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「"死ぬまで、どう生きるか"を選択しよう」佐々木淳さんに聞く、これからの在宅医療

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自分や近しい人の最期について、しっかりと考えたことはあるだろうか。

病院に長期入院せず自宅療養したいときは?
通院がむずかしくなったらどうすればいいのか?
介護している家族が、自宅で最期を迎えたいと言ったら?
独居の場合は、誰に助けを求めたらいいの?

そんな人たちに手を差し伸べているのが、在宅医療だ。具合が悪くなったときにだけ医師が足を運ぶのではない。定期的に診療へ行って健康管理を行う訪問診療だ。

高齢化社会のキーである在宅医療。しかし、在宅医療を標榜していても緊急時や在宅での看取りに対応しておらず、十分な診療実績を持たないクリニックも多い。最期まで自宅で生活することを望む人の多くが、病院で亡くなっている現実もある。

そんな在宅医療界においてフロントランナーとして活動しているのが、医療法人社団 悠翔会。2006年の開設以来、延べ1万2000人の診療を担当している首都圏有数の在宅医療専門クリニックだ。2016年、アジア太平洋高齢者ケア・イノベーション・アワードでは2部門で最優秀賞を受賞している。

32歳のときに悠翔会を立ち上げた理事長・診療部長の佐々木淳さんに、これまでの歩みや、高齢化社会の訪問診療のありかた、一人ひとりの最期の向き合いかたについて話を聞いた。

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■医師の仕事は、病気を治すこと?

――佐々木さんは1998年に筑波大学を卒業後、三井記念病院の内科へ就職されましたね。

はい。三井記念病院の内科・消化器内科で5年半働きました。その頃の僕は、「医師の仕事は、病気を治して患者さんを救うこと」だと思っていました。つまり、治せないのは悲惨なことで、患者さんに申し訳ないと考えていたんです。

僕は同病院に勤めたうちの2年半は肝臓がんの治療ばかりを担当しました。肝臓がんの患者さんは基本的に、肝臓の組織が本来の機能を十分に果たせなくなる肝硬変を持っています。できる限りの治療をして、がんを取り切れたらいいけど、肝機能が下がって再発することもあるんです。

――治せる限りは治療をするけれど、限界もあると……。

抗がん剤の治療をしても、効かなくなってきたらごめんなさい、と言うしかできないんです。診ていくと、治せないケースのほうが多くて。完治はせずに「治せるところまで治す」という人がたくさんいるのが現実だったんです。

彼らに対し病院はできることがない。医師は「もう病院に来なくていい」と言うんです。僕は、「医師の仕事はこれで終わりか。残念だな……」と感じていました。

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■障害や病気があることは、不幸なのではない

その後、上司にすすめられて、ドクターの学位を取るため東京大学大学院に進学し、学生なのでアルバイトをしないといけない状況になりました。実は、そこでたまたま見つけたのが、週に2日、新宿区内の在宅クリニックで働くアルバイトだったんです。他より、お給料が良かったから行きました(笑)。

でも、院長の診療に同行したら、何も医療行為が行われないので驚いたんです。例えば、寝たきりのおばあさんを診察して「お薬を出しますね。では」と失礼する。病院でがんの治療をバリバリとやってきた僕からすれば、「こんなのは医療じゃない!」と思いました。

――まったく別の世界を体験されたんですね。

当時の僕は、治らない人と向き合うことは居心地が悪かったんです。でもあるとき、大切なことに気づかせてくれた患者さんがいました。

全身の筋力が弱まっていく難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)により人工呼吸器を装着している女性です。手足は動かず、胃ろう(口からの飲食がむずかしい場合、チューブを取り付け、栄養剤などを胃に注入すること)をし、一生延命治療をしなくてはいけない方です。

何度も通い、仲良くなってきた頃に「つらくないんですか」と聞いてみました。すると「私がこの病気になったからこそ、旦那はいつもそばにいてくれます。そんなにつらくないし、困っていないんですよ。人工呼吸器はきちんと設定されていれば、ついていることに気づかないほどです」とおっしゃった。

