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倉本圭造 Headshot

左翼さん、もう民進党はお見捨てになったのですか?

投稿日: 更新:
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蓮舫民進党はどうやったら「責任野党」になれるのか?についての連作ブログの続きです。今回のタイトルはちょっと変化球的ですが、この記事を最後まで読んでいただけると意味がわかると思います。

 

結論を端的にまとめると以下の三点になります。

・民進党は自民党(などの保守政党)に較べて、党員や議員ら関係者だけでなく、支持者のまとまり全体がバラバラで烏合の衆的であり、同じような戦い方をしてたら「まとまり度」で断然負ける。

・烏合の衆をマネージする時は「流れに任せる部分」と「大枠でシッカリ捉える部分」を分けることが重要。できるだけ「マイクロマネジメントでなくビジョナリーに」動かすこと。

「大枠に捉えたビジョン」において最も重要なのは「純粋理想的左翼性」との「距離感」をどう取るか。そこを適当なごまかしでなく「本来的役割分担」について真剣に詰めた大方針に昇華することが、民進党関係者だけでなく今の日本の「左っぽい人全員」に求められている。

 

今回記事の目次は以下のとおりです。

●1 保守政党との最大の違いは「烏合の衆」なこと。これは党員や議員だけでなく支持者のまとまりについても言える。 

●2 烏合の衆をマネージするには「流れに任せる」部分と「ビジョンを示す」部分の二本立てで!

●3 国会論戦や選挙戦などの派手な行動だけでエネルギーを使い果たさないことが大事

●4 真剣に考えておくべきは「純粋理想の左翼性」との距離感と役割分担

●5 準備の足りない無理なリアリズム路線アピールは逆効果

●6 『批判』でなく『代替案』でなく『移行プラン』まで考えると良い。

●7 最後に。 『風』は世界からやってくる。次の「波」を焦らず待て。

では以下本文。 

 

 

●1 保守政党との最大の違いは「烏合の衆」なこと。これは党員や議員だけでなく支持者のまとまりについても言える。 

 

前回記事から続きをすぐアップするはずだったのですがノビノビになってしまってスイマセン。言い訳させてもらうと、「日本社会の現状から見て本来あるべき・可能なはずの責任野党像」と「現実に存在する民進党さん」との間のあまりのギャップに、大掛かりな「民進党が政権取るにはブログシリーズ」を書く気合やヤル気を吸い取られてしまったような感じでついつい時間がたってしまいました。

 

 ただ、コンサル的な話では、「マクロな環境から見てこういう方向で行けばいいんじゃないか」という当初仮説をコンサル側が提示した後、クライアント側が「なんか妙に反応悪いな」となる時というのは一番「手間かけて相手に寄り添う」ことが必要なタイミングでもあるわけですよね。

 

 「マクロな環境からの演繹的な話」では結構一緒に納得して議論してたはずなのに、その次の瞬間なんか黙っちゃうというか、反応が悪くなっていずれフェードアウトしちゃう・・・というギャップにこそ、「その組織固有の強み弱みも眠っている」からです。そこを丁寧にほぐしていけばブレイクスルーにつながることも多い。

 

 ・・・と、言うわけで、蓮舫さんや玉木雄一郎議員にもツイッターをフォローいただいて、いざちょっとだけインサイダー気分で、結構時間をかけて色んなニュースソースや、ネット経由で伝わってくる「民進党の人たち」の情報に触れて見て一番痛感したことは・・・・

わかってたはずだけど想像以上に民進党って"烏合の衆"なので、首脳部がこうするぞ!と言ってみんなで一緒に何かをやるというようなことは無理っぽい

 ということでした。だから前回記事のようなことは、よほどやり方とテーマを厳選してやらないと、掛け声倒れに終わっちゃうんだなと。

 

 これは、民進党の議員や党員といった関係者が烏合の衆なだけじゃなくて、そもそも自民党支持者に比べると「民進党の支持者」というフワッとした集団自体がものすごく烏合の衆的で、基本的に「押忍」の精神でまとまってる自民サポーターズに較べて、ほんのちょっとした意見の違いで今の幹部をものすごく敵側(保守政党側)にも目立つ形で徹底的に非難する人がいたりとか、とにかく「まとまり」ってもんが全然ないんですよね。

 

だから、自民党の支持者は多少疑問があっても、公的に発言する時には「敵(左の人)を利するぐらいなら押忍の精神で我慢する」ことを選びがちですが、民進党の支持層(や党員や議員)は党首脳がやってることが自分の意見と1ミリでも違っていると一斉に大批判論陣を張りがちで。

 

 この行動様式の違いは、長年アベ支持者を続けてきてあまり「左のインサイダー」になったことなかった私には結構衝撃でした。

 

 私はいつも「とりあえず多少の意見の違いはあってもこの首脳で行くってみんなで決めたんやし、この人達を盛り立てていかな全体で沈むだけやん?」と考える派なんですが、これは「左の感性」を持った人の集団からするとちょっと少数派の考え方のようです。

