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Zeebraはなぜ、風営法の改正運動に取り組んだのか? 人生を変えた「17歳の原体験」

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2016年6月23日、改正風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の一部を改正する法律)が施行され、深夜のクラブ営業が条件付きで合法となった。

この法改正には、政治家やクラブ事業者に加えて、アーティストやDJらでつくる「クラブとクラブカルチャーを守る会(CCCC)」が大きな役割を果たした。彼らが行った地道な活動と、クラブカルチャーへの思いとは? CCCC会長でラッパー・DJのZeebraさんに聞いた。

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■クラブ事業者に、立ち上がりづらい状況があった

――Zeebraさんが会長を務められているCCCCは、どんな団体なんでしょうか。

CCCC、われわれは「シーフォー」と呼んでいるんですけれども、クラブとクラブカルチャーを守る会(英語で"Club and Club Culture Conference")は、DJやアーティストが集まってできた団体です。

風営法の改正運動は昔からあって、クラブシーンでは「Let’s Dance署名推進委員会」が関西を中心に活動していました。あちらの運動が広がってきて、東京のDJ・アーティストもなにか考えなくてはいけないということで、いろんなジャンルのDJが20人ぐらい集まって勉強会をやったのが始まりです。

風営法の改正前は、午前0時(一部では午前1時)以降のクラブ営業は法的に認められていなかったので、(実際には)深夜営業を大前提にしているクラブ事業者はなかなか立ち上がりづらくて。一方で、風営法の改正運動は、社交ダンスだったりサルサダンスだったり、そういった方々が組織だって活動されていた。で、われわれがユナイトしないでいたら、クラブは絶対においてけぼりになるだろうということで、「まずはDJとアーティストでアクションを」とはじまったのがうちの会ですね。

会には(DJの)大貫憲章さんとか大先輩もいらっしゃるんですけど、先輩方から「はい、Zeebra、会長」って言われて。その辺は縦社会で決まったところもあるんですけれども(笑)。

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CCCCメンバーの集合写真。撮影:日浦一郎

――現在、CCCCとクラブ事業者側はうまく連携できているのでしょうか。

われわれが警察に行っても、ちゃんと話は聞いてくれるんですけれども、最終的には、「事業者さんが出てきてくれないと、込み入った話はどうしてもできないんですよ」ということになる。それを何度か事業者さんたちにお伝えさせていただいて。

クラブのオーナーさんたちに集まっていただいて、皆さんに現状を報告していくうちに、東京では日本ナイトクラブ協会(JNCA)という協会ができました。もう1つ、日本音楽バー協会(JMBA)っていう、もう少し小規模な店舗が多くて、いわゆるミュージックバーやDJバーなど、そういう方の団体もできて。そのほかにも、たとえば、渋谷の事業者さんが集まって、渋谷エンターテインメント事業者会(SEA)っていうのもできあがりました。

われわれが矢面に立ったことで、事業者さんたちも少し勇気を出してくれたというか。最終的には、事業者さんたちとダンス議連(「ダンス文化推進議員連盟」)と、そういったところが全部一緒くたになって、法改正という動きにつながったということですね。

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■「ふざけんな」って文句を言ってもはじまらない

――CCCCとしては、どんな活動をされているのですか。

法改正に向けたロビー活動もいろいろやってきたんですけれども、1つ、2年前ぐらいかな? 渋谷の清掃活動をはじめて。

われわれはいろんなことを言っているけれど、自分たちでもなにかコミュニティにプラスになるように動けることはないかと。

やはりクラブといった瞬間に、怪しげだったりとか、確かにちょっと暗かったりするじゃないですか。そういったイメージを変えるには、われわれは何ができるかと思って。

たぶん「クラブなんか行ってる連中っていうのはもう、『ヒューヒュー!』とか言って、周りを気にもせず大騒ぎばっかして、汚すだけ汚して帰るような連中なんだろう」って思ってる人たちがほとんどだと思うんですよ。でも、われわれは演者であると同時にクラバーで、楽しむほうの人間として考えても、そんなことないんですよね。

CCCCのメンバーはクラブに対してすごく責任感を持っているし、いまDJっていうともう50代、60代までいるんで、長年やっている人たちはかなりの常識人だと思いますし。そういった部分で、われわれに何ができるかってことではじめたのが掃除だったんです。掃除だったら、とりあえずやれるだろうと。やって、嫌がられるわけはないだろうと。

掃除をする意味として大切だったのは、クラブが終わる時間を狙っていくこと。朝の5時に、渋谷のクラブ街に著名DJたちが集合してゴミを拾っていたら、そこを帰るユーザー達はちょっと意識が変わるんじゃないか。そこにタバコを捨てようとは思わないんじゃないか、と。

だんだんロビー活動的な部分が、事業者会に移っていけばいくほど、われわれはマナー啓蒙のほうを意識してやっていくようになって。「PLAYCOOL」という啓蒙キャンペーンを立ち上げたんですけれども、それがいま一番の中心になっています。

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渋谷で清掃活動を行っている様子。撮影:日浦一郎

――風営法改正の活動において、一番苦労された点はなんでしたか。

法を変えるってことになってくると、単に「闘争」みたいなことではないと思うんですよね。話し合いであったり、譲歩だったりという部分がどうしても大切になってくる。ただ、やはりどうしても最初のうちは「そんな法律なんて気に入らねえ」みたいな人がたくさんいて。

