アート&カルチャー
2018年01月22日 19時03分 JST | 更新 2018年01月22日 19時03分 JST

一皿のサヤインゲンのサラダで、フランス料理界を変えた。

1月20日、「美食の法王」ことポール・ボキューズ氏がこの世を去った。

Gamma-Rapho via Getty Images

パイ生地のドームをあしらった、黒トリュフやフォアグラ入りのコンソメスープ、ザリガニのグラタン、ピスタチオ入りの鴨のドディーヌ......。「美食の法王」としてフランス料理界に君臨し、数々の名料理を生み出したポール・ボキューズ氏が、1月20日に亡くなった。91歳だった。

「ヌーヴェル・キュイジーヌ」(伝統的フランス料理の過度な様式化を廃し、新鮮な素材をいかしたシンプルな料理を志向する料理運動)の旗手として名を馳せ、和食にも関心を持っていたボキューズ氏だが、彼を一躍有名にしたのは至ってシンプルなある料理だった。

革命的なサラダ

物語は一皿のサヤインゲンのサラダから始まる。1960年代中ごろ、フランスを代表する料理評論家のアンリ・ゴー、クリスチャン・ミヨー両氏が、ボキューズ氏のレストランでこのサラダと他の料理を食したのだ。当時のことを2人の料理評論家は、熱く語っている

「私たちはボキューズの店で再会しました。当時彼の店はまだ2つ星でしたが、3つ星は目前という状態でした。昼どき、ボキューズは私たちにお得意の品々を振舞ってくれました。ザリガニのスープ、スズキのパイ包み焼き、チーズの盛り合わせ、ウフ・ア・ラ・ネージュ(淡雪のようなメレンゲをソースに浮かべたデザート)です。すべて大満足の出来でした。午後4時ごろには店を出ました」

「ごく単純に、すばらしかったのです!」

かの有名な「サヤインゲンのサラダ」の誕生はもうすぐそこだ。「ちょっとした思いつきで、私たちはディナーもボキューズの店でとることにしました。店に戻って、彼に何か軽いものを頼むと言いました。まもなく彼は一皿のサヤインゲンのサラダを手にして戻ってきました。最初見たとき、何の変哲もない普通のサラダでした。

ところがそれは、ごく単純に、すばらしかったのです!カリカリにローストされたサヤインゲンは庭園の匂いがして、信じられないような味わいがありました。究極のシンプルさの中に、壮大さがありました。サラダに続いて、見事に調理された――つまりほとんど手の加わっていない――ルージェ(ヒメジ類の白身魚)がやってきました。身が引きしまっていて、海の香りでいっぱいでした。『ヌーヴェル・キュイジーヌ』はそこにあり、私たちはつい今しがた、それと出会ったところでした」

その後ボキューズ氏の手法は、「フランス料理の鬼才」と称されたアラン・サンドランス、「料理界のダ・ヴィンチ」と呼ばれたアラン・シャペルなどの料理にも反映されていくことになる。そして1973年、ゴー氏とミヨー氏が「ヌーヴェル・キュイジーヌ(新しい料理)」宣言を発した。すなわち「調理時間が短く、ソースをあまり用いず、市場で売っている食材を使った料理」だ。

フランス料理の伝統的な厳しい制約は徐々にゆるめられ、ソースを使ったこってりした料理は影を潜め、代わりにシェフたちは「本質」へと帰っていった。つまり用いる食材が何より重視視されだしたのだ。

「ヌーヴェル・キュイジーヌ」の旗手であることを否定

ポール・ボキューズ氏が「ヌーヴェル・キュイジーヌ」のトレンドに決定的な役割を果たしたことは間違いないが、本人はその旗手であることを否定していた。

「私は一度も『ヌーヴェル・キュイジーヌ』を作ったことはありません。みんなをびっくりさせた、あのサヤインゲンのサラダを別にすればね。ヌーヴェル・キュイジーヌなんて、お皿のなかには何もありませんよ。すべては勘定書のなかにあるのです!」2007年、料理評論家のフランソワ・シモン氏の批評に対して、ボキューズ氏はこう皮肉っていた。

Gamma-Rapho via Getty Images
パイ生地のドームを頂いた、黒トリュフやフォアグラ入りのコンソメスープ(スープ・オ・トリュフ・ノワール・ヴェ・ジェ・ウ )

Maurice ROUGEMONT via Getty Images
スズキのパイ包み焼き

Sygma via Getty Images
ミシュランのマスコットキャラクター「ビバンダム(ミシュランマン)」と一緒に写るボキューズ氏

ハフポスト・フランス版より翻訳・加筆しました。