 

 しかしだからといって左の人に右の人みたいなキャラクターを身に着けろといっても無理なので、要するに「民進党は烏合の衆」ということを前提にした上での方策じゃないと実効性ある提案にならないというわけですね。

 

 この方針は私だけでなく、右に較べてとにかくバラバラに内部批判に熱中しがちな左の「中の人」は、「なんでアイツらは俺の考え通りに動いてくれないんだよ!」と怒る前に、「烏合の衆っぽいのは個の自由が尊重されてる証拠で良いこと。それでもまとめられる大きな方向性を考えよう」という発想で向かおうとしていただければと思います。

 

 

●2 烏合の衆をマネージするには「流れに任せる」部分と「ビジョンを示す」部分の二本立てで!

 

で、じゃあどうしたらいいかというと、こういう「お前たちこうするぞ!」&「押忍!」的なコミュニケーションがほとんど存在しないような集団には"マイクロマネジメント"(細部まで具体的に指示していくような運営方式)は通用しないので、できるだけビジョナリーなリーダーシップ("こういう方向に進むぞというイメージ共有だけがあって後は各人が勝手に動くという形)を目指す必要があるんですね。

 

これはどんな組織でも当てはまることを言っているようですが、対象が「烏合の衆」的である場合はこれをもう「ものすごく徹底してやる」ことが必要になってくる。

 

つまり「現実の民進党でも受け入れられる形」の、「理想の今あるべき代替野党像」をシッカリ概念的に打ち立てることで、後は烏合の衆が烏合の衆のまま、自律的に反応して動いていけるようにお膳立てする必要がある。

 

要するに、「眼の前の民進党議員の集団」に対してリーダー役が「こうします」と無理やり言おうとしても無駄なので、そこは「流れに任せる」必要がある。その「流れに任せる部分」と、「大上段な方向性の議論」を別個に両立させることが肝心になってくる。

 

では、「流れに任せる部分」と「ビジョンを示す部分」はそれぞれ何が重要かをまず端的に言うと、

 

「流れに任せる部分」=国会論戦や種々の選挙戦で無理をしすぎない

「ビジョンを示す部分」=「純粋理想的左翼性との距離感と、ハサミ討ちのビジョン」を考えること

 

 ということになります。

それぞれ見ていきましょう。

 

 

●3 国会論戦や選挙戦などの派手な行動だけでエネルギーを使い果たさないことが大事

 

  先日、評論家の古谷経衡さんによる、参院選の勝ち負けや残った議員の種類を見ると、今の民進党は急速に旧社会党への回帰をしているという分析記事を読んでかなり同意の気持ちを持ちました。

 

 民進党は本人たちが公言するような政権交代野党になることなく、しかしアンチ民進党の人が熱心に「そのうち崩壊し消滅するぞ」と期待するほど脆くもなく、

自民党との対決を叫びながら、「プロレス」的に反自民の政権批判を延々と繰り返すだけで、実際には政権与党を担う気概も機運もないという、反自民と反安倍を前提とした、「ごっこ」的国会空転に回帰するだけであろう。

しかしそれであっても、かつての社会党が衆参国会の約三分の一を占めていたように、「旧社会党的主張を好む一定程度の有権者」に訴求し続けるという図式は変わらない。蓮舫民進党は政権を取れないが、さりとて壊滅するわけでもなく、反自民・反安倍の一定程度の人々に支えられながら、今後も衆参でおおむね二〇~三〇%の議席を獲得するだけの政党として存続し続けるだろう。

というのは正直かなり説得力ありました。

 

なんてことを言うと、前回までの記事からかなりトーンダウンしちゃったように聞こえるかもしれませんが、「フツウにやってりゃこうなるという正確な認識」を持つこと自体は大事です。

 

政権交代をするには「神風的な時代の流れ」を捉えることが必要ですが、しかし基礎票が全然ない状態から、つまり「膨らむ前の雪だるまのコア」部分も全然ないところから「風」だけで過半数を取っちゃうようなことはやはり難しいでしょう。

 

だから、ナアナアだろうとなんだろうと、「いざ時機が来た!という時以外の通常モード時」においては、まあなんか「3割は取れる感じ」の自然な繋がりは維持しておくことが重要なんですね。

 

「なんやようわからんけど蓮舫さん美人さんやし、女性代表で頑張ってる感じするわぁ〜私だから民進ってのに入れとこうと思うねん」ぐらいの感覚で(いや勿論もうちょっと真面目に政治的な感情も含めてですが)繋がってるセンチメントへの配慮をしておくことは結構大事。

 

ただこれは無駄に力はいると逆に取りこぼすような感じの繋がりなので、だから無理やり「責任政党」感を出すために無駄にタフぶって「旧来の左翼を攻撃する」ようなことは、"別にやる必要もない"という程度で流していくことが重要かと思います。

 

