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一喜一憂するなかれ:年金運用「5兆円損失」議論にモノ申す

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「年金の運用損、昨年度5兆円超 GPIF公表は参院選後」――。朝日新聞は7月1日付1面トップで、株価下落による GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用損が昨年度1年間で5兆円を超えたと大々的に報じた。GPIFは国民の年金資産140兆円を預かり、運用している機関。政府の方針でアベノミクス開始以降、国債から株式へのシフトを進めており、結果的に株価の下落の影響を大きく受けた。

今年3月末の日経平均株価は1万6758円。1年前は1万9206円だったので、ざっと2500円下落した。この影響が5兆円超だったというわけだ。朝日新聞の記事は前日にGPIFが運用委員会を開いて厚生労働省に報告したタイミングを捉えたものだが、5兆円超の損失というのはすでに想定されていた。日経平均株価の水準を比較して、経済研究所などが試算、4月上旬には新聞各紙も報じていた。

参議院議員選挙の投票を控えたこのタイミングで改めて大々的に報じたのは、選挙の争点として重要と考えたからだろうか。この記事に呼応するかのように、野党各党も年金運用に関する安倍晋三内閣の失敗批判を繰り広げた。アベノミクスの失敗の典型例として取り上げている。実際、足元の日経平均株価は1万6000円を下回っており、現状を捉えればさらに2兆円程度、損失が膨らんでいる可能性が高い。国債から株式にシフトしたことが間違いだった、というのが野党の共通した批判点である。

これに対して安倍内閣は、年金運用の成績は単年度で見るべきものではないと主張。アベノミクスが始まった2013年度以降3年間のGPIFの累積収益は37.8兆円にのぼるとしている。2015年度はマイナスだとしても、2013年度、2014年度に株高で資産が大きく増えた「貯金」がまだまだある、というわけだ。

論理的には正しい運用配分

安倍内閣は発足以来、年金運用で国債から株式へのシフトを進めてきた。2014年10月には基準とする運用ポートフォリオ(資産構成割合)を、それまで60%を日本国債などの「国内債」で運用するとしていたものを35%に引き下げる一方で、国内株式を12%から25%に、外国株式を12%から25%に、外国債券を11%から15%にそれぞれ引き上げた。債券中心、国内中心から運用方針を劇的に転換して、株式と債券を半々とし、海外投資へと大きくシフトしたのである。

こうした方向転換は、安倍政権が掲げる「デフレからの脱却」という方針と「整合的」だ。デフレが続く中ではキャッシュに近いもので資産を保全するのが正しい戦略だ。だが、デフレから脱却してインフレが始まると想定した場合、インフレに勝てる商品で運用するのが正解となる。長期的にインフレが進むとすれば、経済成長を取り込んで運用収益を上げる株式へのシフトは論理的に正しいということになる。

もちろん、年金資産は国民の虎の子なのでリスクを取らずに運用するべきだ、という意見もある。それも1つの考え方だが、国債と言えどもリスクはゼロではない。まして、ほとんどを国債で運用することが本当に安全かどうかには議論の余地がある。仮に安全としても、金利低下が進む中で、国債運用だけでは、過去3年間の40兆円近い累積収益が稼げたかどうかは微妙だ。

進まない「ガバナンス改革」

だからと言って、政府やGPIFの行動にまったく問題がない、と言っているわけではない。

朝日新聞も記事で指摘しているように、昨年度の運用成績の公表は参議院議員選挙後の7月29日まで行わない点だ。GPIFは3月31日に公表した「平成28年度計画」にシレっと運用結果発表日を書いたが、何と、前の年に比べて3週間も遅い日付だった。決算期末からすると4カ月後である。選挙直前に悪いニュースが流れるのを避けようとした政治の意図が見え隠れする。

だが、リスク管理の観点からすれば、「悪いニュースほど早く公表」するのは定石である。推計値ならば4月の上旬にも出せたはずだ。日本のメガバンクの決算でも2カ月以内に公表するルールだし、1カ月以内に情報開示している企業も多い。結果、参議院選挙の前に大々的に記事が出て、野党に批判されることになった。選挙を戦う与党からすれば、政府の大失策と映るだろう。

