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ポスト資本主義社会を考えてみた:『価値主義』と『情報経済』

2014年07月07日 17時31分 JST | 更新 2014年09月05日 18時12分 JST

先日ある方と食事をしている時に『ポスト資本主義社会はどうなるか?』っていう話がちらっと出たんですが、あまり時間が無くてその話は深堀りできませんでした。自分の中でテクノロジーとの関係でこんな感じになるだろうなーというのがぼんやりあったのですが、文章としては整理できていませんでした。ちょうどイスラエル行きのフライトが片道20時間あったのでまとめてみました。

■価値の媒介として誕生したお金

資本主義を話をする前に、まず「お金」ってそもそも何者でなぜ出来たかに一応触れておきたいと思います。

お金ができた理由は「価値」という漠然としたものをうまくやりとりするためであり、お金には価値の保存・尺度・交換の役割があると言われています。定義の話になるとまたややこしくなるので、ここでの「価値」とは他人が必要とする資源とでもしておきますね。

もともとはお金は物々交換の不便さを補う仕組みとして発達したようです。確かに食料もすぐ腐りますし遠くまでは運べませんから、何かに価値のやりとりを仲介してもらう必要がありますね。この価値の媒介物は、時代によって貝殻だったり金属だったり紙だったりと姿をよく変えます。

とりあえず他人が必要とする資源を手に入れたらお金に換えておけば、自分が何か必要になったときにすぐに交換できます。腐る心配もありませんし、比較的軽いので持ち運びにも便利です。現在世界最古のお金は紀元前1,600年ぐらいの貝殻とされています。お金は資本主義が発達するずっと前から人間のそばにいたのが分かります。

■社会の主役に抜擢されるお金(資本主義)

そんな長い歴史を持つ「お金」もかつては今ほどプレゼンスは高くなかったようです。時代によって人間が大事だと思う対象が神様(宗教)だったり、王様(身分)だったりしたためです。

お金が表舞台に出始めるのは、今から300年前の18世紀ごろです。このあたりから社会の変化のスピードが激的に上がってきます。

いくつかの革命がおき自由・平等などの概念が広まり、個人が自分の人生を自由に選択できるようになります。同時に、産業革命が起こり農業から工業へと生活の中心が移っていきます。労働という価値を提供して「お金」という対価を得る労働者と、「お金」という資本を使って工場を所有する資本家に大別されるようになります。

名誉革命により貴族などの身分の影響力が薄れる一方で、工場を作るための原資であるお金が非常に重要になっていき、労働者にとっても生活する手段としてお金が非常に重要になってきます。

このあたりで「身分」から「お金」へパワーシフトが起き、お金が社会の表舞台に主役として登場してきます(資本主義)。

■手段の目的化が進むお金

ここからの資本主義の発達は説明不要だと思いますので省きますが、この時期から人とお金の関わり方は激的に変わっていったのが感じ取れます。

最初は、お金は価値を運ぶ "ツール" でした。

ただお金が社会の中心になるにつれ、価値をどう提供するかを考えるよりも、お金からお金を生み出す方法を考えたほうが効率的であることに多くの人が気付きます。人を雇用して製品を作って市場で売ってお金に変えてまた何かを買うよりも、お金にお金を稼がせるほうがもちろん楽です。現在の金融市場の大きさを考えると納得がいきますね。

価値を仲介するツールだったお金が、価値から分離してひとり歩きを始めた感じでしょうか。証券化などのスキームが生み出され、お金を金融商品として販売できるようになるとこの流れはさらに加速していきます。証券の証券化まで来るともう実体経済の消費とは関係ないところでお金だけがぐるぐると一人歩きをし続けるようになります。

価値を効率的にやりとりするための手段として生まれたお金は、それ自体を増やすことが目的に変わっていきます。いわゆる手段の目的化ですが、資本主義におけるお金の重要性を考えれば必然の流れだと思います。

■ITの誕生で手段の多様化が進む

ITなどの新しいテクノロジーが生まれると人間が作った概念は変化を余儀なくされます。その中には、文字記録手段やコミュニケーション手段と同様に、価値の媒介手段である「お金」も必然的に含まれます。