前回記事において、「重要度・緊急度マトリクス」というフレームワークを通じて、組織にとって「本当に重要な問題」に構成員のエネルギーを振り向けさせるためには、「緊急度も重要度も高い問題」で全力を使い果たさないようにすることが重要だという話をしました。

 

勿論「緊急でも重要でもない問題」に消耗する時間を減らし、「緊急だけど非重要な問題」が発生することを未然に防ぐ手立てを持っておく・・・というのは前提として、一番大事なのは「緊急ではないが重要である」というカテゴリの活動にどれだけのエネルギーを組織として注げるかどうかです。(このマトリクスの詳しい説明は前回記事をどうぞ)

 

これ、特に「国会論戦」が曲者だなあと、ちょっと遠目に見ていて思います。国会論戦で力を使い果たしてしまわないようにしないと、ほんと今の民進党は流されるままにジリ貧的状況になってしまう。

 

多分国会議員さんの主観レベルで見ると、「国会での論戦」って凄い影響力大きい(ような気がしてる)と思うんですよね。でもね、今回痛感したんですが、今の私は結構興味を持って追ってるつもりなのに、実際の「国会での論戦」の様子はなかなか伝わってきません。

 

 この連続ブログを書くためにかなり興味を持って情報を追ってる今の私は国民のトップ数%ぐらい政治に興味持ってる状態だと思いますが、しかし国会の細かい論戦のこととかは、NHKの中継にかぶりつきになって見たりしない限り(こりゃもう専業の職業的政治ウォッチャーしか無理なレベルですよね)、実際の生活者には全然伝わってきません。

 

 90分のサッカーの試合の得点シーンだけちょっと流れる30秒のダイジェスト・・・よりも薄くなってほんと「一言二言」ぐらいのニュースがたまに流れる程度で、「雰囲気がちょこっと伝わるという程度」だったりします。

 

 勿論、国会議員の大事なお仕事の一つだし、そこの一歩の追求から「山が動く」キッカケになることだって沢山あるわけだから、無意味だとまでは言いませんが、「議員本人が感じているだろう主観的重要性」と「実際の影響力」はかなり乖離している傾向にあると思われます。 

 

そして、そもそも「国会における議論でできるレベル」を超えたような、「ここでの俺の論戦で大きな流れを転覆させてやるぞ!」みたいな力の入り方をした議論は、揚げ足を取られやすく、「一瞬テレビニュースで見た印象としても無意味に攻撃的で感じ悪く」見えがちで、広範囲の民衆への印象としては、総体的に得点どころか失点的な影響を持つことも多いように思います。

 

 特にある程度「責任野党感」を印象付けたい民進党にとってここは注意が必要で、過去の民主党の、クイズやってみせたりするようなパフォーマンスはかなり印象悪かった感覚が私にはあります。

 

 だから、「役回り」で国会における発言するタイミングでは、その国会議員個人にそれぞれ精一杯頑張ってもらって、それでちゃんと「未来を信じる左翼性と現実的責任感を両立する責任野党キャラ」を印象づけられるような立ち回りができていれば、それはそれでOKとすることが重要だと思います。

 

そこで無駄に「政権交代を目指すんだからものすごく特殊で高度な超絶議論をふっかけなくちゃ駄目だ」と力がはいると余計に「3割の基礎票を維持するという目標」から外れていくことになりがちでしょう。

 要するに「本当に政権を取りに行く秘密兵器」的なものは四六時中使おうとしちゃダメで、とりあえず戦線を膠着状態になりたたせるためのデイリーなお仕事とは別のテンションでやっていかなくちゃいけないってことなんですね。

 

「デイリーなおしごと」に「政権交代してやる!」というエネルギーが無駄に注入されると良くない。その理由を単純に言うと、「現実的責任」と「左翼的理想主義の純粋性」というのは両立が難しいものなので、ありとあらゆる瞬間において「現実的責任」ばかり標榜するようになると、「左翼政党としての基礎票的共感」にダメージを与えてしまうからです。

 

この辺、「政権交代するからって何かものすごく特殊なことをやり続けなくちゃいけないという囚われからの解放されるべき」という風に考えると理解しやすいかもしれませんね。

 

で、じゃあとりあえず「流れのままに」普段はやっていくとして、それを超えて超真剣に取り組まないといけない「ビジョン」の構想について考えます。

 

 

●4 真剣に考えておくべきは「純粋理想の左翼性」との距離感と役割分担

 

 少し話を膨らませる余談を入れますが、私はマッキンゼーという「ザ・外資コンサル」で、その方法論時代は今のセカイでどうしても必要なものではあるものの、それだけでは色々と日本の実情に合わない問題があるし、どんどんと世界全体が今で言う「アメリカvsイスラム国」「ヒラリーvsトランプやサンダース」みたいに分断されて相互理解不可能になっていっちゃうんだよなーというところが将来的に巨大な問題になってくるだろうと予想して、

