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米ゴルフ界注目アマ「金谷拓実」が実践する「リスクマネジメント術」--舩越園子

復活、復調の基となるのは、どうやって戻すかという「HOW」を知っているかどうか。

2017年12月14日 12時52分 JST | 更新 2017年12月14日 12時52分 JST
Action Plus via Getty Images

 中南米カリブ海の島国バハマで開催された「ヒーロー・ワールド・チャレンジ」(11月30日~12月3日)で、10カ月ぶりに試合に復帰したタイガー・ウッズが目覚ましい回復ぶりを披露し、ファンや関係者を喜ばせた。

 今年2月に欧州ツアーの「オメガ・ドバイ・デザート・クラシック」を途中棄権し、4月に生涯4度目となる腰の手術を受けたウッズは、以後、長いリハビリ生活を余儀なくされて戦線離脱。8月末には医師から小技練習開始の許可が出されたが、9月末に開催された「プレジデンツカップ」の会見では、今後に関して「最悪の事態も考慮している」と引退さえ想起させる悲痛な面持ちだった。

 だが、10月以降はアイアン、ドライバーも振り始め、順調な回復ぶりを見せた。そして、ついに医師から試合出場へのゴーサインをもらい、待望の復帰戦となったのが、自身が大会ホストを務める「ヒーロー・ワールド・チャレンジ」だった。

 初日を3アンダーで好発進したウッズは2日目には一時的に首位にも浮上。3日目の「75」が響き、優勝争いには絡むことなく9位で戦いを終えたが、364日ぶりに4日間を戦い切ったことは、スコアや順位以上の大きな収穫だった。

 ウッズが故障や私的出来事が原因で戦線離脱した後に復帰戦を迎えたのは、プロ入り以来、今回が10度目。最も直近の復帰戦は今年1月の「ファーマーズ・インシュランス・オープン」だったが、今思えば、あのときのウッズは歩き方もスイングもウォーミングアップのストレッチをする様子さえもが、今回と比べると「おっかなビックリ」だったと、つくづく思う。

 バハマでクラブを振るウッズは生き生きした表情だった。不安なくスイングしていることが見ているだけでも伝わってくるプレーぶりだった。故障明けとは思えないほどスイングスピードは速く、飛距離は「315ヤード級だった」と、練習ラウンドをともにしたパトリック・リードも優勝したリッキー・ファウラーも驚嘆していた。

 3日目にウッズと同組でプレーした松山英樹も「腰の手術を4回、膝3回している人じゃないですよね。人間じゃないですよ」と驚きの声を上げ、さらにこんな言葉を続けた。

「自分は10カ月休んだことはないのでわからないですけど、彼(ウッズ)なら、それぐらい休んでも関係ないと思う」

「復活の男」

 なぜ、「ウッズなら休んでも関係ない」のか。松山の言葉を咀嚼すると、「ウッズは復帰、復活、復調の仕方を知っているから大丈夫」と読み取れる。

「復活」の過去の例を辿れば、近年、米ツアーで「復活の男」と呼ばれたのはスティーブ・ストリッカーだった。今年の「プレジデンツカップ」で米国選抜のキャプテンを務めたストリッカーは、ウッズの親友でもあり、かつてのチーム戦では何度もコンビを組んだ最高の相棒でもあった。だが、それらはすべてストリッカーがスランプから復活して以後の話だ。

 1994年に米ツアーデビューしたストリッカーは通算3勝を挙げた後、深刻なスランプに陥った。2004年からはシード落ち。雪深いことで知られる中西部最北のウィスコンシン州の故郷に帰ったストリッカーは、大雪の中、友人から借りたトレーラーを練習場の打席近くに横付けし、トレーラーの荷台から凍える手で球を打ち続けた。

 そして、スポンサー推薦を頼りに出場した2006年に奇跡的な復活を遂げ、カムバック・オブ・ザ・イヤーを受賞。2007年以降はさまざまなランキングを駆け上がり、2011年には世界4位まで上昇。そんなストリッカーを帝王ジャック・ニクラスは「彼はゴルフの枠を超えた、それ以上のスーパースターだ」と絶賛した。

 ニクラスが言った「ゴルフの枠を超えた」という部分は、決して諦めない不屈の精神、極寒の中でも鍛錬を続けた忍耐力、前向きさといったメンタル面のことを指していた。「ゴルファーとして」だけではなく「人間として」すばらしいストリッカーの姿勢をニクラスは高く評価していたのだと思う。

