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ショッピングモール化するメディア、独自性を発揮するには

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地方都市の郊外に大型のショッピングモールが開業して、中心市街地がどんどん廃れていく。そんな構図は全国各地で繰り広げられているが、メディアの世界でも同様のことが言えるかもしれない。インターネットを通じて全国のことが瞬時に知ることができるようになり、情報発信も容易になった半面、ショッピングモールがいつの間にか撤退して空き地になってしまうかのごとく、話題が短期的に消費されてしまうようになった。地域メディアが独自性を発揮するためには何が求められているのだろうか。

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法政大学の藤代裕之准教授(左)と駒沢大学の山口浩教授

■画一化やファスト化がメディアでも進むのか

インターネットの登場でメディアをめぐる環境は激変し、独自性の乏しい地域メディアは淘汰されてしまう可能性がある。法政大学の藤代裕之准教授は、その状況が流通業と似ていると指摘する。

以前から地方新聞は地域資本の百貨店に似ていると考えていました。地域の百貨店は、消費という点では東京の情報や文化、流行を地方に伝える「窓」でもあり、イベントなどで地域の情報や文化も支える役割を担ってきました。ただ、流通の世界ではファスト化が起きています。最近話題の大型の郊外型ショッピングモールが進出して、中心商店街が死に、地方の独自性や共同性がなくなると三浦展は「ファスト風土化する日本」(2004年)で指摘しています。

前回の記事(話題を食い荒らす、ネットの「コンテンツイーター」を防ぐには)で、ソーシャルメディアでネタを発見して一瞬のうちに食い荒らしていくことを「コンテンツイーター」と表現したが、ファスト化がコンテンツイーターを生み出しているともいえる。ヤフーニュース編集部の伊藤儀雄氏は、

情報消費のスピードが加速しています。以前はネットでじわじわ盛り上がっていたものも、一気に拡散して短時間でメインストリームになるようになりました。情報流通と消費のサイクルが早くなり、ユーザーは早く次の展開を求めるようになる。結果として、飽きられるのも早くなり、コンテンツの芽が育つ間を与えず、食い荒らしているともいえます。

そして、最終的に行きつく先について、藤代氏は、

最悪のケースでは、大型の郊外型ショッピングモールが進出し、儲からなくなったら撤退して荒涼たる風景になるように、メディアもファスト化するのかもしれない。ただ、ファスト化というとイメージが悪いのですが、大型の郊外型ショッピングモールは地域の人の要望でもあり、便利で快適な空間が出現することもあって、一面的に批判されるものでもないでしょう。このような流通の変化がメディアの世界で起きないか、という仮説を考えてみたいのです。

この流通業界の構造は、飽きられてネタが消費される「コンテンツイーター」の構造に類似している。では、メディアの中でも、これまで圧倒的な影響力を誇ってきたマスメディアはこの流れにどう対応しているのだろうか。

■テレビはファスト化で生き残る、新聞は・・・

メディアにとっての1つの方向性は、自ら画一化やファスト化にマッチした方向に向かうことだろう。その一例として、藤代氏は、

例えば、テレビはファスト化することで生き残っていると考えるのはどうでしょう。「テレビがつまらない」「大学生が見ていない」という意見もあるのですが、ある会合でテレビ局の人に「そういう意見を言う人はターゲットにしていない」と指摘を受けました。確かに調査データを見ても全体ではテレビの視聴時間は減ってない。全てではないでしょうが、地方や郊外に向けて番組を作っている状況はあるようです。

まさに、上昇志向がなく、地元の仲間とつるんでショッピングモールに入り浸っている「マイルドヤンキー」たち向けのメディアになっているのかもしれない。彼らは仲間を大事にするが、地域のことにはさほど興味がない。地域性を重視したフリーペーパー「新潟美少女図鑑」を発行するテクスファームの加藤雅一プロデューサーも

東京へのあこがれは年々減っているような気がします。昔と比べると、みんな東京に行きたいわけではないように感じます。

そういった状況の中で、どう展開していけばいいのか。

ショッピングモールとテレビの一体化は感じます。小さいメディアとしては、それらに対抗するのではなく、違う土俵にいたいと考えています。広告ありきのメディアとショッピングモール的なものとのつながりも深いですが、いずれ消費をあおる動きは頭打ちになって適正規模まで縮小すると思います。