色々と「両者を止揚する方策」について考える個人プロジェクトをやってきていて、その中で一時期今度は「メチャクチャ和風のコンサル」として船井総研という会社に在籍させていただいた時期があるんですが(その他色々やってきてるので私に興味あればコチラを)、

月に何十社も日本全国支援しに駆け回ってるある先輩売れっ子コンサルタントがクライアントに

大事なのは百点満点の狙いすました『人柄感』を示すことです。『人柄』を示す必要はないし、それはむしろ不遜なことだと思います。

と言っていて、「スゲえこと言うなこの人」と感銘を受けたことがあります。

 

要するに、家族とか本当に親しい絆を持った存在に対しては本当に「人柄」を示して相互理解をして関係を培っていく必要があるが、「不特定多数の全く関係ない人が出入りする小売店という場」において「全身全霊に人柄を示す」みたいなことは無理があるし、そもそも自分という存在を大きく見積もりすぎた不遜なことなんだという話だと思います。

 

しかし、「その立場としての"人柄感(人柄そのものでなく)"」はキッチリ示すことがプロの仕事なんだと。そして実は現代人のお客さんは『人柄』など決して求めておらず、シッカリコントロールされた『人柄感』を提示してほしいと真剣に思っている・・・といったら、人間関係について原理主義的に真面目な人はものすごく皮相的なことを言ってるように聞こえるでしょうか?

 

「真心を込めた本当のコミュニケーション」を標榜する感情労働を無理強いすることで、なんだか根本的なところで社会全体が疲弊していっている現代日本人は、上記の「人柄感と人柄を分ける」発言について一度考えてみるといいことが多いように思います。『みんな愛の歌にせっつかれて与えるより多く奪ってしまうんだ』byキリンジ

 

今回のブログの趣旨ではないのであまり深掘りはしませんが、初めてそれを聞いてもう10年弱、その間色々体験して私が思ったことは以下の二点です。

・「人柄」の関係をあらゆる他人に無理強いすることは、あらゆる他人が自分が求めるレベルの対人スキルや良識や気持ちの良さを持っているはずだし持っていて当然だし持ってないとかありえないでしょ?という前提にたっていて、それは自分自身がいかに恵まれた環境の中で与えられたもので生きているかということへの理解が足りない傲慢さでもある。

 

・「自他ともに不自然でない人柄感」を身につけようと努力することは「人柄を無理強いする」よりもよっぽど「マクロに社会全体の状況を理解した上での目の前の相手への思いやり」が必要であり、色んな状況を背負って個々人それぞれ全然違う運命を生きている他人への本当の敬意と優しさが、「完成された人柄感」の中には宿っている。

 

 ともあれ話を民進党のことに戻すと、民進党議員はこの「左翼政党としての人柄感」は大事にした方がいいです。

 ここで言う「人柄感」と「人柄」の違いは。

・「人柄」とは、「特定の具体的な誰かとの義理人情的な繋がりで自分の行動が左右される関係性における"良い人"的ふるまい」

 

 であり、

・「人柄感」とは、社会をマクロに見た時に自分がそういう役割を負うことによってどういう影響が広がっていくのかまで見越した上での"良い人"的ふるまい」

 だと理解しましょう。

 

「純粋理想型左翼性」と「現実的左翼性」の間では常にここのギャップが本質的な課題となってくるんですね。それはなぜなら、「万人が満足する決定などありえない」からです。

 

今、「ある権力」が存在していると。それによって抑圧されている人たちがいて、それを何とか救わなくてはならないと左の人は感がている。そこで、空想的ユートピアをイメージして終わるのでなく「現実の権力を打ち立てる」には、「今度は自分もどこかで誰かを抑圧する側」に回らなくてはいけなくなる。

 

「困っている人」が100人いたら、どの人から順番に救うべきかを決めなくちゃいけない。1から100番までの番号を振らなくちゃいけない。で、あなたは申し訳ないけど100番目に回って下さいと頭を下げなくちゃいけない。

 

その判断を、「全体として社会が良くなるように」下し続けるのが「現実的左翼が権力を握る」ということで、これは右の人がフツウに自然的に権力を握るのとはケタの違う精神修練と深い哲学性が必要なことなんですよね。

 

で、その時に「特定の誰かとの義理の連鎖で主観的に"全力を尽くした感"に逃げ込む」ような「人柄」レベルの精神ではこれには耐えられないわけです。もっと徹底的に自己と社会を客観化して、「概念の美名を他人にあてはめて酔うのでなく、清濁両方ある他人のリアリティに裸でぶつかっては裏切られて傷つき続けることから掴み取ってきた社会の実相への理解」を打ち立てる必要がある。

 

そこから立ち上がってくる「左翼的良識を持った人柄感」こそ、今の民進党の困難な状況を乗り越えて新しい旗を立てるために必要なことなのです。

 