 だが、姿勢や心意気、根性物語だけで復活できるケースは現実的には稀である。ストリッカーの場合も、強靭なメンタル面にプラスして、もう1つ、何かがあったからこその復活だったはず。

 それは何だったかと言えば、そもそも彼のキャリアはクラブプロが出発点で、スイングのメカニズムを論理的に理解し、不調になった生徒のスイングの直し方を熟知していた。それを自身に当てはめたことでストリッカーの復調、復活がスピーディーに実現されたというわけだ。

「HOW」を身につけよ

 今年10月、「日本オープンゴルフ選手権」で1打差で優勝こそ逃したものの、池田勇太と堂々と競り合い、多大なる将来性をアピールした金谷(かなや)拓実というアマチュア選手をご存じだろうか。現在、東北福祉大学の1年生。ゴルフ部に在籍し、プロを目指している金谷は、松山や池田の後輩に当たる。

 広島出身の金谷は5歳からゴルフクラブを握り、数々のジュニアタイトルを獲得。2015年には「日本アマチュアゴルフ選手権」でも優勝を飾り、2016年には「全国高等学校ゴルフ選手権春季大会」を連覇。そして今年の日本オープンでは2位になってローアマ獲得。1カ月後のオーストラリアン・オープンにも出場し、3日目に「65」をマークして8位タイでフィニッシュするなど大健闘。米ゴルフ界でもニュースとなり、注目を浴びた。

 興味深いのは、その金谷が最近になって突然強くなったわけではなく、コンスタントに好調を維持しながら着実に成長してきたという点だ。

「彼は途中で一度もスランプにならなかった」と明かしてくれたのは、小学2年生から高校卒業までの金谷を指導してきたティーチングプロの岸副(きしぞえ)哲也氏だ。岸副氏は東京・世田谷の尾山台ゴルフ倶楽部に本拠を置き、静岡や広島などでプライベートレッスンも行っている。金谷には広島で出会ったそうだ。

「当時、(広島の)練習場には10名ぐらいのジュニアゴルファーが来ていましたが、拓実くんは自分の世界に入り込む面白い子供でした」

 岸副コーチが言った「自分の世界」とは、不調からの回復の仕方、復調の方法を指していた。

「彼は普通のジュニア用のクラブを持っていましたが、調子が悪くなると、グリップ部分にガムテープをぐるぐる巻きにして補強したプラスチックのクラブを取り出し、それで素振りをしたり、本物のゴルフボールを打ったり。軽いクラブを振ることで"振り抜き"の感覚を取り戻そうとしていた。そのクラブで本物のボールを打つと、ポコーンと面白い音が練習場に響き渡っていました」

 この方法は、岸副コーチが教える以前から金谷本人が自分で思いつき、実践していたもの。「大半の子供が教わったことをやるだけで、おかしくなったら修正してもらうだけという感じだった中、拓実くんは違った」と岸副コーチは言い切る。

「だから私と彼は"自分で修正できるゴルフ"に取り組んできました。ラウンド中でも起こりうる大小の調子の波を、どうやって自力で修正するか。自己修正能力を伸ばすことで、彼は粘り強いゴルフを身に付けました」

 スイングを指導する際も「ジュニアであること」より「一貫性」を重視したそうだ。

「小学2年生でも"ジュニア振り"と呼ばれる反り返る動きをさせず、高校生と同じ内容でスイングを教えました。大人になっても大きな変更をしなくていい動きを最初から身に付けさせた。スイングをどうすれば、どんな球が出て、どうすればその逆の弾道が打てるかを考えさせながら練習を積んでいきました。そうやって自己修正能力を育てたことが、彼が途中でスランプにならなかった最大の要因です」

 立派な体格の上級生ゴルファーたちに負け、ロッカーで1人悔し泣きする負けず嫌い。だが、悔しがるだけではなく、どうしたら勝てるかを自分で考え、「パー4を3オン1パットで上がるのが彼のゴルフになっていった。彼のアプローチの上手さは、そこに起因しています」と語る岸副コーチは、愛弟子の成長と将来性に堂々と胸を張る。

 ウッズ、ストリッカー、そして金谷。なるほど、規模もレベルも状況も立場も異なるが、復活、復調の基となるのは、どうやって戻すかという「HOW」を知っているかどうか。「HOW」を学び、身につけ、備えているかどうか。

 突き詰めれば、リスクマネジメントだ。


舩越園子 在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。
関連記事 (2017年12月8日フォーサイトより転載)
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