それまで文字の記録手段として主流だったのは紙ですが、ITの発達で文字を電子的に記録して自由に発信できるようになったので、紙は記録手段のひとつの選択肢になりました。別の見方をすれば、紙はITの誕生でそのプレゼンスを大きく下げたとも言えます。

同様に、ITは価値のやりとりも電子的にやってくれる技術ですから、既存の「お金」を価値媒介手段のひとつの選択肢に変えてしまうポテンシャルがあります。

何かの目的を達成するための手段がひとつしかない場合は、その手段をとことん極めるのがベストです。ただ手段がいくつもあって選べる場合は事情が変わってきます。

商品を販売する時のことを例に考えてみます。販売手段が店頭だけの場合は、いかに多くの店舗で扱ってもらえるかが非常に重要になるので、卸売やスーパーなどは立場が強くなります。この場合は商品の質を高めることに投資するよりも、多くの店頭に独占的に陳列できるように努力したほうが合理的です。これが、ネットを通して消費者にダイレクトに商品を販売できるようになると、商品そのものがより重要になります。消費者もネットを通して色々な商品を比較して、安くて良い商品を購入するようになります。手段が多様化すると、人々が注力するポイントが変わります。

上記の話は価値の媒介にも当てはまります。価値をやりとりする手段が現在の国が発行する通貨以外でも可能になると、ユーザは自分にとって最も便利な方法を選んで価値のやりとりをするようになります。それが国が発行する通貨なのか、企業が発行するポイントなのか、ビットコインのような暗号通貨なのか、はたまた価値の直接交換なのかは人によって違うでしょう。

ただ、手段の多様化により人々が注力するポイントが「お金」という手段から、その根源である「価値」に変わることは予想できます。

価値を最大化しておけば、複数のチャネルを使って好きなタイミングで他の価値と交換ができます。「価値」とは商品であり「お金」とは商品の販売チャネルのひとつみたいなものです。

例えば、貯金ゼロ円だけど多くの人に注目にされていてTwitterのフォロワーが100万人以上いる人が、何か事業をやりたいと考えたとします。すぐにタイムライン上で仲間を募り、クラウドファンディングを通して資金を募り、解らない事があればフォロワーに知恵を借りられます。

この人は、"他者からの注目" という貨幣換算が難しい価値を、好きなタイミングで人・金・情報という別の価値に転換することができます。1億円の貯金がある事と100万人のフォロワーがいる事のどちらが良いかは人によって答えが違うと思いますが、ITの普及で個々人の価値の尺度・保存・交換の方法も多様化していくのは確かです。

■資本主義から価値主義へ

手段が多様化し「資本」を最大化することから、資本の根源である「価値」を最大化することに焦点が移ると、経済はどう変わるでしょうか。

現代は『お金=資本』とも言えますが、その根源にある「価値」を最大化しておけば、様々な手段で保存したり交換したりすることができます。そのため、企業の在り方も変わってくることが予想できます。

例えば、Facebookが年商20億円しかないWhatsAppを2兆円で買収しましたが、資本の観点から見ると高すぎるディールです。ただ、世界4億人のコミュニケーションを支えるインフラとしての価値を考えると妥当とも言えます。

WhatsAppはその価値を現実世界の「資本」に転換する仕組みをまだ作っていないだけで、その転換はいつやるかのタイミングの問題になります。Facebookの18兆円近い時価総額も世界12億人のソーシャルグラフという「価値」に支えられているので、彼らが資本の根源であるその価値を見て、2兆円を払うのはまあ理にかなっているとは思いますね。

もう一例として、Googleを見てみます。Googleの時価総額は約40兆円で、これは日本の全IT企業の時価総額の合計よりもさらに大きいです。2013年度は売上5兆円・利益1兆円で、数字だけ見るとこれより大きい会社は日本にもありますから、割高のように感じますね。

