日本人の死亡率の上位に必ずガンがある。

これは私の考えだが、煙草を抹殺すれば、ガンの発生率や死亡率は大幅に下がるはず。日頃から声を大にして言っていることだが、いいかげんに煙草の売買を禁止してほしい。近年、喫煙マナー向上の呼びかけや、美化するCMを流しているが、世界的に禁煙指向が進んでいるにもかかわらず、それをはむかう行為は絶対に許せない。煙草は健康にいいメリットがあるのならば、教えてもらいたいものだ。それが1つもないのなら、公共の施設は全面禁煙化して、"公害"を排除すべきだろう。 

誤解して欲しくないのは、すべての喫煙者を嫌っているわけではない。私自身、お世話様になっている方はいるし、すべての喫煙者は性格が悪いワケではない。ただ、なんで煙草に手を染めてしまったのか、そんな理由を聞きたい。 

意外なことだが、逸見さんは1日60本も煙草を吸っていた時期があったという。煙草をやめた理由は糖尿病にかかり、医者に「長い時間をかけて、自殺するようなものですよ」と言われたからだという。

最後に、私が心に誓っていることは、12月25日は旅に出ないこと、そして、旅先にいないことである。

(この記事は、『岸田法眼のRailway Blog.「12月25日」』から転載しました。転載に際し、加筆、修正を行なっています。)

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