でもそれって超難しいことですよね。徹底した自省と真剣な探求が必要で。だから今の時代、サンダース信者をクリントン陣営は扱いかねるし、「常識的にありえる形」に収まり切れない「純粋な理想を求めるエネルギー」が「マットウな具現化ルート」に乗らずに右にも左にも暴走して世界中に混乱を産んでいるわけですが。

 

大事なのは、「純粋な理想主義」を「否定するんじゃなくてとりあえず一歩距離を置く」ことで、「ちゃんと最後まで無無理に実現していける情勢が作れるかどうか」です。これは日本だけでなく世界中どこだって別に「成功」してることではないですから、別に日本でできてなくても卑屈になる必要はない。

 

世界最先端の「社会統治技術」として、今からこの「漸進的責任」を「純粋的理想」と適切な距離におく「技術」を、日本人のインテリ(と共鳴しあった民衆の共有無意識)が習得していくことが今求められているわけです。

 

 

●5 準備の足りない無理なリアリズム路線アピールは逆効果

 

ちょっと抽象度が上がってきたので具体的な話に戻して考えてみます。

 

 先程も書いたように、具体的方策として、民進党関係者は国会論戦や選挙戦などにおいて、あまりにも「なまっちょろい左翼じゃないリアリズム路線だぜ俺はアピール」はしない方がいいです。(ウラで密かにちゃんと考えておくことは大事ですが)

 

「俺はリアリズム系だから」という感じでやたらタフぶってみても、「左翼的理想でなくリアリズムを評価する(と自認する)投票者」は当面民進党には入れないでしょうが、「ほんのちょっとした裏切り」でも絶対許さない!!!ってなる左翼さんも今は大事なお客さんとしていますからね。

 

それで、とりあえず「3割の基礎」は維持できることを、とりあえずは「国会論戦や選挙戦」の目標としましょう。その「基地」があれば、その上にプラスアルファで「神風」を捉えて上乗せしていけば、最近のワカモノ言葉で言う「ワンチャンあるで」ですが、痛々しい空回りの「リアリズム重視アピール」で「お仲間であったはずの左翼さん」たちに背中から刺されたら一番ツライ状況になりますからね。

 

しかし、なんでもかんでも「共産党と同じ」レベルで「左翼的純粋さ」に寄り添っているだけでも「責任野党」にはなれません。

 

ここのところの「原理主義的な左翼性との距離感」こそが、今民進党が大枠の話として一番考え抜いておかなければいけないテーマになってきますよね。

 

この「どの程度のラインを通るのか」については、流れに任せてないで主要な幹部の中でちゃんと統一見解を真剣に練り上げておくべきです。で、「人柄感」レベルでは実に左翼的な「印象」を振りまきつつ、「この点はこっちを主張するんだよね」というところで分けるべきところは分けておくことが将来的に効いてくる

 

ここで重要な視点は、「原理主義的左翼性と距離を置くことは、彼らをバカにしているのでもないし、彼らの理想を阻止しようとしているのでもなく、お互いの活かしあいになるはずの道なのだ」という"本当の意味で理想主義的"な切り口をあくまで徹底的に維持して考えていくことです。

 

「原理主義的左翼性」と「漸進的現実路線の左翼性」は、日々やらなくちゃいけないことや考えるべき内容が全く違うので、同じ人物がどちらも一流レベルにやろうとすると100メートル走の選手と砲丸投げの選手が同一人物になっちゃうみたいな混乱をきたすんですよね。

そもそも必要な知識や筋肉の付き方や体つきやこなすべきトレーニングの種類が全然違うのに、無理して両方やって結局どちらとしても大成しなくなってしまう。

 

ここで「それぞれの役割をちゃんと果たす」ことが左翼的理想をちゃんと現実に根付かせるためにものすごく大事なことなんですよ。

 

例えば共産党が持っている、「現代社会に存在する問題や不幸を発見し言挙げするための異議申し立ての役割」である「反対のための反対」というのは一つの重要な民主主義社会の機能なんですね。

 

しかし、以下の図にもあるように(クリックで拡大します)、

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「じゃあその問題を現実の政策アジェンダに載せていこう」となった時には、「反対のための反対」野党とはやらなくちゃいけないことが一々違うので、なんでもかんでも野合してしまうとお互い潰し合ってしまう。そこを自民党に漁夫の利をさらわれます。

 

「食い合って共倒れになる立候補はやめましょう」程度の協力ならいいんですが、共産党の政策メッセージに民進党幹部が全員同じハチマキして拳振り上げなくちゃいけないレベルまで野合すると、結局「それなりに現実的バランス感のある自民党的保守政党か、とにかく徹底的に全部反対の左派の野党かどちらかしか選択肢がない」という状況は全然変わらないじゃないですか。

 

で、ここで重要なのは、その状況で不幸になってるのは共産党側にいる「純粋左翼さん」も実は一緒だってことですね。

 