――困っていない、と。

彼女は電子書籍を出版したり、ときにはホテルのビュッフェに行ったり、できる限りの工夫をして人生を楽しんでいました。それで「障害や病気=不幸」ではないんだ、と気づかせてもらったんです。

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診療中の佐々木さん

■在宅医療は自由でクリエイティブなもの

――病院での医療と在宅医療は、なぜこうも違うのでしょう。

病院では、そもそもICIDH(国際障害分類)という考えかたに基づいて治療をしています。体の機能の障害による生活機能の障害を中心にし、病気がない状態を100%としたときに患者が何%か、と診ていくんです。例えば、ALSの患者さんは動けないし話せないので、健康度は0%となってしまいます。

僕が在宅医療に関わって初めて知ったのが、ICF(国際生活機能分類)という健康観で、ICIDHの考えかたに環境因子の観点を加えています。生きること全体を評価する指標で、体に障害があっても、それを何かで補っていれば社会参加もできる。それこそが健康だ、という考えなんです。

――ICFは「完治しない=不健康・不幸」とするのではないんですね。

病気や障害は個性の一つです。人間、誰もがマイノリティの側面を持っているもので、マイノリティでも生きていけるって快適なことだと思います。在宅医療の使命は、その人の強みを医療者が見つけ出し、それを軸に弱いところを補強して、生活や社会参加が主体的にできるように環境を整え、サポートすることではないかと感じたんです。

病院での治療はガイドラインに沿って行うので、基本的に治療の仕方が全部決まっていて、それを提供しています。病院にいると、治療を最優先しないといけないんですよね。

そういう意味で「在宅医療は自由でクリエイティブだ!」と気づきました。例え胃がんでステージが進行していても、治療を優先しないのも患者さんの自由ですから。例えば、「〜〜時にうかがってもいいですか」と患者さんに聞くと、「その時間帯は楽しみにしているテレビがあるから」とおっしゃる人もいる(笑)。それでいいんです。

こうしてこの世界にハマり、「在宅診療をやろう! 僕にはこれしかない!」と思いました。

sasaki

■首都圏を中心に約3000人の患者さんを診る

――それで2006年に、32歳で在宅クリニック・悠翔会を開設されたのですね。

はい。東京都千代田区で訪問診療を開始しました。開業当時は24時間対応の在宅クリニックが少なくて、患者さんは急変したら救急車で病院へ連れて行かれていたんです。そこで、365日24時間対応にしました。

当時は僕一人で対応していましたが、今は当直医が院内に待機し、要請に応じて随時往診できる体制にしています。

また、僕は内科医ですが、内科だけで医療は成立しません。精神科、皮膚科・形成外科、整形外科、麻酔科、緩和ケア科など、専門医が対応できる体制にしました。

――どのように医師を確保していったのですか。

開業時に「理想の在宅医療を実現しよう!」と若く情熱あふれるメンバーが集まり、少しずつ増えていきました。

今は、受け持ちの患者さんが当グループ全体で3000人近くいます(2016年4月現在)。そのうち半分が施設にいる方で、半分が個人宅に住んでいる方です。個人宅のうち、8割が同居する家族がいる人で、2割は独居の人です。同居人がいても、働いていて日中は独居という人も少なくありません。個人宅の患者さんは、重症・終末期の人が多いことも特徴です。

――患者さんは、どうやって在宅医療を知るのでしょうか?

患者さんの半分は、病院のソーシャルワーカーや退院支援の人からの紹介です。他では、在宅療養中でだんだん病院に行くのが大変になった人を訪問看護士やケアマネジャーから依頼されたり、施設から依頼されたりして、お付き合いが始まります。

この10年で患者さんの数はずっと増えていますし、今後も増えていくでしょう。必要に応じて医師を増やす予定です。医師が多いほどチームの力は強くなり、担当ブロックを緻密に診ることができるからです。

訪問診療は半径16キロ圏内と定められていることから、当初は半径16キロ圏内で活動していましたが、移動時間が長いと多くの人を診療できないので、現在はそれを5キロ前後にしました。都心では約2キロ、ニーズが高く医師が足りない千葉や埼玉では約10キロになっています。今、首都圏を中心に9施設のクリニックがあり、2016年10月に渋谷区で新たに開設予定です。

