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「合意があると思っていた」なら「悪質ではない」のか 高畑裕太氏弁護人コメントへの疑問

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強姦致傷罪の容疑で逮捕・勾留されていた、俳優の高畑裕太氏が9月9日に釈放され、同日付で弁護人が報道機関にコメントをFAXで送ったという。弁護人のコメントの全文は複数のメディアで報じられた。

この弁護人のコメント内容には疑問を感じる点が複数ある。以下順次述べる。   

1 コメント発表につき被害申告をした女性の了解は得ていたのか


弁護人のコメントでは、このような内容のコメント発表について、被害申告をした女性の了解を得たかどうか、何も触れられていないが、事前に女性の了解はあったのだろうか。

コメント自体からは不明であるが、①もし了解を得ていれば、「了解を得ていないのではないか」という疑念を抱かれないよう、通常は「了解を得ている」ことを明記するであろうがその記載がないこと、②内容自体が、被害申告をした女性が了解するとは容易に考えづらいものであること  の二つの理由から、女性の了解を得ていなかったことを私は懸念している。

もし、コメント発表について、女性の了解を得ていなかった場合、この弁護人のコメントは、その女性に対し著しく配慮を欠く不適切なものと言わざるを得ない。以下理由を述べる。

まず一般論として、刑事弁護人として行わざるを得ない職務を遂行し、その結果被害者が不快になり傷つくという場面をゼロにすることはなかなか難しいとは思う。刑事弁護人としても無用に被害者とされる方を傷つけるべきではないのはもちろんではあるが、それでも刑事弁護人として言わざるを得ない主張というのもあり、被害者ケアの全てを刑事弁護人に求めるのは到底筋違いである。それは被害者のために動く弁護士や違う機関が担うべき役割である。

しかし、本件のこのようなコメントを報道機関に出すのは、そもそも、刑事弁護人として「行わざるを得ない職務」ではない。被疑者が有名人であったことから報道が過熱した(これ自体大きな問題ではあった)状況を踏まえ、報道機関からの取材殺到に対する事務処理としてコメントを発表せざを得ないとしても、

「本日処分保留として身柄は釈放されました。不起訴処分となることが見込まれますが未定です。身柄釈放に至った経過等詳細は関係者の意向やプライバシーもあり、お伝えできないことをご了承下さい。」

という程度に留めて十分だったのではないか。示談が成立したことは、検察官に伝えるべきではあるが、世間に伝えることは弁護人の仕事ではない。示談に応じたことは女性側のプライバシーでもあり、女性の了解なく第三者に伝えるべきではない。

もし相手の女性の了解を得ずに弁護人がこのようなコメントを発表したとすれば、女性にとってはそれ自体が寝耳に水の衝撃的な事態であったであろう。また、詳細な事実関係が不明なので仮定でしか書くことはできないことを前提に述べるが、もしその女性にとって性暴力被害を受けたと感じることがあったのであれば、一部報道やネット書き込みによる二次被害に加え、弁護人による三次被害を受けた気持ちになったのではないか。そうではなかったことを願う思いである。

なお、犯罪被害者に必ず代理人弁護士が就任しているとは限らない。ネット上で個人を特定され、容姿まで云々されるほどのひどいプライバシー侵害に遭っていた女性の代理人弁護士を名乗る抗議コメントの発表などが今までなかったことからすれば、女性は弁護士を依頼していなかった可能性のほうが高いのではないか。女性が弁護士を依頼せず、従って専門家からの法的助言を得ていなかった可能性もある以上、たとえば「示談において守秘条項(合意内容や示談が成立したこと自体などをお互いに第三者に伝えないことを約束する条項)を入れておけばこのようなコメントを防止することはできたのにしなかったことは女性側のミスである」というような非難は失当である。事実関係もわからないのによく無責任にそのような非難をできるものだと驚くが、そのような非難もネット上で見かけたので念のため指摘しておく。

2 「合意があると思っていた」なら「悪質ではない」のか


(1)弁護人がにおわせた無罪主張の内容は「強姦罪の故意はなかった」というものである

弁護人のコメントで一番ひっかかるのは、「高畑裕太さんの方では合意があると思っていた可能性が高い」「違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件」という点である。

