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バングラデシュでわずかに存在するヒンドゥー教徒・モニプリ民族の里に呼ばれて মনিপুরি ও হিন্দুধর্ম আমার কাছে খুব আকর্ষণীয়

私が気になっていたモニプリ民族について、少し共有したいと思います。

2017年10月19日 15時52分 JST | 更新 2017年10月19日 15時52分 JST

シレット管区モウルビバザール県スリモンゴル。

前回の記事では、同じこの地域でも、茶畑で働く複数のコミュニティや「パン」で有名なカシア民族などについて書きましたが、そもそも私が「シレットへ行ってみよう!」と思い立ったのは、前々から少しずつ「モニプリ」という民族が気になっていたからでした。

しばらくずっと、「ふるさと」かのように通い続けていた地域から、未だ行っていない地域へ......そんな場所では質問攻めや、食べきれないほどの食事の接待を受けたり、「写真撮ろう! 日本の歌を唄って」といった要求から始まり、自然体に至るまでには時間がかかるので、少しくたびれます。でも、初心に還れたり、気付きを与えられることがあるのも事実です。

上の写真もそんな積み重ね風景のひとつで、「はじめまして」はいつもこんなやりとりからスタートします。それにしてもこの写真。まるで男の子が監督、私がカメラマン、そしてどう撮れたか確認する女優とプロデューサー、後ろのメガネのお母さんがスポンサーのような、撮影現場の舞台裏みたいですね(笑)。

それでは、私が気になっていたモニプリ民族について、少し共有したいと思います。

インドのマニプール州がオリジン、モニプリ民族

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【地図】オレンジ:インドの州・都市名、緑:バングラデシュの都市・町名、青:周辺国名

これ、一体どこの地図? と思われるかもしれませんが、中央がバングラデシュです。

「バングラデシュってどこ?」と日本の友人に聞かれると、私はいつもこう答えています。「インドの隣。インドに、左腕で肩を組まれている感じ」と。バングラデシュの隣接国はインドとミャンマーですが、ほとんどがインドに接しています。

その成り立ちや国境線について、ここだけでは語り尽くせませんが、バングラデシュは1971年にパキスタンから独立した国です。独立の主なきっかけは、パキスタンの同一化政策(全土ウルドゥー語化へ)からベンガル語という母語、ベンガル地方の言語を守るためでした。

また時代は遡り、イギリス領インド帝国がインドとパキスタンに分かれ独立した時、二国の線引きは、ヒンドゥー教徒の多い地域をインド、イスラム教徒が多い地域をパキスタン、というざっくりした分け方でした。この時、もっと事の重大さに向き合っていたら、この国の少数民族問題も、もっと早く解決・軽減したのかもしれません。

そういう経緯で、バングラデシュで少数民族にあたる人々は、ほとんど国境沿いに暮らしていると言えます。

前置きが長くなりましたが、今回お話するモニプリ民族は現インドのマニプール州をメイン・ホームタウンにもつ人々で、信仰もインドの多数派宗教ヒンドゥーが主です。バングラデシュ側にいるモニプリ民族は25000人程度ですが、インドにはもっといっぱいいるのだそうです。間近にある国境線の向こう側に同じ民族、もっと言うと親戚が暮らしている、というのは、島国・日本人の私たちには想像しがたいことですよね。

バングラデシュのモニプリ民族はさらに3タイプに分かれるのだと、友人が教えてくれました。以下で3つに分けてご紹介します。

1)カイ バンガル・モニプリ / Khai Bangal Monipuri

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イスラム教徒のモニプリ民族。イスラム教徒ということで、男性の正装はトゥピーを冠り、女性はモニプリの民族衣装の上からさらにオルナ(この写真では黄色の布)で胸と頭をしっかり覆っています。

実はこのおじさん、「写真のため」 にモデルになってくれた方です。最初にお願いした方はたまたま「フジュール」と呼ばれるイスラム教の司祭で、写真には写れないのだとか。すると、その友人のおじさんが快く正装に着替えてきてくれ、「ワシを写すが良い!」と代わりにモデルを務めてくれました。

また、この家には伝統のサリー織り機があり、「モニプリ・サリー」の織り姿も見せてくれました。

■機織りの動画

2)メイテイ・モニプリ / Maitai Monipuri

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1番で紹介した織り機で、上の写真のような「モニプリ・サリー」ができあがります。日本の皆さんにとって、サリーはインドの伝統服として知られているかもしれませんが、バングラデシュでもサリーはトラディショナルドレスです。