もう1つ大きいのが、GPIFが運用するためのチェック体制が整備されていない点だ。いわゆるガバナンス改革である。

今年4月1日にGPIFの理事長が交代した。昨年3月末が任期だったが、「火中の栗」を拾う人物が現れず、三谷隆博理事長が暫定的に続投していた。後任には農林中金出身でJA三井リースの社長だった高橋則広氏が就任した。農林中金で資産運用をしてきた経験を持つ人物だが、選定は官邸主導で行われた。

GPIFの運用については政府の意向が強く反映されているのではないか、という疑念がもたれてきた。年金資産の保有者である国民の利益よりも、政府の都合が優先されているのではないか、というわけだ。それを払しょくするには、GPIFが運用方針を決める際の独立性の高さが重要になる。GPIFの統治のあり方を規定するガバナンス改革が必要なのだ。

塩崎恭久・厚生労働大臣は就任以来、「ポートフォリオ改革とガバナンス改革は車の両輪」と繰り返し発言してきた。運用方針決定の独立性を保つ組織改革案を審議会で決めるところまでたどり着いたが、法律は通っておらず、改革は実現していない。理事長やCIO(最高投資責任者)である理事の選任過程も今は不透明なままだ。現在のCIOである水野弘道氏は官邸の意向で選ばれた。2015年1月の就任以降、株価の下落で保有資産は目減りする一方だが、運用成績が悪い場合にどう責任を取るのかといった点は不明確なままだ。

重要な海外投資家の判断

GPIFのガバナンス改革には海外投資家も強い関心を持っている。140兆円の資産を持つGPIFが株式への投資を増やすか減らすかで、日本株の先行きに大きな影響を与えるからだ。仮にガバナンス体制が整わず、政府の意向が強く運用姿勢に反映されるとすると、政権が交代した途端、株式運用の比率が大きく削られる可能性が出て来る。日本の株式市場が「政治リスク」を内包していることになるのだ。

短期的な利益を追うヘッジファンドなどはともかく、長期に日本株を持とうとする年金基金などにとって、こうした日本株市場の政治リスクは無視できない。つまり、安心して投資できないのだ。

日本の株式市場では海外投資家の売買シェアが圧倒的に大きい。海外投資家が日本株を買うかどうかで株価が上昇するかどうかが決まる。実際、アベノミクスが始まった2013年には海外投資家が15兆円も買い越し、日本株が急上昇する原動力になった。逆に今年は年初から海外投資家が5兆円を超す売り越しとなり、日本株の下落に拍車をかけた。

海外投資家に日本株を買ってもらうには、GPIFのガバナンスを整えることと共に、日本企業の収益力が将来にわたって拡大していく道筋を示すことが不可欠だ。

求められる「根本的な議論」

もう1つ、根本的な問題がある。GPIFは本当に140兆円もの巨額資産を保有し続けておく必要があるのかどうかだ。国民は一般的に、年金資産はすべて貯蓄のように積み立てられていると思っている人が多い。こうした年金の仕組みを「積立方式」という。

だが、現実には日本の年金制度は「賦課方式」と呼ばれる形になっている。年金債務は将来世代の掛け金や税金で賄うという仕組みだ。一部、GPIFなどに「積み立て」をしていることから、厚生労働省は「修正賦課方式」などと呼んでいるが、実際には将来の年金支払いに必要な資産の1割以下しか「積み立て」ていない。ならば、わざわざ管理リスク、運用リスクをおかしてまで140兆円もの巨額資金を置いておく必要があるのか。そもそもGPIFは必要なのかどうかを議論すべきだ。

運用業界の専門家は140兆円資産規模を持つGPIFは「池のクジラ状態」で効率的な運用をするには巨大すぎるという意見は強い。GPIFをいくつかのファンドに分割する案なども浮上するが、真剣な議論にはならない。GPIFの巨額資産の周囲には様々な利権が生じているからだ。

国民が将来受け取る年金を本気で守ろうとするのならば、足元の運用成績に一喜一憂するのではなく、根本的な制度のあり方に早期に手をつけるべく、議論することだろう。

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磯山友幸

1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト。著書に『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)などがある。

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(2015年7月6日フォーサイトより転載)