はじめは自分もそう思いました、もちろん。「なんだその法律」って。だけども、それを「ふざけんな」って文句を言っているだけじゃ何もはじまらなくて。権利を主張するのであれば責任も果たさなきゃいけないという意識で動き出したんです。

で、ロビー活動を始めたころに、どうしても、政治的な動きが出てくるわけじゃないですか。それをあまり好ましく思わないっていう人もいましたよ。

超党派のダンス議連ができていたんで、そういう意味では気楽に、どの党に寄るっていうわけではなくやってきた。ただ、政治的な動きを好きになれないDJ・アーティストもいたんです。

そういう人たちがはじめ「いろいろやるけど、結局何もできないんじゃないか」とか、「いいようにされて終わるんじゃないか」って斜めに見ていらっしゃったのはあるんじゃないかなと思います。ただまあ、どんどんわれわれが動いていって、実際の結果を少しずつ出していくことで、みんなも理解を示してくれるようになったという感じじゃないでしょうか。

――逆に、活動されていて一番手応えがあった瞬間とか、これはいけると思った瞬間はありましたか。

どうですかね…。今回の風営法改正が決まるちょっと手前に、(2014年に)衆議院が解散したじゃないですか。その前に、結構なところまで話が進んでたんですよ。それで「さあ」と思ったところでいきなり解散してしまったんで、「あれ?」ってなって。「また1からか」と思ったんですが、意外とそれなりに話は進んでいたようで、半歩下がったぐらいのところからスタートできたのかな。

だから、2014年くらいのタイミングで「これはいけるかも」っていう感じがありました。

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ダンス議連の総会出席前。撮影:日浦一郎


■「なんだこのヒップホップってのは」

――Zeebraさんが社会的な活動に取り組むようになったのはなぜですか。

僕は一番はじめ、DJかラッパーかというとDJスタートなんですね。じゃあラッパーに何故なろうとしたかというと、理由が、17歳の冬にはじめて、ヒップホップが好きすぎて、ニューヨークに2カ月ぐらい行ったときのことにあるんですね。

僕はいつも、ニューヨークの友達にラジオの番組を録音して送ってもらって聴いてたんですけども、その番組が生で聴けるわけじゃないですか。で、聴いてたら、「明日お昼にみんな集まってパレードをするぞ」と。「ホームレスの人たちにシェルターを与えよう」という、“Home for Homeless”(ホームレスのための家)っていうキャンペーンのパレードをするから、聴いてる奴らみんな来いって言ってるんですよ。

そこには「誰が来る」「誰も来る」って、僕がものすごく崇拝してたような当時のニューヨークのラッパーたちが、わーっと名前が出てたんで「これはもう行くしか無いだろ」と。1月半の間にこんなにいっぱい、そんな人たちに会えるチャンスは他にないから。

で、次の日行ってみたら、ものの見事にいろんなアーティストがズラーっといて。ジェシー・ジャクソン師とかそういう方々、いわゆるブラックリーダーズたちも、いっぱいいたわけです。

で、フィフス・アベニュー(5番街)だったのかな? そこからパレードになるはずなんだけど、なかなかはじまんないのに業を煮やした、KRS-Oneっていう僕が一番尊敬しているラッパーがもう「はじめるぞ」つって、勝手に歩き始めちゃったんですよ。

そしたら、彼らのグループが5、6人と、そのあとに中学生が3人ぐらいタタタターッと追っかけてって。その瞬間、みたときに「俺も」って思って、一緒にいた日本人の女の子の友達と2人で追っかけてって。その10人ぐらいでパレードしたんです。

そのときに「すごいな」と思って。「なんだこのヒップホップってのは。こんな、ニューヨークの街のどまんなかを封鎖してメッセージを発せるカルチャーなのか」と。もちろん自分もずっとヒップホップが好きでしょうがなかったし、いろんなメッセージを聞いてびっくりさせられていたけど、これだけの影響力があることなのか、音楽でこんなことができるのか、と。

こんなの日本でありえないな。アーティストが街で、メッセージを伝えるためにパレードしてる、デモしてる。日本でそんなのありえないな。こういうことができるようになりたい。そう思って初めてラップを書いたんです。

だからそもそも、歌が歌いたいというのじゃなくて、メッセージを世の中に広げたいから歌を始めた。そもそもこれをやるつもりだったっていうことなんで。そういうことに、音楽が持っているメッセージの力、それを世の中に出したいなっていうのが、自分の活動における一番の中心なので。

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1988年、アメリカ・イリノイ州シカゴでライブを行うKRS-One(右)。左は、当時Zeebraさんが聴いていたラジオのDJだったDJ Red Alert。

われわれはヒップホップなんで、言葉のある音楽じゃないですか。他のジャンル、たとえばハウスだったりテクノだったりは、言葉を持たない音楽で。

もちろん趣味とかジャンルで違いはあると思うんですけれども、たとえば「クラブで踊れない」っていうこと1つに関しては、誰ひとりとしてそれで正しいよって思う人なんていないわけで、みんなが1つになれることだった。

そのなかで、われわれはちょうどラッパーで、言葉を持ってる連中だったんで、代弁者役として向いてたんじゃないかなっていうのはあるかもしれないですけどね。

(後編では、風営法改正の活動における具体的な方法論や活動の中で起きた変化、そして風営法改正後の展望について聞く。6月24日掲載予定)