一方で、地域で培ってきたメディア環境は、そう簡単には変わらないという考え方も当然あるだろう。敬和学園大学の一戸信哉准教授は、

消費の領域ではブルドーザーのようにのみこまれますが、メディアの場合は違うのではないでしょうか。地方独自のニュースのコンテキストは明らかに存在しているので、とりわけそれぞれの地域の人々の利害関係に関わるところでは、独自のメディアはきちんと残るでしょう。こうしたコンテキストは簡単にはひっくり返りません。たとえば農業関連のニュースを例にしてみても、東京と地方では受け止め方が違うでしょう。

では、そういったコンテキストをどうやって地方に残していくのかを考える必要がありそうだ。巨大化、ファスト化したメディアの一方で、どんな姿が描けるのだろうか。

■リアルの生活と情報との掛け合わせが重要

地域メディアの生き残り方として、伊藤氏は、「地域」という枠だけでくくらず、他のものと組み合わせることで独自性を発揮することを挙げる。

ウェブメディアは地域の壁を壊します。オンラインでの情報摂取という点で言うと、地域というのもクラスターの1つにすぎません。必ずしも人は地域の情報だけを知りたいわけではないですから、単に地域のメディアというだけでは、数多ある他のクラスターとの競合になってしまいます。やはりリアルの生活と情報との掛け合わせが重要で、「美少女図鑑はファッション関係のリアル店舗と、地域を掛け合わせることでうまくいっています。そこが、世界中に無数に存在する単にファッションでくくるウェブメディアとの差別化になっているのではないでしょうか。

加藤氏は、今の「地域活性化」というキーワードが、あくまで外向きのものになっていることを指摘する。

僕らは生活者として自分たちの住む場所を面白くしたいのですが、「地域活性化」という言葉はどこか外の感覚でやっているように感じます。例えば地域活性化を考える際によく出てくる「観光」というキーワード。新潟のように観光スポットが少ないと言われる地域ならば、「観光」は戦略から一度捨てて、生活満足度を高めることに注力する。たとえば空き商店街を面白いアパートにするとか、税金を安くするとか。中の人の満足度を上げれば、外から人が来るようになると思います。生活者が増えれば、そこに商売が生まれる。そういう展開順序でも良いでしょう。長期的な戦略がないままPRキャラクターを作っても仕方ないのです。

確かに、「地域活性化という言葉にとらわれ過ぎて、身動きが取れなくなるというのも良くないかもしれない。さらに藤代氏は、単にコンテンツを作るだけでなく、自ら動く「アクティビスト」が必要でないかと主張する。

一種のビジョンを示して、地域をあるべき姿にしていこうと働きかけることです。美少女図鑑の場合だと、「おしゃれでこういう人が住んでいるよね」ということを提示する感じでしょうか。単なる中立ではなく、編集の意志がないと地域には影響力を与えられないのではないでしょうか。

ただ、一つの極論として、そもそもなぜ地域を振興しなければならないのかという根本的な疑問も浮かんでくる。駒沢大学の山口浩教授は、

果たしてショッピングモールが撤退するのは最悪シナリオなのでしょうか。人口がいなくなって地方が崩壊しましたというのは、住んでいる人にとって不幸なのでしょうか。極論すれば、みんなが東京やその近辺に住んで何が悪いのか、ということです。歴史を振り返れば、時代とともに人は移動してきました。ほんの数百年前は日本有数の都市だった場所が鄙びた田舎町になっていることも珍しくありません。土地を守る、既存の土地を守るといっても、たいていは無理でしょう。

では、どうあるべきなのだろうか。

「地域活性化」というターム自体が、昔の繁栄を取り戻すことはできないという前提でのいわば「逃げ」に使われているように思います。人の動きを止めることができないなら、地域そのものを無理に維持しようとするより、移動を強いられた人たちの支援に力を回した方がいいのではないでしょうか。

市場原理に任せていれば、非効率なものは淘汰されるという考え方に近いのかもしれない。それは「地方切り捨て」論として批判を受けてしまうかもしれないが、人口減少社会を迎えて、地方分権、地域活性化という言葉を「錦の御旗」のように掲げていればどうにかなる時代ではない。何のために地域を活性化するのか、そして、メディアを作るのか。その根本が問われているのではないだろうか。(編集:新志有裕)

「誰もが情報発信者時代」の課題解決策や制度設計を提案する情報ネットワーク法学会の連続討議「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」の第10回討議(14年3月開催)を中心に、記事を構成しています。