まず大前提として、無罪推定の原則は当然踏まえるべきであり(これを踏まえない報道があまりに多くそれ自体も大問題ではあったが本稿ではこれ以上触れない)、本稿も、高畑氏がなんらかの犯罪に該当する行為を行ったと断定する前提にたつものではない。

ただ、弁護人コメントに「高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く」とあるのは、「合意」の対象となるようななんらかの行為が両名の間であったことは前提にしているので、およそ何らの性的関係もなかったという主張ではないのであろう。

ということは、「裁判になったら無罪を主張したと思われた」というのは、具体的には、「性的関係などなかった」とか「人違いだ」などという客観的事実を争うような無罪主張パターンではなく、「性的関係があったという事実関係は争わないが相手の意思に反していなかかった」というような、故意の存在を争うような無罪主張をしたであろう、という趣旨だろう。
 
(2)「合意があるものと思っていた可能性が高い」ことは「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」ことの理由になるのか

弁護人コメントの「合意があるものと思っていた可能性が高い」という主張は、「仮に起訴されて裁判になっていれば無罪主張をしたと思われた」という主張とあわせ読めば無罪主張をにおわせるものであり、他方において「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」というのは、有罪可能性を前提に「そうはいっても悪質ではない」という主張なので、厳密に読めば、論理的には相容れない。

そういうこともあって、何を言いたいコメントなのかわかりづらいのではあるが、おそらくは「本当は無罪主張をしたいところなのだが、色々な事情から示談で早期に事件を終結させることとした。そもそも性的関係について合意があるものと思っていたのであるから、仮に有罪と認定されるとしても違法性は低く、悪質とはいえない」ということを言いたいのであろう。つまり、「合意があるものと思っていた可能性が高い」という主張は、「無罪」主張の理由でもあり、「仮に有罪と認定されるとしても、違法性は低く悪質ではない」ということの理由でもある、として書かれたものであろう。
 
では一般に、「合意があるものと思っていた可能性が高い」ことは、「無罪である」こと、あるいは「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」ことの理由になるのであろうか。

結論からいえば、これは、個別具体的な事案の経過によるといえ、単純に「合意があると思っていた可能性が高い」から常に「無罪」とか「悪質ではない」とはいえない。このことは、なかなか意識されず、語られてこなかったことであると感じており、問題意識をもっているので、長くなるが以下理由を述べる。

(3)「強姦罪の故意」とは何か

今の日本の刑法の強姦罪の規定には色々問題があるが(注1)、それは長くなり本稿の趣旨から離れるのでさておき、刑法でいう「強姦」とは「暴行や脅迫」を手段として、男性が女性に対し性交を強要すること、つまり女性の意思に反する性交をすることである。

前提として述べておくが、犯罪は原則的に「故意」がなければ成立しない。「故意」というのは、あえて、わざと、その行為をしようとすることなので、強姦罪の「故意」とは、相手が同意していないと認識しつつわざと性交しようとする意思である。従って、「相手も同意があると思って性交した」という場合には、強姦罪の「故意」は無い、という理屈になる。

重大な犯罪では、「故意」がなく、「過失」で結果を生じさせてしまった場合も例外的に犯罪が成立するが、それは過失犯処罰の規定が法律におかれている場合に限られる。たとえば、わざと鋭利な刃物で頸動脈がある首付近を刺したら普通殺人罪の故意が認定されるであろうが、機械の運転中に運転操作を誤って周りにいる人に怪我を負わせてしまい、それにより死という結果が生じた場合には、殺人罪の故意は認められず、成立し得る犯罪は「過失致死罪」、または過失の程度が重いなら「重過失致死罪」ということになる。

この点、日本の刑法には、強姦罪について、過失犯を処罰する規定はない。

従って、理屈上は、「男性としては強姦のつもりじゃなかったのに(実は相手の女性は同意してなかったから)強姦という結果が生じた」という場合には、強姦罪の故意の存在は否定されて同罪は成立しない。そして、「過失強姦罪」という犯罪類型が日本の刑法に存在しない以上、無罪ということになる(事案によりけりだが、刑事責任は負わなくても、民事上の損害賠償の問題は別途生じ得る)。

一般には理解されづらかったのではないかと感じるが、弁護人コメントに「男性の方に女性の拒否の意思が伝わったかどうかという問題があります。伝わっていなければ、故意が無いので犯罪にはなりません」とあるのは、このことを指している。

