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「プロゴルファー」である前に--舩越園子

姿の見えない病魔に蝕まれながら、その病いに立ち向かい、今なおツアーで戦うホフマンの勇気と気力に敬意を抱かずにはいられなかった。

2017年12月27日 14時02分 JST | 更新 2017年12月27日 14時02分 JST

いきなり私事で恐縮だが、12月になると、亡き父のことが、いつも以上に思い出される。若いころからスポーツが大好きでとても元気な父だったが、2007年の夏、「脊髄小脳変性症」という難病に侵されていることがわかり、症状は日に日に悪化。診断からわずか1年半後の2009年12月に、父はこの世を去った。

それからというもの、ニュースを見るときも、米ゴルフ界で取材をするときも、何をするときも、私は「難病」という2文字にすぐに目が行くようになった。

つい先日も米PGAツアー選手のモーガン・ホフマンが難病の「筋ジストロフィー」と診断され、それを自ら公表したという話を朝日新聞で連載させていただいている私のコラム「素顔のプロたち」に書いたばかりだ。

ホフマンは28歳の米国人。名門オクラホマ州立大学ゴルフ部で腕を磨き、2011年にプロ転向。下部ツアーを経て2013年に米ツアーデビュー。そのころから自分のスイングスピードが徐々に落ちていると感じ、25人もの医師を訪ねたが、なかなか原因がわからないままツアーで戦い続け、成績も向上させていた。2015年には夢だった『マスターズ』出場も果たし、初優勝は近いと感じていた矢先の2016年11月、「筋ジストロフィー」と診断された。

筋ジストロフィーは筋肉が萎縮し、筋力低下が進行していく難病だ。

「歩行や呼吸、食べものを飲み込むことが困難になる人もいる。僕は今、右胸の筋力がほぼ失われ、力が入らない。すぐに命が危うくなる状態ではないそうだが、そうなる可能性もあり、症状が悪化していくスピードや広がり方を測るすべもない」

ホフマンが説明したその症状は、やはり難病のALS(筋委縮性側索硬化症)やパーキンソン病、そして私の父が侵された脊髄小脳変性症の症状とも、よく似ている。晩年の父の姿を思い出すにつれ、今、ホフマンの恐怖や苦悩はいかばかりだろうかと想像される。

しかし、ホフマンは悲嘆に暮れてはいない。「初優勝するという夢を病気に奪わせたりはしない」とむしろ闘志を燃やし、筋ジストロフィーに対する人々の理解を広め、治療のための研究開発の寄付を募るチャリティ基金を創設。チャリティゴルフも計画している。

「健康上や何かの困難に苦しんでいる人々に僕は呼びかけたい。キミたちの後ろには僕がいる。絶対に諦めない。どんなこともアングルを変えて眺めれば、人生を笑顔でいっぱいにすることができる。そうすることが、僕がこの地球上に生を受け、存在している意味だ」

姿の見えない病魔に蝕まれながら、その病いに立ち向かい、今なおツアーで戦うホフマンの勇気と気力に敬意を抱かずにはいられなかった。

先人たちの「手本」と「土壌」

ホフマンが自身の病気をあえて公表し、「それでも僕は頑張る」「みんなも頑張れ」と呼びかけた姿勢は、彼が米ゴルフ界で育ち、手本となった先人たちからその姿勢を学び取っていたからこそのものだ。

私が渡米した1990年代前半の米国には、すでに著名人が重い傷病を明かし、闘病する姿を世間にあえて見せる傾向があり、米ゴルフ界にもその土壌ができつつあった。

1993年、当時の人気プロゴルファーだったポール・エイジンガーが悪性リンパ腫と診断されたことを公表。抗がん剤の副作用で髪が抜け落ちた頭をみんなに見せながら、試合会場を笑顔で歩いたエイジンガーの姿を目の当たりにして、渡米して間もなかった私はただただ驚き、「すごいな」の一言以外に言葉が見つからなかった。

1996年には、大スター、ニック・プライスのメジャー3勝を支えた名キャディのジェフ・"スクイーキー"・メドレンが突然、白血病と診断され、プライスは文字通り、方々を駆けずり回って、治療法や治療薬を探し、そのための寄付も募った。

2003年には、新帝王と呼ばれたトム・ワトソンの名キャディ、ブルース・エドワーズがALSと診断され、エドワーズは症状が悪化し始めても力尽きるまでワトソンのバッグを担ぎ続けた。ワトソンはALSへの理解と研究開発費への寄付を募って米国中、いや世界各国を奔走。長年の相棒の回復をひたすら祈った。

残念ながら、メドレンもエドワーズも天国へ逝ってしまったが、重い病気や難病と診断されても諦めず、治療や回復のためにきっと何かできるはずだと手を尽くす姿勢、周囲に協力を呼びかける姿勢は、そうやって先人たちが示し、その土壌が培われてきた。

父が難病と診断された数カ月後の2007年秋、今度は私自身が子宮頸がんと診断され、「生と死」というものを生まれて初めて身を持って実感した。

そして、幸いにも回復した私は、かつて悪性リンパ種から回復してツアーに復帰したエイジンガーから直接聞いた彼の言葉の意味も、あのとき初めて実感できた。

「最初はダークなサングラスをかけて世の中を眺める気分だったけど、元気になった今、僕のサングラスはローズピンクだ」

なるほど、私のサングラスもダークな色からピンク色に変わっているなと感じられ、その喜びこそは何にも代えがたい「命」の喜びであるということを、人々に伝えたいと心底思った。

プロゴルファーの存在意義

フィル・ミケルソンの愛妻エイミーと実母メアリーが、ほぼ同時に乳がんと診断されたのは2009年の春だった。

ミケルソン一家も、やはりその事実を公表し、ミケルソンはしばらくツアーから離れて、家族みんなで支え合いながら闘病する姿勢を世界中に示した。

ミケルソンの声を聞き、米ゴルフ界の関係者もツアー仲間もメディアもファンも、みんながすぐさまリアクトし、ミケルソン一家をみんなで支えようと動き出した。

試合会場に来場する人々にピンク色を身に付けて来るよう呼びかけ、会場が一面、美しいピンク色に染まったこともあった。その様子をテレビ画面で見たミケルソン夫妻は、涙を流して喜び、「大いに勇気づけられた」と人々の激励に感謝していた。

そして翌年、マスターズを制したミケルソンが、すっかりやせ細っていたエイミーを18番グリーン奥で抱き締めた姿に、今度は世界中が涙を誘われた。

「I play for W.」はタイガー・ウッズのかつての常套句。「I play to win.」は全アスリートの共通項。そう、プロゴルファーは勝つためにゴルフをしている。

だが、ゴルファーである前に1人の人間であり、素晴らしいゴルフ、素晴らしい勝利を披露する以前に素晴らしい生き方を示そうとする。それが、プロゴルファーとして、スターとしての本当の存在意義なのではないか――。

師走の静謐な朝、そんなことに想いを馳せた。


舩越園子 在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。
(2017年12月26日フォーサイトより転載)

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