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戦艦大和の最期から71年 「お前は若い。頑張って生きろ」上官がくれた命

2016年04月06日 16時12分 JST | 更新 2016年04月06日 16時14分 JST
時事通信社

旧日本海軍の戦艦「大和」が太平洋戦争末期に沈没してから、4月7日で71年を迎える。

大和は1940年8月に進水。開戦直後の1941年12月に就役した。当時世界最大の46cmの主砲を備え、開発当時は「不沈艦」と称された最先端の戦艦だったが、第二次大戦では戦艦同士の砲撃戦から、空母と航空機を主体とした戦いに時代は移り変わっていた。無数の航空機の爆撃に晒され、自慢の46cm主砲が活躍する機会はほとんどなかった。

すでに日本の敗色が濃厚となっていた1945年4月、沈没前提の特攻作戦として沖縄に向い、アメリカ軍の攻撃で4月7日、鹿児島県沖で沈没した。約3000人の乗員のうち生還したのはわずか276人だった

敵機との距離を測る測的手だった八杉康夫さん(当時17歳)は、沈没寸前の大和から海中に飛び込んだ。上官に救われて九死に一生を得たという。彼は時事ドットコムのインタビューで次のように語っている。

泳ぎは得意だったのですが、傷を負ったこともあり、重油があふれる海で溺れだしました。「助けてくれ」と思わず叫んでしまい、すぐにしまったと後悔しました。

すると、そばにいた高射長が近づいてきました。怒られるのかと思ったのですが、高射長は「落ち着け。もう大丈夫だ」と優しく声を掛けてくれました。そして「お前は若い。頑張って生きろ」と、つかまっていた丸太を渡してくれたのです。礼を告げた後、しばらくの間、泣いていました。

上官がくれた命 戦艦「大和」生還兵の証言:時事ドットコム 2016/04/06)

その後、八杉さんは同行していた駆逐艦「雪風」に救助されたが、高射長は大和が沈んだ方向に向けて泳いで行き、艦と運命を共にすることを選んだという。

「多くの人が生きようともがいて死んでいった。二度とあんな時代に戻りたくない」。朝日新聞のインタビューで八杉さんは、そう振り返っている。

戦艦大和 写真集