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自由なくして平和なし。自由こそ命を守る強さの源泉

2015年08月16日 22時49分 JST | 更新 2015年08月16日 22時49分 JST

お盆休みは如何お過ごしだったでしょうか?

私は母方の故郷であります茨城県内で岡倉天心ゆかりの北茨城市の五浦海岸にて、明治以降の日本の変遷、その伝統的な文化・芸術、風光明媚な自然に触れそして、健在の98歳の祖母を訪ね幼少期を過ごしました行方市の麻生で終戦記念日を迎え、戦後70年を家族と振り返った夏となりました。

今朝の日経新聞にて「降伏後の戦争 占守島、ソ連侵攻で多数の犠牲者」という特集記事が掲載されました。

「終戦の日」の15日、国内外で戦没者を追悼する行事が行われた。70年前のこの日に終戦を伝える「玉音放送」が流れて以降も続いた戦禍がある。千島列島の最北端に浮かぶ小島、占守(シュムシュ)島。1945年8月18日、ソ連軍と日本軍守備隊が衝突した。双方で3千人以上が死傷したとされるが、今も正確な経過は分からない。島には遺骨が取り残されている。(日経新聞)

2012年北海道恵庭市へ視察に行き、自衛隊の駐屯地に立ち寄った時のことを思い、ようやく、大手メディアもこの件をとりあげてくれたかという思いと、あまりにも看過されてきたのではないかという2つの思いを込めて改めてご紹介させていただきたいと思います。

北恵庭駐屯地の第72戦車連隊といいますと、ある軍人を思い出します。

皆さん、池田末男という人をご存じですか?

1945年8月15日以後の停戦協定に従い武装解除後、千島列島の最北端の国境の島「占守島(しゅむしゅとう)」に突然武力攻撃を以って侵攻して来たソ連軍。そこには、島民と、食糧増産のため缶詰工場で働くため内地から派遣されて来た400~500人の女子工員がいました。虐殺、強姦から彼ら彼女らを守るため、武装解除で砲も外し海中投棄される直前だった約60両の戦車を急遽修復し、軍服も破棄していたためワイシャツ姿で元部下を引き連れ即防戦と反攻に移り、400人の子女が島を脱出するまでの時間を稼ぎ、この時間稼ぎが結果としては北海道のソ連軍による占領を防ぐこととなりました。(ご参考→「占守島の戦い」)

満州各地で起こった民間人を放置して真っ先に撤退した軍人達に対して、彼は民間人を救うために軍人が盾となった残念ながら稀な例となりました。

終戦も、不可侵を目途とした日ソ中立条約も、あらゆる法律ですらも、現実の暴力の前には空文に過ぎなくなるということを、敗戦国である我々日本人は常に認識する必要があります。

そのたびに、私は「池田末男」という男を思い出すのです。

教え子に作家の司馬遼太郎がおり、司馬は池田から大いに薫陶を受ける。のちに、「いまでも、私は、朝、ひげを剃りながら、自分が池田大佐ならどうするだろう」と自問し、「わからない。何十年たっても答えが出ない」と述べている(wikiより)

目の前の婦女子を救うことが、結果ソ連の北海道侵攻から日本を守ることとなった...。民間人を犠牲にすることを厭わなかった軍人らと彼の大きな差は、無辜なる人々の命と自由を守ろうという強い意志、本当の強さの有無。

空文に振り回されない冷静さと知性を持ち、普段は真摯にあまねく人々と接し、ひとたび目前の理不尽あらば敢然と闘うその強さ・決断力の根源は、自由を知り自由を享受できる民主主義的精神にあると私は思う者です。

終戦を迎え本来は、その義務から解放されたにもかかわらず命をもって職責を全うした彼が忘れ去られ(←今回の日経記事にも触れられていない)、真の英雄として戦後広く知らされていないことは誠に残念なことです。

「戦車隊の神様」と呼ばれた男。池田末男大佐、1945年8月18日没。享年45歳。

【お姐総括】

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命ありて人権あり

人権なくして自由なし

自由なくして平和なし

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(写真:創立1200年。手つかず神の世界と森の残る北茨城市花園神社)

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(2015年8月16日「上田令子のお姐が行く!」より転載)