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【ブックハンティング】「軍服を着た詐欺師」が進めた戦前の石油開発

2016年02月28日 15時29分 JST | 更新 2017年02月27日 19時12分 JST

日本は石油がないからアメリカとの無謀な戦争に突き進んでしまったとされている。

しかし、戦後1959年、日本が支配していた満洲に大油田が発見された。年間生産量5800万キロリットル(以下、kl)の大慶油田である。太平洋戦争開戦前、日本が必要と見積もった石油は500万klに過ぎなかった。石油が発見できれば戦争することはなかった。では、なぜ発見できなかったのか。私が、本書の書評を依頼されたのは、同じ問いを旧著『日本国の原則』に書いたからであると思う(私の答えは不満足なものでしかない)。

日本海軍は、第1次世界大戦を経て、次の戦争は石油で戦われることを認識していた。日本国内ではわずかな石油しか産出できないので、樺太で石油開発を試みた。ただし、石油を産出するのは、日本が日露戦争で領土とした南樺太ではなく、北樺太だった。

軍人の力の強い日本で、相手は内戦中のソ連、しかも1920年には樺太対岸の尼港で赤軍パルチザンに日本人700名以上を殺害されている。当然、武力をもって石油資源を抑えるのかと思ったら、遠慮がちで、1925年には不利な石油開発利権条件を飲まされて撤退してしまう。

極北の樺太の石油では、戦争をしてまで取る利益がないと考えたからかもしれない。1929年の日本全体の消費量235万kl、国産原油生産量29万klに対し、北樺太の生産量は15万klにすぎなかった。石油の80%はアメリカから輸入されていたのである。

遅れていた日本の石油探鉱技術

軍国主義は、さらに1930年代に盛んになったのだろう 。日本軍は、32年に満洲国を建国、事実上、支配していた。満洲なら、有利な条件で開発できるはずである。しかし、石油は発見できなかった。

その理由は、日本の石油探鉱技術が遅れていたからだった。もし真剣に石油開発を成功させようとしたのであれば、技術能力の足りないことを認識し、その弱点を補うために、アメリカの探鉱専門会社を起用すべきであったと著者はいう。なぜそうしなかったかと言えば、探鉱探査は軍事機密であり、外国に知られてはならないからだという。しかし、日本は石油をアメリカに依存している。探鉱で依存しても、見つかったものは日本のものである。どちらが良いかは明らかだ。日本軍は、目的は石油を得ることで、自国の技術で探査することではないということが分からなかった。

日本軍国主義の質はますます劣化する。1941年6月、対米開戦の半年前、日本人石油技術者が「石油が出ているから調査せよ」と北支派遣軍参謀部からの命を受けて中国の油兆地(「燃える池」が存在するなど、石油が湧き出る兆候のある土地)調査に行くと、現地の特務機関長は、「当方の予算は9000万円しかない。こんな金では何もできないから、石油のボーリングをすることにした。ここで水でもいいから噴出したら、撮影隊を呼んで映画を撮り、石油が出たと日本国内に宣伝して予算を分捕ろうと思っている」と言ったという。詐欺師が軍服を着ていたのだ。

蘭印から購入可能だった石油

満洲で石油が発見できず、人造石油も十分には造れないとなると、オランダ領インドネシアの石油を奪おうとなる。そこまですれば対米開戦は必至である。

しかし、ロンドンの亡命政府の下にあったインドネシアのオランダ総督府は、軍事的に無力なのだから、蘭印から石油を買うことは可能だった。実際、対米開戦前、蘭印から160万 kl (1トン=1.171kl で換算)の原油を輸入できることに決まっていた。日本が占領下した蘭印など南方の石油生産量は、ピークで740万klであった。しかし、日本への還送量はピークで265万kl にすぎず、それを持ち帰る過程で、アメリカ軍の攻撃を受けた。戦争をせずに、ただ買った方が、より多くの石油が手に入ったのではないだろうか。

本書から見えてくるのは、日本の愚かさである。その愚かさは、戦争が泥沼になるほど酷くなる。正論を述べて軍にたてつく人を弾圧し、詐欺師のような軍人が出世した結果だろう。読んでいると悲しくなるが、今日の危機に陥った企業においても、同じようなことが繰り返されていたのではないかという気がする。この愚かさから脱却するための、多くのヒントが詰まった本である。

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『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』 岩瀬 昇著/文春新書

※本稿の意見は、執筆者の職務やその属する組織とは無関係である。

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原田泰

日本銀行政策委員会審議委員。1950年、東京都生まれ。1974年、東京大学農学部卒。経済企画庁、財務省、大和総研、早稲田大学政治経済学部教授を経て現職。著書に、『日本国の原則』(日本経済新聞社/第29回石橋湛山賞受賞)、『TPPでさらに強くなる日本』(PHP研究所/東京財団との共著)ほか多数。

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(2016年2月26日フォーサイトより転載)