(4)「相手の合意の有無」「合意がなかったとは知らなかったという言い分の正当性」をどういう理由で判断するかが重要である

そして、強姦罪の場合にはよく、この、「相手の合意があったかどうか」「合意がなかったとして、それを男性側が認識していたのか」が争点になる(注2)。犯罪が成立するか否かの分かれ目である以上当然といえば当然で、やむを得ないことではあるが、しかし「合意があったかどうか」「男性側が認識していたのか」が、どうやって判断されるかが非常に問題だということがしばしばある(注3)。

民事で損害賠償請求するときも同様の問題はよくあり、実務では、「性的関係があったかなかったか」が争点になるより、「確かに性的関係はあったが、合意があったかなかったかが争点だ」ということをしばしば経験する。ひらたくいえば、「あなたから、こちらの意に反する性的関係を強要されたので損害賠償を請求する」と伝えたところ、「性的関係なんてなかった!なんのことだ!」と反論されるかと思いきや「性的関係はありましたが、それが何か?あなたも合意していたではないか」と言われることがよくあるのだ。

たとえば殺人の場合、「頸動脈がある首付近だと認識している部位に鋭利な包丁をあてて、刃物で首を刺そうと思って深く刺したけれど、しかしそれによって相手が死ぬとは思っていなかったから殺人罪の故意は無い」という主張は、理屈上はありうるが、普通はなかなか認められるものではないだろう。なぜなら、ひらたくいえば「いや、それはないよね」「不自然すぎるでしょう」と感じられるからだ。

強姦の場合、加害者とされる人が「性交について相手の合意があると思っていた」という主張をする場合にも、「それはないよね」「不自然」というようなことであれば、強姦の故意は認められることになり、「不自然とはいえない」ということだと故意は認められず、強姦罪は成立しないということになるわけだが、問題は、どういう主張をどういう理由で「不自然ではない」あるいは「それはないよね」と判断するかである。

この判断には、実際問題、起訴するかどうかの場面なら検察官の経験則、裁判で強姦罪の成否や損害賠償責任の有無を判断する場面なら裁判官の経験則、それぞれの立場の代弁をする場面では主張する弁護士の経験則、に基づくところがあり、その経験則は社会の価値観にも左右される。

たとえば最近では、検察審査会申し立てをされて、今、検察審査会にかかっているようだが、大阪で、元警察官が複数の男性と一緒に、一人の女性を縛るなどして複数で強姦したとされた集団強姦疑惑事件については、「女性の合意があった」可能性を排斥できないということで不起訴処分になった経過があるようだ。(朝日新聞デジタルの報道

女性は「そんなことに合意なんてしていなかった」ということで不起訴処分は不当として検察審査会申し立てをした。報道された事実関係を前提にすれば、そんなことで「合意があったという男性側の主張は不自然とはいえない」「合意があったとも考えられる以上、強姦罪成立とは見込まれない」と判断されたらたまらないなと感じた。 

私は「性的関係に合意してなかった」と主張する側の代理人としての仕事をする経験を何度かしているが、「合意してなかった」と主張する「被害者」と「合意してたじゃないか」と主張する「加害者」がいる場合、「なんであなたは、相手の女性が合意してたと思ったわけ?」と、「加害者」側の認知の歪みを感じることが多々ある。

これに関する重要参考文献としては是非、大阪大学教授・牟田和恵先生の名著「部長!その恋愛はセクハラです」(集英社新書) を多くの方にお勧めしたい。

実務では、「なんでそれでお互いに恋愛感情があったとあなたは思い込んだの」というような「加害者」の言い分に出会うことが本当によくある。 たとえば「川に入るためにスカートをたくしあげて足首を見せた」とか。いや、スカート濡らさないようにしただけで、足首をあなたに見せるためにたくしあげたわけじゃないし、そもそも足首を見えるような状態にしたらなんで、いい仲だということになるの。。。と理解に苦しむようなことが本当によくあるのだ。 

もちろん、他者の行為に内心でどきっとして「もしかして相手もこっちに気があるかも」と思うだけなら何も問題は無い。それに基づいて行動が暴走し、相手の意に反する性的関係を強要する結果になってしまうことがあるのが問題なのである。

