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土井たか子・元衆院議長が死去 「ダメなものはダメ」で社会党を大勝に導く

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DOITAKAKO
社会党第51回全国臨時大会で正式に委員長に就任し、新執行部の人たちと壇上で気勢をあげる土井たか子委員長(東京・千代田区の日本教育会館)撮影日:1986年09月08日 | 時事通信社
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日本社会党委員長や社会民主党首、衆院議長などを務めた土井たか子(本名・土井多賀子)氏が9月20日、肺炎で死去していた。85歳。葬儀・告別式は近親者で営まれたという。


国際軍縮促進議員連盟第3回総会で社会党の土井たか子衆院議員(左)から花束を贈られる新会長に就任した三木武夫元首相(東京・永田町の衆院第2議員会館)撮影日:1983年09月20日 (c)時事通信社

同志社大法学部卒。関西学院大学などの憲法学の講師を経て、佐藤栄作政権の1969年12月27日に投票された第32回衆院総選挙に日本社会党公認で立候補し、6万9395票を得て旧兵庫2区(定数5)から最下位で初当選した。

同じ総選挙で初当選した「同期」に、小沢一郎氏(元自民党幹事長、元民主党代表、現・生活の党党首)、羽田孜氏(元首相)、横路孝弘氏(元衆院議長)らがいる。


社会党第51回全国臨時大会で正式に委員長に就任し、新執行部の人たちと壇上で気勢をあげる土井たか子委員長(東京・千代田区の日本教育会館)撮影日:1986年09月08日 (c)時事通信社

日本社会党副委員長だった1986年、衆院選の大敗を受けて石橋政嗣委員長が辞任し、後任の委員長に昇格した。リクルート事件に揺れる中で消費税導入を強行した竹下登首相らを、歯に衣を着せぬ物言いで厳しく追及。1989年に竹下政権を退陣に追い込んだ。


次々と当選が決まり、バラを両手に満面の笑みの山口鶴男書記長(左)と土井たか子委員長(東京・永田町の社会党本部)撮影日:1989年07月23日 (c)時事通信社

消費税導入への反発や、宇野宗佑首相の女性問題などを追い風に、「だめなものはだめ」「やるっきゃない」などの言葉で自民党への攻勢を強めた。女性候補を大量擁立して1989年7月の東京都議選で議席3倍増、同月の参院選では改選議席を倍増させて自民党を上回るなど大勝し「マドンナブーム」や「おたかさんフィーバー」と呼ばれた。参議院では自民党が過半数を割り込み、土井氏が女性として初めて参議院で内閣首班指名を受けた。(両院協議会で衆議院の優越の原則により、衆院指名の海部俊樹氏が首相に)

(注:消費税導入を狙う自民党への対応方針を問われ)「消費税についての違いははっきりしています。少々の手直しで引き下がるわけにはいかない。国民や野党の声に耳を傾けず、数に任せて平然と公約を踏みにじるような国会のどこに議会制民主主義が存在しますか。ダメなものはダメ。無理なものは無理。筋を通したいと思います」

(朝日新聞1988年7月13日付朝刊より)

午前11時20分、千代田区永田町の党本部に姿を見せた土井委員長は、(中略)感想を求められて「怒りの一票が政治を変える、ということね」。さらに「山の動く日来たる」と、与謝野晶子の歌を引用し「眠っていた山が動き出したということです」と語った。

午後1時前には千代田区西神田の都本部選本にピンクのスーツで姿をみせた。「これだけバラが並ぶと壮観ね」と言いながら、候補者一覧表の前で、選対本部長の山口書記長とがっちり握手。「何かもう、胸がいっぱいで……。責任の重大さを痛感します」と喜びをかみしめた。「女性の当選者は12人。ウーマンパワーにいよいよ火がついたのです」とも。ひな壇に並ぶ選本幹部たちも、委員長の一言ひとことに笑顔でうなずいた。

(朝日新聞1989年7月3日付夕刊より)


社会党臨時中央執行委員会で現執行部の総辞職を決め、涙を浮かべて記者会見する土井たか子委員長(東京・国会)撮影日:1991年06月24日 (c)時事通信社

1990年2月の衆院総選挙でも「おたかさんブーム」は、社会党は改選を51議席上回る136議席を得たが、自民党も275議席を獲得して安定多数を維持した。しかし1991年4月の統一地方選では、道府県議の当選者数が過去最低となり、東京都知事選の推薦候補が4位と大敗。責任を取って、翌月に辞任した。


衆議院本会議で戦後50年の国会決議が採択された後、あいさつする村山富市首相。後方は土井たか子衆院議長(東京・国会)撮影日:1995年06月09日 (c)時事通信社

1993年7月の衆院総選挙で、細川護熙首相を首班とする8党連立政権が発足。女性初の衆院議長に選出された。


議席が伸び悩む中、厳しい表情で互いの名前に当確のバラをつける土井たか子党首(右)と村山富市社民党特別代表(東京・永田町の同党本部)撮影日:1996年10月20日 (c)時事通信社

1996年、社会党を改称した社民党が発足。村山富市党首の「自衛隊合憲」発言などの政策大転換があった。同年10月の衆院総選挙直前に、衆院議長から党首として復帰したが、社民党は議席30が半減する壊滅的敗北を喫した。1998年6月、自民・社民・さきがけの3党連立政権を離脱した。


秘書給与詐欺事件で辻元清美前議員らが逮捕され、記者会見に臨む土井たか子社民党党首(左)と福島瑞穂幹事長(午後9時50分、東京・永田町の同党本部)撮影日:2003年07月19日 (c)時事通信社

2003年7月、社民党所属議員だった辻元清美氏(現・民主党衆院議員)が「名義貸し」の方法で政策秘書の給与を詐取していた容疑で逮捕され、土井氏の元政策秘書も共犯容疑で逮捕された(ともに執行猶予判決)。


空白の当確者名簿を背に質問に答える土井たか子社民党党首(東京・永田町の同党本部)撮影日:2003年11月09日 (c)時事通信社

2003年11月の衆院総選挙では辻元氏の事件への対応のほか、前年に北朝鮮による拉致問題が発覚し、過去の北朝鮮寄りの姿勢などが批判され、小選挙区の兵庫7区で自民党候補に初めて敗れた(比例近畿ブロックで復活)。社民党は6議席と低迷し、土井氏は党首を辞任した。


拍手で共同街頭演説を終える民主党の小沢一郎代表(左から3人目)ら。左端は土井たか子社民党前党首(東京・巣鴨)撮影日:2008年06月04日 (c)時事通信社

2005年9月の衆院総選挙では、比例近畿ブロック5位単独で立候補したが落選し、議席を失った。以後、選挙には立候補せず、元議員として講演や政治活動を続け、護憲や平和を訴えていたが、2010年以降は公の場に姿を現すこともなくなっていた。

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