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昭和天皇実録、宮内庁が公表 激動の時代歩んだ苦悩や葛藤浮き彫りに

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昭和天皇=1987年4月、東京・皇居 | 時事通信社
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宮内庁は9月9日、昭和天皇の活動記録を24年余りかけて編纂した「昭和天皇実録」の内容を公表した。側近の日誌などをもとに天皇の動静が克明に記され、新たな資料や回顧録の存在も明らかになった。時事ドットコムなどが報じた。

実録は計61冊(目次・凡例1冊含む)、1万2137ページ。1901年4月29日の誕生から、89年1月の87歳での逝去、2月の大喪の礼、91年3月30日の昭和天皇武蔵野陵の陵籍登録まで、確実な史料に基づき原則口語体で年代順に記した。

新事実やあまり知られていない事実は、宮中にクリスマスの風習があったこと、学習院初等科時代の日記や運動会についての作文、両親の大正天皇らに宛てた手紙、寓話(ぐうわ)、23歳のときの鼻の手術、戦時中に伊勢神宮を参拝した際の「御告文(おつげぶみ)」の内容など。ポツダム宣言受諾を決めた御前会議に昭和天皇が出席したのは45年8月10日午前0時3分で、前日9日深夜開始ではなかったことも確認された。

(時事ドットコム『戦中の苦悩、克明に=少年期の作文、鼻手術-「昭和天皇実録」公表・宮内庁』より 2014/09/09 06:04)

天皇、皇后両陛下に献上された「昭和天皇実録」=8月19日、宮内庁書陵部[代表撮影](時事通信社)

公開にあたり、開戦や終戦を決めた御前会議や連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥との会見といった昭和史の重要局面での昭和天皇の発言内容などが注目された。しかし、これまでの研究の内容が大きく見直されるような記述はなかったという。

また実録は、戦前、軍部の専横に不快感を抱きながらも戦争に至る事態悪化を止められず、戦後も戦争責任を問われ続けた苦悩を、新資料による事実を交えながら浮き彫りにした。

宮内庁によると、編さんで使った資料は「侍従日誌」など非公開の内部文書や「百武三郎日記」など約40件の新資料を含む3152件。研究者らは「通説を覆すような記述はない」としている。

日中全面戦争に拡大していた1939年7月5日の実録には、天皇が、板垣征四郎陸相に「陸軍の体質に関する御批判・御不満」をぶつけた、と記した。

(47NEWS『昭和天皇、軍部専横止められず 「実録」公表、苦悩浮き彫り』より 2014/09/09 05:01)

MSN産経ニュースは、昭和天皇が最終的にポツダム宣言受諾を決意したのはソ連軍が満州に侵攻したとの情報を得た直後で、ソ連参戦がこの決断の直接原因だったとみられる、と報じている。

昭和天皇のポツダム宣言受諾決意の時期には、広島や長崎への原爆投下時、ソ連参戦時など諸説あったが、実録を分析した京都大の伊藤之雄教授(近現代史)は、広島への原爆投下時では2日後に終戦の意向を閣僚の東郷外相に伝えたのに対し、ソ連参戦時は直後に側近中の側近だった木戸内大臣に指示した点を重視。「ソ連参戦がポツダム宣言受諾を最終的に決意する原因だったことが改めて読み取れる」としている。

(MSN産経ニュース『【昭和天皇実録】「ご聖断」ソ連参戦で決意 報告の18分後「終戦」側近に指示 公表の「実録」時系列から判明』より 2014/09/09 05:10)

昭和天皇実録の閲覧は9日、宮内庁書陵部で始まった。2015年3月から5年をかけて順次、書籍として出版される予定。

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