■自分の人生に対して責任を持とう

――訪問診療を通じて、どのようなことを感じていますか。

ここ数年の変化として、日本人の「死」に対する意識が異常に高まっているように感じます。でも、なぜか「死」や「死にかた」に対してだけ高まっているんです。

その状況には違和感があります。これまでに3000人以上の死亡診断書を書いた経験から言わせていただくと、「死にかた」を選べる人なんていないんです。残念ながら希望が叶うのはわずか5%くらいで、ほとんど希望通りにはならないんですよね。

厳しいかもしれませんが、一般的な日本人は、自分の人生に対して責任感がなさすぎると思います。「病気になったら病院にいけばいいんでしょう?」「具合が悪くて病院に来ているんだから、診てもらうのは当たり前でしょう?」「医師がなんとかするのは当たり前でしょう?」という人が、なんて多いことでしょうか。

医師は必要な手助けをしますが、人生の責任までは取れません。あなたの命であなたの人生ですから、自分で采配すべきです。どう死ぬかを選ぶことはできないけれど、「生きかた」は選べるんです。

sasaki

■大好きな仕事を全うし、家族に見守られて旅立った男性

――自分の人生に責任を持っていた、印象的な患者さんはいますか。

開業して3年目くらいの頃、僕が主治医をしていた患者さんにシステムエンジニアの男性がいました。彼は52歳のときに肝障害と言われ、調べたら肝がんだったんです。5年治療をしたけれど、改善しませんでした。

57歳で抗がん剤治療をするか否かの判断をしなければならず、彼自身がネットで調べてほとんど効かないことを学び、治療を選択しなかったんです。

残されている時間は約3カ月だと思われ、彼自身もそれを知りました。その頃、彼はクライアントからある重要な仕事を受けていて、注力していたんです。「この仕事が終わるまで死ねない」とおっしゃった。そこでその3カ月を自宅で過ごすことになりました。

最期の2、3週間はお腹に水がたまり、つらそうでしたが、だるさや痛みを取るよう調整して、彼は亡くなる3日前まで懸命に仕事をしました。そしてついに、仕事のシステムを納品したんです。高校生のお子さん2人と奥様と、みんなで見送り、彼は旅立ちました。

その後、銅版画家の奥様からお手紙をいただきました。とても素敵なお手紙で、大切にしています。お別れというよりは、残された家族が彼との最期の時間を共にできたことで、その最期を昇華して心に取り込んだのだなと感じました。

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患者の家族から届いた手紙の文面

■多くの人は最期を考えることを避けていて、覚悟がない

――健康な人に今できることとは何でしょうか。

健康を維持する努力を続けることだと思います。自分の命や人生に責任を持つということは、ふだんから自分で健康管理をきちんとして、何かあったら覚悟を決めるということです。

がんの看取りについて思うのは、多くの人は考えることを避けていて覚悟がないこと。治療が終わる瞬間まで「自分はいつか治る」と信じ、最良に期待するだけで、最悪に対して心の準備ができていないんです。

――なるほど……。自分の人生に責任を持つ一方で、家族とコミュニケーションをとることも大切ですよね。

まずは親のほうが「私が倒れたら老人ホームに入れて」「倒れても家にいたい」などと話しておくといいですね。一方で、支える側が「何か起きたらどうするか」をシミュレーションしておくことも重要です。

いざというとき、本人が意思表示できなくなる場合もあります。でも、人は大切なことを自分で決めたいと思っているもの。例え認知症であっても重症でなければ、きちんと話せる環境をつくって「どうしたいの?」と聞くと、答える人は多いです。

最近、何かあったときの希望をまとめておく「終活ノート」が話題のようですが、僕は健康で冷静なときの考えと、本当に危機がせまっているときの思考回路は、異なると思います。ですから状況によって気持ちが変わることを前提に、「どういうつもりだったのか」という文脈が大事です。

病気になってもやれることはあります。自分の「生きかた」にあった治療は何かを判断し、残りの人生の時間を有意義に過ごすこともできます。

皆さんが、“死ぬまでどう生きるか”をきちんと自分で選択してほしいと思います。

(小久保よしの)