「こんなことで、性的関係に合意があると思い込んだというなら、そのこと自体が悪質」と感じることはよくあり、これはもう、認知の歪みだとしかいいようがない。そして、認知の歪みに起因する性暴力は決して少なくないと感じる。

たとえば、女性が性的行為を「いや」と言い、文字通りいやだと考えていたのに、男性が「いやと言っていても本当は性的行為に合意しているのだろう」と勝手に脳内変換して女性の意思に反する性的行為を行い、「女性の合意がないとは思っていませんでした」と主張して故意の存在を否定するような場合、「合意があると思っていた」というだけで「法的責任はない」あるいは「法的責任があったとしても悪質ではない」と考えていいのか。そのような脳内変換が認知の歪みである。

認知の歪みから生じる性暴力をなくすためには、こういう認知の歪みを生む要因、認知の歪みを生むファンタジーを、社会から、ひとつひとつ除いていくしかないのではないかと考えている。

(5)弁護人のコメントへの違和感

さて、高畑氏の件ではどのような事情があったのかという具体的なことはわからないので、「高畑氏が、女性との性的関係について合意があったと思っても不自然ではない」というような事情があった可能性も、一般論として排斥はしない。「高畑氏が、女性との性的関係について合意があったと思ったのは認知の歪みだ」と断じる根拠など私は何も持ち合わせておらず、そのようなことは言っていない。

しかし、一般論として「合意があったと思い込んだ、(だから、仮に法的責任を負うとしても)悪質じゃない」といえるかどうかは事案によるとしかいいようがないということは強調しておきたい。「合意があったと思いこんだ」ことが認知の歪みによるものであり、むしろ悪質ともいう事案もあるのだ。「合意があったと感じたことについて一定の合理性があるような事実経過があったか」が重要なはずである。

従って、「(加害者とされる側が)性的関係に合意があるものと思っていたこと」のみでは、法的責任を負わないこと、あるいは「(法的責任を負うとしても)悪質ではない」ことの理由にはならないということを何度でも強調しておきたい。弁護人のコメントにはこのことについての意識が感じられないことに違和感を覚えた。これでは、「一方が合意があると思いさえすれば、他方には実際に合意はなくても、法的責任はないことになるのか?責任があるとしても、悪質ではないのか?」と思わせかねない。
 
弁護人としては、とにかく高畑氏側の認識として「無罪の可能性も高く、少なくとも悪質ではなかった」という結論だけを言いたかっただけということになるのかもしれないが、根拠を示さず結論だけを述べることにどれだけの意味があるのだろうか。「性的関係に合意があるものと思っていた」ことのみでは、法的責任が発生しないかとか、事案が悪質かどうかはなんともいえないはずだ。それに加え、「そう思ったことにつき、それまでの事実経過からして合理性があった」といえるかが重要なのだ(例えば上記に書いた大阪集団強姦疑惑事件などはこれが重視されなかった典型的な事案と思われる)。
 
最初に述べた通り、このコメント発表について女性の了解があったかは不明である。しかし、もし了解がなかった場合(容易に了解するような内容ではないと感じるのだが)で、しかも女性が性的被害を受けたという認識であったなら、このような「悪質ではなかった」という弁護人のコメントが、当該女性に対してどれだけ精神的苦痛を与えるものであったかと胸が痛む。

「性的関係に合意していなかった」と主張する側は、「あなたも合意していたじゃないか」「こちらは、あなたも合意していたと思っていた」という主張自体に非常に傷つくものだ。それでも主張せざるを得ないような場(例えば起訴されて裁判で無罪主張する場合など法的責任を争う場合は主張せざるを得ないだろう)でなければ、弁護士としては、そのような趣旨の主張はすべきではないのではないか。この弁護人コメントは、女性側の了解を得ていなかったとすれば、当該女性への配慮をあまりに欠くもので、同業者としても非常に残念である。

3 なぜ示談後にこのようなコメントを発表したのか


コメント発表について女性の了解がなかったとすれば、ではあるが、示談というのは「これで事件は終了」ということなのに、その後に、事実認識の相違を蒸し返され、報道に、一方のみの認識に基づくコメントが報じられるというのはあまりに不健全な状況であるし、相手の女性にも対等に、コメント発表の場が与えられていたわけでもないのだから、フェアではないだろう。