「それぞれの役割分担」だと理解して、「ハサミ討ちの形になるな」と思えてれば、「左派的責任野党」が育っていって政権に近づけば「自分たちのテイスト」も反映しやすくなっていくわけですけど、実際には歴史的に言って「穏健派左翼と過激派左翼」ほど仲の悪い関係はないと言っていいぐらいだったりしますよね。

 

もう民進党の議員全員が、沖縄の基地反対運動の座り込みに参加して、一緒のレベルで肩を組み、一緒に肉の壁になる覚悟を見せる・・・ところまで行かないと決して許さないぞッ!!!・・・というエネルギーがここには唸るほど溢れているので、民進党の側としてもむしろ「誠実な人柄」の議員ほど精神的に不安定になって、やってることがどんどん不自然になる結果として結局大多数の投票者の行動としては「自民党にしとくか」になる・・・っていう構造が永久に変わらなくなってしまう。

 

ここのところで、「適切な役割分担」として、「付かず離れず」の位置をいかに実現していくのか・・・については、民進党が今真剣に考えておくべきテーマといえます。いや、民進党関係者だけでなく、日本で「左っぽい」感性を持ってる人全員が今考えなくちゃいけないテーマなんですよ。

 

  そして、自民側で動かしてると結局あらゆる改革が最後の最後は巨大な土建屋さんの集まりによってグダグダにされるんだよな・・・という絶望をかかえている色んな「理性的改革の信奉者」のあなたにとっても、「この道なら可能性が開けるかも?」と思える方向性なはずです。

 

 

●6 『批判』でなく『代替案』でなく『移行プラン』まで考えると良い。

 

ではさらに具体的に、どういう経路で「方針を考える」ことをしていけば、ちゃんと「責任野党」レベルの方針が固まってくるのか・・・を書きます。

それは、この連載の最初の予定目次の中に

「批判」だけでなく「代替案」だけでなく「●●」を考えることが本当の責任 

 と書きましたが、話の順番は変わったもののまさにこの「●●」の部分が「移行プラン」です。

 コンサルティング会社マッキンゼー在籍時代の大先輩に藤井清隆さんという方がいて、ルイヴィトンやSAPなどの日本法人社長を歴任されている方なんですが、同じ神戸出身ということもあって私の著書に推薦文を寄せてくれたことがあります。

私は『変革を唱える人は、必ずしも真の変革者では無い』と言う言葉が好きなのですが、その心は、真に変革を成し遂げる人は自分の属している組織を本当に「愛している」人ということではないかと思います。

愛している人にとってのKPI(注 成果を図る尺度のこと)はあくまで組織が良い方向に向かうと言う「結果」ですが、そうでない人にとっては「俺はこんなにデキル奴なんだ」「俺の高度な提言をインプリ(注 具現化)出来ない未熟な組織」のような「自己愛」がベースになったコメントが出てくると思います。

(以上抜粋。全文はこちらのページ中ほどにあります)
これは、ある種「たとえ左の人だろうと」という意味において他人に信頼してもらうためには大事な一線ではないかという気がします。(右に較べて左の人はココのところでソンをしていることが多いと思うので)

で、「本当に組織が(社会が)良い方向に向かうこと」を目指しているのか「俺ってカッコイイと思いたいだけ」なのかの違いが、「前任者の仕事に対する扱い」で最も違いになることが多いんですよね。

「俺がいかにカッコイイ役割になれるか」を追求していると、「前任者がいかに駄目か」をアピールするほうが「組織が本当に良くなる」よりも手っ取り早いので、ついついそっちにばかり集中してしまいがちになる。

特に、「前任者がやってきた流れ」を全否定して「全く新しい自分のアイデア」を実行したくなってくる。

勿論、政権取ったら1個か2個の目玉政策において「大きな大転換」をすることはむしろ大事なことなんですが、ありとあらゆる継続的営みの全てに「完全なちゃぶ台返し」を決めなくちゃいけない気になっちゃうのが「左の人」の良くない精神的傾向としてありますよね。

ちょっと暴論を言うようですが、ある意味で、アベ時代と「政策の8割は代わり映えしなくてもいい」ぐらいの気持ちが大事だと思います。それでも、細部において「右な人たちがやる」のと「左の人たちがやる」のではぜんぜん違う決定になっていきますからね。

複雑な現代社会ではある程度「こういうことをやらなくちゃいけない」事情がかなり決まってるテーマも多くて、無駄にそこで「圧倒的な独自性」なんかを主張しようとするとその「小さなテーマでの大きな躓き」のおかげで「あらゆる行為が失敗の印象になってしまう」ような不幸は、前回の民主党が経験したことと言えるでしょう。

・アベノミクス関連(金融緩和を今後どうするのか?)

