「韓国のラスプーチン」朴槿恵大統領を陰で操る謎の女性・崔順実氏とは?

朴槿恵氏が大統領に就任後、崔順実氏との深すぎる関係が表面化し始める。
A man watches a TV screen showing the news program about South Korean President Park Geun-hye's apology, at the Seoul Railway Station in Seoul Tuesday, Oct. 25, 2016. South Korea's president offered a surprise public apology on Tuesday after acknowledging her close ties to a mysterious woman at the center of a corruption scandal. (AP Photo/Lee Jin-man)
A man watches a TV screen showing the news program about South Korean President Park Geun-hye's apology, at the Seoul Railway Station in Seoul Tuesday, Oct. 25, 2016. South Korea's president offered a surprise public apology on Tuesday after acknowledging her close ties to a mysterious woman at the center of a corruption scandal. (AP Photo/Lee Jin-man)
ASSOCIATED PRESS

韓国・朴槿恵大統領から、演説文や機密に関する文書などを事前に受け取り、青瓦台(大統領府)の人事にも介入していたとされる女性、崔順実(チェ・スンシル)氏。

アメリカのニューヨークタイムズは10月24日、朴槿恵氏との個人的関係を利用して、大企業から財団に巨額の金を寄付させた崔氏を、「まるでラスプーチン(のように報じられている)」とたとえた。

崔順実氏とは、いったい誰なのか。

崔順実氏(右)とチョン・ユンフェ氏

話は2014年にさかのぼる。304人の死者・行方不明者を出した大型旅客船セウォル号沈没事故を巡り、産経新聞の加藤達也・ソウル支局長(当時)の書いたコラムが、名誉毀損にあたるとして起訴され、刑事裁判になった(のちに無罪判決が確定)。

コラムで問題となったのは、朴大統領が事故の発生直後に、ある男性と密会していたという内容だったが、のちにこの男性が、一民間人の立場で青瓦台(大統領府)の人事に深く介入しているという疑惑が報道された。この男性は1998年から2004年まで、国会議員だった朴槿恵氏の個人秘書室長を務めていたチョン・ユンフェ氏だ。

このチョン・ユンフェ氏の元妻が、崔順実氏だ。

(左から)朴正熙・元大統領と朴槿恵氏、崔太敏氏

崔順実氏は、新興宗教団体「大韓救国宣教会」の総裁だった崔太敏(チェ・テミン)牧師の5番目の娘だ。

崔太敏氏は1974年、妻を銃撃事件で失った朴正熙大統領に接近し、娘の朴槿恵氏を名誉総裁に担いだ。ここから、朴槿恵氏と、崔順実氏の娘同士の関係が始まったとみられる。

では、崔太敏氏はどうやって、朴槿恵氏から厚い信任を得られたのだろうか? 広く知られているのは、1974年8月15日に朴氏の母で朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の夫人・陸英修(ユク・ヨンス)女史が銃撃で殺害され、深い悲しみに陥っていた朴氏に、崔氏が「陸夫人から『私の娘クネを助けなさい』と伝言を受けた」と手紙を書いて接近したという話だ(崔氏は生前、雑誌のインタビューで否定している)。

手紙の内容は、朴正熙政権時代の有力政治家、金炯旭の回顧録によれば、以下の通りだ

「母上は亡くなられたのではなく、あなたの時代を切り開くために道を譲ったのだ。あなたを韓国、さらにアジアの指導者として育てるため、場所を空けたに過ぎない。母上の声が聞きたいときは、私を通じていつでも聞ける。母上が夢に現れ『愚かな娘が何も知らずに悲しんでばかりいる』として『私の意思を伝えてほしい』と言った」

1977年以降、崔太敏氏は、忠孝や礼儀の重要さを説く国民啓蒙運動「新しい心(セマウム)を持つ運動」を韓国全土で展開(農村近代化運動の「セマウル」とは違う)、全国各地の自治体や学校に支部ができ、数万人が参加する大規模な運動だった。ファーストレディー役を務めていた朴槿恵氏は「セマウム奉仕団」総裁として、運動の「顔」の役割を果たした

崔太敏氏の5番目の娘、崔順実氏は「セマウム大学生総連合会」の会長だった。インターネット動画ニュースサイトの「ニュースタパ」は、当時の映像を公開している。

当時、崔順実氏(左)は27歳、朴槿恵氏は23歳だった。

崔太敏氏の人物像は謎に包まれており、権力と癒着して不正蓄財を重ねた疑惑が指摘されてきた。1979年10月26日、朴正熙氏は中央情報部長の金載圭に暗殺されたが、金載圭の弁護人は控訴審で「崔太敏氏の疑惑について朴正熙大統領に進言したが、聞き入れなかった」ことが暗殺の動機の一因だったと主張した

朴正熙大統領の暗殺後、朴槿恵氏は事実上の隠遁生活を余儀なくされたが、崔太敏氏と崔順実氏は朴槿恵氏の財団「陸英財団」をともに運営するなど、朴槿恵氏を支え続けた。朴槿恵氏は「崔順実氏は、昔、私が苦しいときに助けてくれた縁」と表現しており、信頼の深さを物語る。

長らく隠遁していた朴槿恵氏は1998年、国会議員に初当選し、政治の表舞台に復帰する。このとき、個人秘書室長に据えたのが、崔順実氏の夫だったチョン・ユンフェ氏だった。朴槿恵氏の政界の側近も、このときに形作られた。

チョン・ユラ氏

朴槿恵氏が大統領に就任後、崔順実氏との深すぎる関係が表面化し始める。典型的な例が、崔順実氏の娘を巡る騒動だった。

崔氏の娘、チョン・ユラ氏は乗馬の有力選手だったが、2014年の仁川アジア大会代表を決める2013年4月の大会で2位となり代表入りを逃した。その翌月、青瓦台(大統領府)は「乗馬協会を監査しろ」と文化体育省に命じる。「協会もチョン・ユラ氏も問題があった」という報告書を作成した課長と、上司の局長は、朴大統領が直接、更迭を指示したという。

文化体育観光省の許可で設立された伝統文化振興の「財団法人ミル」と「Kスポーツ財団」の理事長や理事に、崔氏の知人が多数就任し、韓国企業が計774億ウォン(約69億円)を出資していたことが報じられている。2つの財団に財閥がこぞって巨額の資金を拠出したことに、青瓦台の圧力があったのではないかと疑われている

先の産経コラムの事件も、当初から「無理やりな起訴」と言われていたにもかかわらず、検察当局が起訴に踏み切った背景に、崔順実氏の存在があった可能性もある。

疑惑が報じられ、崔氏とその娘は行方をくらませている。ドイツで豪邸住まいをしているという説もあるが、真偽は分からない。

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