更にいえば、示談成立後にこのように蒸し返すようなことを弁護士から言われるのでは示談には応じたくない、と、他の犯罪の被害者に感じさせてしまい、刑事弁護の業務一般にも悪影響を及ぼしかねない(そのようなこともあり得るから、コメント発表につき女性の了解を得ていたなら、そのことをコメントに明記するはずではないかと思うのだ)。弁護人はそのようなことは考えなかったのだろうか。

本件については報道が過熱し、インターネット上での女性のプライバシー詮索も目に余るものがあり、事案の具体的経緯は不明ながら、女性の日常生活が一変した日々だったであろうことは想像に難くない。一日も早く平穏な日常を取り戻されるよう心から願う。

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注1 本稿の趣旨からは離れるが、日本の刑法でいう「強姦」は男性器の女性器への挿入に限定されており、肛門性交や口への男性器挿入、女性器への、男性器以外の物の挿入は「強姦罪」ではなく、より法定刑の低い強制わいせつ罪の適用に留まる。被害者が受けるダメージの大きさが基準になってないことにずっと問題意識を抱いている。性犯罪規定の見直しはまさに法務省の審議会で議論されたるところではあるが(法務省 法制審議会 刑事法 性犯罪関係部会)、見直しは遅すぎたし、今後どのような改正内容となるかには注視が必要である。


注2 しかし強姦罪や強制わいせつ罪についての刑事裁判で、合意の有無が争点になることは、あることはあるのだが、特に顔見知りからの性暴力の場合で、「加害者」が「彼女も合意していたはずだ」と主張するような場合には、そもそも検察がなかなか起訴してくれず、刑事裁判で争点になる以前の次元ということも少なくないと感じる。

これはおそらく、「合意があった」という主張については、顔見知りで人間関係があるほうが、全く面識のない人間関係よりも、検察が容認しやすい、排斥しきれないところがあるからではないかと推測している。大阪の集団強姦疑惑事件も、加害者とされる男性の一人と女性に多少の面識があったことも、女性の合意の存在を排斥しきれないと検察が判断した背景にあるのではと推測する(また、被疑者の1人が元警察官であったことから、捜査機関が「身内」に甘いからだろうという指摘もされており、これも要因の一つかもしれない)。

しかし、性暴力の加害者は実は見知らぬ人からの加害より多いという調査もある。例えば内閣府が平成20年に行った、男女間における暴力の調査において、1675人の女性に対し、異性から異性から無理やり意に反する性交をされた経験があるかを質問したところ、7.3%の女性が「ある」と答え、「ある」と回答した女性に、加害者との属性を聞いたら、約8割は、面識のある人だと回答した

顔見知り間での性暴力も極めて深刻なのだ。しかし、面識のある人間関係で起きる性暴力は、面識のある人間関係であるがゆえに被害を訴えづらく、また、ハードルを乗り越えて被害を訴えても、面識のある人間関係であるがゆえに、「合意があったのではないか」と疑われて性暴力を認められづらいという困難さがあるのである。


注3 ゴルフ練習場経営の男性(65)が、ゴルフ指導を口実に教え子の女性(当時18)をホテルに連れ込んで、心理的に抵抗できない状態にして強姦した(準強姦)とされる事件では、不起訴とされたあと検察審査会が起訴議決して強制起訴した後、地裁・高裁とも無罪判決とし、最高裁でも無罪判決が確定という経過をたどった。第一審・鹿児島地裁判決は「仮に、被害者が抗拒不能状態であったとしても、被告人がそのことを認識したという証明はできておらず、被告人の故意を認めることはできない」として無罪判決を言い渡した(平成26年3月)。高裁判決(平成26年12月)も「女性は精神的に混乱し抵抗できない状態だった」と認定したが、男性は女性が抵抗できない状態だと認識していなかった可能性があるとし、準強姦罪の故意は認められないとして、一審・鹿児島地裁の無罪判決を支持した。

女性側の意思には反する性的関係だったが、男性がそれを認識していなかったということで「故意がない」として、刑事責任を問われなかった例である。指導者に抵抗できないまま意思に反する性的関係をもたされた女性の心情を思うと言葉もない。