・「はたらきかた」関連(労働時間問題から正規非正規その他の問題まで)

・国際関係関連(米中関係の軋轢に挟まれた自国の安全をどう確保していくのかの方針)

 これぐらいの「本当に重要なテーマ」でいいので、厳選して自分たちがどういうことをやるのかを精査した上で、「移行プラン」まで考えることが重要だと思います。

選挙用だったり国会論戦用だと、「180度いかに違うか」をアピールすることばかりに集中してしまいますが、そうじゃなくて「アベ政権のやり方から、どうやってシームレスに移行するのか」を考えることで本当に「実行可能か」どうかが一気にシビアに精査できるようになるはず。

 特に、金融緩和とかは政府関係者の発言自体がものすごい市場影響力があったりして迂闊なことは言えない問題なので、「安倍氏の100倍ぐらいの責任感を持ってその"収束の仕方"まで考えてあげる」ようにしないと、印象としてものすごく無責任な批判をしてるような見え方になってしまうのは致し方ないことだと思います。

 

「なんで敵のケツを俺らが拭かなきゃいけないんだ」的なことを思うかもしれませんが、「本当に社会が良くなるのか、自己アピールしたいだけか」の違いは「そこ」を真剣に"我が事"と感じられるかが分水嶺なんですよね。

金融緩和路線からどこかで日本社会は路線変更する可能性は将来必ず来ると考えられます。その時に、「代替案」だけじゃなくて「損害を最低限にする撤退戦のやり方」までちゃんと専門家を動員して真剣に考えてくれてる人がいたら・・・これこそ「本当の責任野党」ですよね。

上記のどのテーマにおいても、ゼロから自分たちだけで考える必要はなくて、「専門家の選び方」について真剣に考えることが必要なのだと思います。

アベノミクスに反対する立場だからといって、毎年「資本主義社会がいかに大崩壊するか」本を書いているような人とばかり付き合っているとちょっとね・・・・ですからね。

(そういう論客さんたちは、今の資本主義的社会の運営が良くない意味でセセコマシクなっていっている中で、より本当の価値とは何かと哲学的に捉え返す基点としてはすごく重要な役割なんですが、その"純粋理想"で描いた世界を"着地"させる時には適切な距離を置くことが必要になってくるでしょう)

また、「金融緩和が政策的に是か非か」をシロクロ付けることが人生の一番の目的の学者さんたちも、反対なら反対でできるだけ徹底して悲惨なクラッシュが来てほしいと思いがちなので、そういう専門的議論に意味がないわけではないにしろ、政党としては距離を置く必要があると思います。

できるだけ実務的な観点から細部の手続きまで詳しくて、でも巨視的な視点で方向性と感性が合うような専門家グループを、集めてツバつけて組織しておくこと。

この時に「思想レベルでのヒントでなく実務レベルでの助言を求める専門家の選び方」として、「移行プランまで自然に考えられる人かどうか」を基準にするといいんですよ。

別にどっちがいいというわけではないですが、人間のタイプとして、真空空間に自分の絵を書くことにしか興味ないタイプの人と、「こういう質問をしたら自然に必ずまず移行プランから考える人」という二種類が結構明確に別れるところがあります。

大事なのは、自分たちの方向性の合う、「後者」の専門家との繋がりをちゃんと作っていくことです。

その相手が「真空空間に自分のエゴを描くタイプ」なのか、「移行プランまで自然に考えるタイプなのか」に注意して選んでいき、一歩ずつ関係を結んでいけば、徐々にそういう「あるべきブレーン」が見えてきて、「いざ政権取ったらまずこれをやろう」という形の具体案も育ってくるでしょう。

大事なのは、『政策を転換するタイミングを決めるのは民意』だという感覚だと思います。「準備した一連の政策パッケージがある」状態になって、で、世界と世間の状況が変わってきて、「そろそろスイッチするべきときだな」と「民意の流れ」が判断した時に、「需要と供給」が自然にマッチするように持っていくことが政権交代には大事です。自分たちに都合の良いタイミングで自分でスイッチを入れられるという傲慢な幻想は捨てましょう。

●7 最後に。 『風』は世界からやってくる。次の「波」を焦らず待て。

 

さて、ここまで、国会論戦や選挙戦で無駄に頑張りすぎるな・・・と言い、「腹案」としての政策でも過剰な独自性を追求して現実性を失うことは避けようといい、むしろ安倍政権と政策が結果として8割が同じでもいいから、「左の感性」でその道を進むってことだけでいいんだ・・・・というようなことばかり言ってきました。

そんなに「守り」に入ることばっかり言ってて、政権取れたりするの??とあなたは思うかもしれません。しかし、私の考えでは、ここまでの部分で「キッチリ守りをやりきれた」ら、必ずチャンスは来ます。

逆に言うと、本質的なチャンスでもないときに、国会論戦で必死に相手を攻撃しようとすれば懐かしの「堀江メール問題」的なドツボにハマり自殺者すら出ますし、選挙戦でも「フツウに左翼っぽい人柄感」を超えて過剰に「あらゆる論点を捨てて安倍への攻撃だけに特化」したりすると、最近の参院選や都知事選のように余計に『フツウの投票者の信頼』を失うことになるでしょう。