Googleは検索エンジンやAndroidやYouTubeで得られる情報をデータとして蓄積し、それをAdwordsの広告システムで好きな時に現実世界の売上利益といった資本に転換する手段を持っています。現在の会計基準では情報(サーバ上のログ)を資産として計上することはできませんから、私達がPL/BSから見る会社の規模と、現実世界での影響力に大きなギャップを感じると思います。

Googleにとっては情報という「価値」も、売上利益という「資本」も、単位が違うだけで同じように移っているのかもしれません。彼らの持つ情報量があれば売上20兆円ぐらいは出せなくはないと思います(課金機会と広告露出を増やせば良いので)。もし情報を資本に転換する量を意識的に調整しているのだとしたら、実態はもっと巨大ということになりますね。資本が企業をコントロールするのが資本主義ですが、彼らの場合は企業が資本をコントロールしているのかもしれません。

上記の2社はどちらもIT企業ですが、今後ネットがあらゆるデバイスにつながっていき、全ての産業に浸透するようになると『IT企業』という分類は消えるかなと個人的には思っています(全てIT企業になるので)。ちょうどGoogleやAppleも先日、テレビ、車、メガネ、人工衛星、ロボット、家電などの領域に参入したので近いもう将来の話になりそうです。

ITによってお金以外の「価値」がデータとして認識できるようになり、お金では計上できない「価値」を中心に回っている会社が成長しているのは面白い現象だと思います。

情報技術の普及と共に「お金」を中心とした資本主義から貨幣換算が難しい「価値」を中心とした社会に移りつつあるとすれば、これをとりあえず「価値主義」とでも呼んでおくことにします(安易なネーミングw)。

■政治と経済の境界が曖昧に

経済的な側面だけ見ると単位が変わっただけで大した変化ではないのですが、適用範囲を社会全体に広げてみるとけっこう大きな変化かもしれません。例えば、価値という視点で見ると、政治と経済を明確に区別する意味がないことに気づきます。

市場経済は人間の欲望を刺激し「より良い生活をしたい」と思う人達を支援する仕組みと言えます。その手段としてお金や市場があります。経済は個々人のさらなる生活の向上を目指す役割を担っています。

逆に、民主政治は全体の不満の声を吸収し、全員が納得できる意思決定を目指すための仕組みと言えます。その手段として議会や政府があります。政治は、特定の人達のより良い生活のためではなく、全体の生活の向上を目指す役割を担っています。

この市場経済と民主政治が社会の両輪としてバランスをとった状態が現代社会だと考えられます。市場経済が苦手な領域を民主政治が担い、民主政治では主導が難しい領域を市場経済に委ねる、といった具合です。

これを価値という観点から捉え直すと、政治と経済はアプローチが違うだけであり、2つは同じ活動として分類することができます。

ソーシャルビジネスもその流れで見るとわかりやすいです。これはグラミン銀行を作ったユヌス氏が提唱した考えです。バングラデシュから貧困を無くしたいと考えたユヌス氏が、慈善事業を持続可能なビジネスとして成立させることで、寄付金や政府に頼らずに数百万人が貧困から脱することに貢獻しました。貧困は政治が取り組む問題とされがちですが、彼らは貧困をビジネスという経済のフィールドで解決する方法を見つけました(その後、ユヌス氏はノーベル平和賞を受賞しました)。

GoogleやFacebookもまだインターネットが使えない国の人々に無料でWifiを提供しようと様々な投資をしています。それは彼らのビジネスを拡大する要因にもなりますが、ITのインフラが整備されていない地域の数十億の人達にとってはその価値は計り知れないです。

価値主義では、提供する価値と経済的成功が密接に結びつくので、より多くの人に価値を提供しようと考えると、ビジネスは必然的に「公益性」を帯びるようになります。一方、民間組織が貧困撲滅などの政治的な目的を実現しようと思えば、寄付金や税金に頼らないビジネスとしての「持続可能性」が求められるようになってくるでしょう。

経済的な活動には「公益性」が求められるようになり政治的な活動にはビジネスとしての「持続可能性」が求められるようになると、経済と政治の境界線がどんどん曖昧になってきます。価値主義とはその境界線に存在する考え方であり、その意味では『公益価値主義』と表現し?