クルド独立の夢はまたも遠のいた

2017年10月16日は、クルドの歴史に残る日付となるのだろうか。

2017年10月16日は、クルドの歴史に残る日付となるのだろうか。

この日にイラク政府部隊と政府を支持する民兵組織「民衆動員隊(PMU)」がキルクークに進軍を始めたことを速報で記しておいたが、翌日にかけて、事態は急速に進展した。

雲散霧消したペシュメルガ諸部隊

9月25日の独立をめぐる住民投票が行われて以来、緊張が高まる中で、クルディスターン地域政府(KRG)傘下のメディアはキルクーク市民に徹底抗戦を呼びかけていた。しかしイラク政府部隊・民兵組織の侵攻を前にして、クルド人民兵組織ペシュメルガの諸部隊が、ほとんど戦わずして撤退したのである。イラク中央政府側は、短時間でキルクーク西北方面の郊外にあるK-1空軍基地や油田施設を支配下に収めた上で速やかに市内に戦車・装甲車の列を進めた。

KRGとイラク中央政府との最大の対立点だったキルクークは、半日でイラク政府軍の支配下に入った。そのため、当面は、大規模な衝突は避けられている。

キルクークだけでなく、KRGが近年に実効支配の面積を広げる中で獲得した領域の多くに一斉にイラク政府軍・政府系民兵組織が侵攻し、そこでもペシュメルガ諸部隊が撤退し、いずれも大規模な戦闘なく制圧した。KRGが近年に実効支配を広げた地域とは、2014年6月の「イスラーム国」のイラク北部での台頭とイラク政府軍の撤退によって生まれた権力の空白を、KRG傘下のペシュメルガ部隊が埋めて、支配下に収めた地域である。

キルクークに加え、北部のニネヴェ県(モースル・ダムなど戦略要地や、マフムール、バシーカ、そして少数宗教ヤズィード派の集住するシンジャールなど)、ディヤーラー県(ハーナキーンなど)、サラーフディーン県(キルクークの南方15km地点のトゥーズ・フルマートー)など、クルド人が自らの歴史的領土と主張し、近年に占領していた地域を、16日から翌日にかけて、次々にイラク政府部隊が奪還していった。クルド人勢力は2014年に拡大した領域を手放して、それ以前のクルド自治区の領域に撤退していった。

9月25日の独立住民投票では、KRGが近年に拡大した領域でも投票が行われ、圧倒的多数が独立を支持したとされていた。しかし表面上、イラク中央政府の支配下に入った市民からは、強い抵抗は生じていないようだ。

裏交渉と内通?

ペシュメルガ諸部隊がなぜこのように一斉に退いていったのか、裏事情はそれぞれの立場から口々に語られ、ツイッターなどのSNSでもリアルタイムで伝わってくるが、真実ははっきりしない。

クルド勢力の中にある分裂につけ込んだ分断策を、イラク中央政府やその後ろ盾のイランが講じた、ペシュメルガを撤退させる密約がクルド人指導者との間でできていた、といった説がしばしば主張される。特に、KRGを主導し独立住民投票を推進したクルディスターン民主党(KDP)と、イラク大統領にジャラール・タラバーニー(ちょうど10月3日に死去していた)が就任するなど中央政府との関わりも深くイランからの支援を以前から受けていたクルド愛国同盟(PUK)の間に根深くある立場の相違が原因とする見方もある。PUKにイランなどが働きかけて、イラク政府部隊の侵攻と示し合わせて撤退させたとも言われるが、KDPの側からの責任転嫁の議論にも見える。PUKの中でも、裏でのイランと内通する主流派と徹底抗戦を主張する非主流派で派閥が分かれているとも言われている。

イランの革命防衛隊(IRGC)のカースィム・スレイマーニー司令官が10月14日からイラクのクルド人地域に入り各地を歴訪したという情報が飛び交っていた。イラク政府部隊と共に北部に進軍し各地の奪還に寄与した民衆防衛隊(PMU)が主にシーア派の政府支持派によって担われており、イランの支援も受けているというのが共通認識である。

クルド勢力が、中でもKRGを主導し、早期の独立を目指してきたKDPが、大きな挫折を被ったことは間違いない。キルクークを奪われたことで、歴史的な正統性のシンボルも失い、油田を喪失したことで経済的な存立根拠も揺らいだ。そして、対「イスラーム国」戦線での戦功を誇っていたペシュメルガがイラク政府部隊の侵攻の前に戦わずして撤退したことで「張子の虎」との印象を与えたこと、ペシュメルガが実はKDPとPUKなどの相互に争う諸党派・派閥の私兵に過ぎず、分裂し対立する諸部隊の寄せ集めに過ぎないという実態が明らかになったことも、打撃が大きい。

欧米の支援も受け近年に力を増していたクルド系のメディアも、他のことにはかなり客観的でありながら、クルド情勢については中立性に欠けるとの印象を与えた。

そして、クルド人の、そしてKRGが支配する地域に住む、クルド人以外の諸民族を含む民衆の意志は、本当はどのようなものか。イラク政府部隊・民兵組織の進軍の報道に浮き足立って脱出する市民の列や、市内に進駐するイラク政府部隊を歓迎して見せる市民の群の映像からは、確固たる真実をうかがい知ることはできないが、「独立熱烈支持」というこれまでの公式の情報とは必ずしも一致しない複雑な実態が露わになった。

板挟みの米国と、存在感さらに増すイラン

米国は、フセイン政権打倒後の新体制の担い手としてイラク中央政府を支援し、その治安部隊を訓練してきた。同時に、「イスラーム国」に対する掃討作戦では地上部隊を提供する同盟勢力としてKRGに支援を与えてきた。今回その両者がにらみ合い、領土を奪い合うことで、影響力の低下の印象は否めない。

トランプ大統領は「米国はどちらの側にも立っていない」と中立を装っている。「山々以外に友はいない」とのクルドの峻厳な格言のごとく、国際政治は非情である。クルド人は「超大国に翻弄され、見捨てられた」過酷な歴史をまた一つ重ねるのだろうか。

しかし米議会には共和党・民主党の両方にクルド独立支持派がいる(その知恵袋と言えるのがピーター・ガルブレイス。クリントン政権時代のクロアチア大使などを歴任した政策論家だが、往年の読書人には『ゆたかな社会』『不確実性の時代』などで有名なジョン・ケネス・ガルブレイスの息子と紹介した方が通りがいいかもしれない。父親譲りの長身である)。

そして、シーア派主導のイラク政府が、イランの支援と梃入れに大いに依存して、クルド人勢力の支配領域の大きな部分を制圧したことを「イランの台頭」と捉え、対抗措置を主張する動きも出てくるだろう。イラクのクルド地域をめぐってイランの台頭が一定限度を過ぎると、今度はそれに対する米国の反応が、中東情勢を先に進める駆動力となるかもしれない。

池内恵 東京大学先端科学技術研究センター准教授。1973年生れ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、『【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』 (新潮選書)、 本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。

(2017年10月18日フォーサイトより転載)

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