政策の準備にしても、「できもしないこと」で「自分たちが政権取ったらこおおんんなことや、こおおおんなことや、こおおおおんなことまでできます!」みたいなことを言うのは今や有権者をバカにしてる感すらあります。

では、国会論戦でも選挙運動でも政策準備でも「全力攻撃」はせず「守り」を通すとして、いつ「攻撃」のタイミングはやってくるのか?それは必ず「外」からやってきます。

別にユダヤ陰謀論的な大掛かりな装置を導入しなくても、やはりこれだけ人類全体が繋がり合って生きているなかで、世界の情勢と全く関係ないタイミングで国内だけであるムーブメントが盛り上がるということはやはりありえません。

勿論「海外と全く関係ないムーブメント」に「見える」ものは沢山ありますが、本質的な民衆の共鳴関係的なものをマクロに見ればそれはやはり深くつながっていると見るべきでしょう。

要するに、「次の波を待て」ばいい・・・わけです。

例えば、アベノミクスの金融緩和路線自体、あるいはその背後のいわゆる「ネオリベ的市場万能主義」的なもの・・・・は、一朝一夕に出来たものでもないし、安倍政権の関係者が全く何もないところからノートに書きつけてスタートしたものでもありません。

大きな人類の歴史の流れが先にあって、量的緩和ってのでなんとかイケルんじゃないかと主張する結構カゲキ派の経済学者が国内外にいて、日米欧の中央銀行がそれぞれなりに考えた結果、「向こうから形になって流れてきたチャンスにただ乗った」という風に言えるでしょう。

同じような風向きの変化は今後も必ずやってきます。

同じような風向きの変化は今後も必ずやってきます。

 

大事なことなんで二回言っておきましたが必ず来ます。

で、別に民進党が・・・でなくても「自民党の第二派閥」でも維新でも自由党?でもどこでもいいんですが、「新しい風には新しい政策パッケージ」をちゃんと準備して自然に流れに乗ってくれるプレイヤーは誰か必要だってことです。

「誰かがやっておくべき宿題」がそこにはあって、「あるタイミング」が来た時にその宿題をちゃんとやっていた存在が一気に時代の中心に躍り出る・・・そういう構造がある。

 例えば、サンダース旋風が巻き起こったからとか、ピケティ人気だから・・・というのもありますが、それ以前から、かなり「市場経済の勝者」的な人から再分配について前向きな発言は聞かれるようになってきたし、欧米のトップ経営層の報酬の高額化への厳しい目線も高まってきている。そもそも分配が不十分だと「次の需要」が生まれないから不健全な経済になる・・・というのはかなり共有されてきている。

ここで大事なのは、ここで直情的な「左翼的理想の純粋さ」を追求するあまり、20世紀にひどい失敗をしたような無理強いのブロック化とかに向かわないようにすることであって、そのために当面は「逆向きの絶望に陥らないために市場原理主義のフタ」も意味を持っている。

しかしここで、当選後のヒラリーがサンダース支持者との約束に向き合わざるをえなくなったり、欧州の混乱の中からイギリスが独自路線を歩み始めることによって、「脱臭消毒された記号的な理想」を、なんとか「あと一歩リアルな現実にフィットさせる」ようなムーブメントは全世界的に起きてくるでしょう。

その「風」がある程度大きくなってきた時に、「経済」レベルでの現実性のある穏健左翼主義が責任を持ってまとまれる状態にあり、かつその集団がどうしようもない国際政治の力学バランスを個人の潔癖主義から全否定しようとして大混乱に陥るようなタイプじゃない安定感を持っているならば・・・・

その「準備ができている」存在のところに、月が満月になるような何気ない変化の中で大きな権力移行が行われるタイミングはやってくるでしょう。

今の民進党関係者の人も、そうでない人も、蓮舫さんの民進党に期待してる人も、 そうでない人も、とにかく日本における「左っぽい感性」を持って生きていて、その自分の中に燃える理想主義をどこに持ってっていいやら困っちゃっている全ての「生きづらさを抱えている」みなさん。それぞれなりに、それぞれの立場から、この記事で書いたような「転換」を起こしていこうではありませんか。

 

まだまだ「具体的な形とタイミング」がどういうものになるかはわかりませんが、「構造」としてはこの記事のような形で動いていくだろうと思います。

焦らず、諦めず、個人の人生において過剰な無理をせず、でも多くの他人がちゃんとやはり自分と同じ良心を持っているはずだという点において過剰にシニカルにならず、風に吹かれながらいきましょう。

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次回は、民進党だけでなく、さらに今話題の豊洲市場や小池都知事やオリンピックや、そのプロジェクトチームに入ってる元マッキンゼーの人たちなんかの話をからめながら、この「どうやって日本らしさと左翼的良心を両立具現化するのか」についてまとめたいと思っています。

それではまた、次の記事でお会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造

経済思想家・経営コンサルタント
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