中でもモニプリ民族のサリーは、布の端の矢絣柄(和柄で例えるなら)のようなデザインが特徴。ほんわかした淡い色合いも、モニプリらしさとして私は気に入っています。お母さんが着ているのと、ふたりで手に持って見せているのがサリーで、私が着ているのが同じくモニプリの伝統服「レイ・ファニック」(巻きスカート)と「インナーフィー」(淡い緑とピンクの羽衣のように着ているもの)です。この横縞模様もモニプリの特徴です。

メイテイ・モニプリには、元来はApokpaという独自の宗教がありましたが、今はほとんどがヒンドゥー教を信仰しています。

3)ビシュノプリヤ・モニプリ / Bishunupriya Monipuri

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「ビシュノプリヤ・モニプリ」は、ほぼ2番と同様ですが、元からヒンドゥー教を信仰しているという点が違うそう。ヒンドゥー教徒の既婚の女性は額の髪の分け際にシドゥールという赤色の印を描き、またシャカという貝でできた白いブレスレットをしています。それは、夫の長生きを願って妻がする伝統だと聞き、私はとても素敵だなと思いました。

3タイプのモニプリ共通で、基本はベジタリアンであることも特徴的です。

少数ながら存在する、バングラデシュのヒンドゥー教徒

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バングラデシュでは人口の約10%がヒンドゥー教徒です。隣国インドは国民の8割がヒンドゥー教を信仰する国ですし、そのインドとの繋がりや歴史を知れば、バングラデシュに10%、ヒンドゥー教徒がいる理由も自然と分かります。

ヒンドゥー教寺院の住職を「プロヒット」や「トクー」と呼びます。私はまだヒンドゥー教のことを語れるほどではありませんが、最近少しずつ興味をもちだしました。

それもこれも、バングラデシュでさまざまな友人に出会えたおかげです。軽い気持ちと怒られてしまうかもしれませんが、この時はトクーの首から下げている「ラダ・クリシュノ」の絵のバッグが気に入り、寺院近くのお祈りアイテム(線香や数珠など)ショップで同じものを買いました。350円程でした。

「ラダ・クリシュノ」とはヒンドゥー教の神様の名前で、ラダが女性、クリシュノが男性です。トクーの身につけ様が格好良く、また刺繍の細かさに魅力を感じました。

モニプリ・ケラ

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昼食の後、モニプリ民族のおばちゃんたちがお寺の一角に集まって来たので、お祈りの時間かと思いきや、ゲームが始まりました。「モニプリ・ケラ」という伝統のボードゲームで(ケラはベンガル語で「遊び」)、貝柄をサイコロ代わりにし、コマを進め、誰が先に上がるか......という形式で闘っていました。

しばらくは見守っていたのですが、あまりに長いので私は途中で家に戻りました。おばちゃんたちが解散したのは約2時間後......だいぶ白熱する遊びのようです。

モニプリ・ケラで盛り上がるおばちゃんたち!の動画

モニプリ民族(ヒンドゥー教徒)の家々に見られたもの

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私はこれを見て最初お墓かと思ったのですが、実は日本でいう仏壇のようなものだそうで、ヒンドゥー教のモニプリ民族の家の庭先にたくさん見かけました。

プジャ(お祈り)している風景に、人が去った後でも漂うお線香の香り、花がいつも新鮮なもので添えられている風景、これらすべてが、祈りが彼らの日常であることを教えてくれて、「美しいな」と癒されました。

電車で帰宅。シレット管区スリモンゴル~ダッカへ

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スリモンゴルからダッカへは電車で戻りました。交通渋滞がないため、バスより早く、約5時間ほどで着きました。運賃もバスが380タカなのに対して100タカ(140円)でした。

「電車に乗ったことがない!」という現地の友人も多く、好みは人それぞれですが、私は断然電車のほうが好きです。車窓から見る美しいバングラデシュの田舎風景に見惚れていたら、少しの睡眠もとらずにダッカまで着いてしまったのでした。

Ambassadorのプロフィール

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Natsumizo

1985年、宮城県女川町生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリー制作のためバングラデシュを訪れる。卒業後、Documentary Japanに務める。2014年、学生時代作品への心残りや日本よりも居心地の良さを感じていたバングラデシュに暮らし始めることにし、作品テーマや自分の役目(仕事)を再び探すことに...その中で出会ったこの国の少数民族に魅力とシンパシーを感じて、彼らと共に生活していきたいと思う。ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』(国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞および青年海外協力隊50周年賞受賞 http://youtu.be/BlxiN2zYmjE)、カメラ教室、クラウドファンディングや写真集『A window of Jumma』の制作などを行ってきたが、この地で映像作品制作を続け、この先は映画上映会(配給)や映画祭などの企画にも挑戦していきたいという夢を抱いている。