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最後に政治家を縛るものは何か?

2015年07月05日 22時47分 JST | 更新 2016年07月04日 18時12分 JST

<安保法制案審議の領域を超えた事態>

 安保法制審議が建設的な議論ぬきで強行採決される見通しを各種メディアは報じている。異例の会期延長が決定した時から、おおよその展開は見通せたが、多くのメディアや有権者も「いくらなんでもそれをやったらおしまいだろう」という、「悲痛なる希望的観測」を持っている(これが過去形にならないことを祈るばかりだが)。

 これはひとえに、与党が提出した法案が政府によって半世紀以上も積み重ねられてきた憲法解釈を閣議決定によって安易に変更したものを基礎にしていることに因を持つ。実際の法制化作業に至って、この方向性は予想どおり集団的自衛権そのものが現行憲法に違反したものだとする圧倒的多数の憲法学者の異論を導き出し、もはやこの法案そのものの「前提条件」を問題対象とさせてしまったのである。

 本来なら提出された法案が国際情勢と国内諸条件の下で、適切に機能するか否かが問われるはずが、与党が前のめりになって進もうとする流れに抗する多数の学者や市民による反対声明、有権者のデモやSNSにおける発言は、その前提としての戦後政治の評価、安部政治のトータルな評価を突きつけるものとなっている。

 従って論理的かつ合理的に物事を考える者たちにとって、この法案が是であるか非であるかの議論は、「出発点」にすら着くことができないものである。現行憲法の条文には、集団的自衛権を容認する根拠が全く見出せないという批判に、驚くほど稚拙な根拠を持って「当たらない」と居直るような、合理のかけらもない対応、長舌によって不合理かつ意味不明な答弁を繰り返す首相の知的荒廃ぶりに象徴される与党の言論レベルは、もはやまっとうな言論そのものと次元を異にするものだ。

 それは、我々が曲がりなりにも100年を超えて細々と維持してきた憲政の常識と前提を亡きものとさせつつある。つまり議論の対象は法案を飛び越えて「政治そのもの」に至ったのである。そして、そうした政治の迷走を見送る最後の関所には、根源的な問いが待ち構えている。

 それは、「最後の最後に政治家を縛るものは何か?」という問いである。そして、これを考える格好の事例が一つの映画によって提供されている。

<違憲州法に抗した1965年「セルマ行進」>

 昨年アメリカで公開された映画『グローリー/明日への行進』は、デモクラシーをぎりぎりで担保するものが何であるかを我々に突きつけている。差別を違憲と断じた1954年の連邦最高裁の「ブラウン判決」以後、翌年のアラバマ州における「バスボイコット事件」などを経て、アフリカ系アメリカ人への差別撤廃と地位向上を目指す公民権運動は堰を切ったようように活発化し、この流れは63年の「ワシントン大行進」、そして暗殺されたJFKが残した翌年の強力な「64年公民権法」へと結実した。

 しかし、どれだけ強力な公民権法が制定されても南部において数百年積み重ねられてきた差別的現実を一夜のうちに変えることはできなかった。その苛立ちは強力な公民権法成立直後にロスアンゼルスやニューヨークで大規模な黒人暴動が起こったことでも明らかであった。南部黒人にとっては、州権を盾に明白に違憲である州内ルールを通じて、黒人の政治参加を阻んでいる実態(投票登録を実質的に不可能にさせる「識字テスト」、「人頭税」、「保証人制度」)を明白に禁ずるような、より強力な公民権法こそが必要であった。運動の主導者キング牧師はそうした政治的要求を、黒人差別の熾烈なる南部アラバマ州セルマから州都モンゴメリーまでの約90キロの黒人による非暴力的行進によって訴えようとした。

 いわゆる「血の日曜日」と呼ばれる65年3月の州警察と民兵による黒人への暴力的弾圧と、それによる黒人青年や東部から駆けつけた白人牧師の殺害という事実は、全米三大ネットワークに乗って広く良心的白人に伝わり、なおも遠い南部で公然と行われている「アメリカ人によるアメリカ人への差別と暴力」を前に、全米の世論は騒然とし始めた。そして、この事態を受けつつ何ら具体的な対応をしないリンドン・ジョンソン大統領に、仲間の流した血であがなった世論を背負ったキングは、より強力な公民権法(投票法)の立法を迫るのである。

<リンドン・ジョンソンを追い詰めたもの>

 しかし、大統領ジョンソンは、厳格な三権分立と、なお頑迷に保守的価値観を堅持する南部上院の民主党との「プロフェッショナルの折衝」を通じて漸進的に解決を図ろうとする。キングの訴えに対し、「今は待て」、「その前に通せる法案が先だ」と、交渉の現場にある政治家の論理を突きつける。それはジョンソン自身が保守的な南部テキサスの民主党の重鎮として長年の議会対策の難しさを熟知していたからである。

 現在進行中の黒人の苦悩を背負うキングは敢然として「いえ。待てません。大統領」と突き放す。「アラバマ州のセルマでなされている違憲行為の酷さを、暴力なしに訴えたアメリカ人が命を落としているのです」と。そして静かにこう述べて、大統領を正面から追い詰めるのである。

 「合衆国憲法に明白に反するアラバマ州政府の蛮行が放置され、完全に違憲であるやり方でアメリカ人の基本的権利がないがしろにされているのに、それを正せと言う者に『待て』と言った大統領として、貴方は歴史に永遠の名を残すのですよ。それでいいのですか?」。

 政治と正義の狭間で苦悩するジョンソンは、葛藤の末、結局キングの要求に応え、アラバマ州知事ジョージ・ウォレスを呼びつけ、自分がキングに問われたことを今度はウォレスに突きつける。

 「ジョージ。アラバマを牛耳っているのは君だ。明白に違憲である政府の行為を許し、問題解決に少しも動かなかった知事として、歴史に永遠の名を刻むことになるが、それでいいのか?」。

 しかし、ウォレスは毅然として返す。「べつにかまわんさ( I do not care.)」。

そして、保守的な南部民主党の重鎮だったリンドン・ジョンソンはウォレスに明確に言い返すのである。

 「私は嫌だ。憲法に反する事態を放置した大統領と歴史に記録されることには耐えられない」と。

<本当に守られるべきもの>

 政治とは、あらゆる手段を通じて多様な利益を統合し、フィクショナルな政治的、社会的合意を法によって表現する行為である。そこには時として正義や真理を脇に置くような権謀術数もあり、「寝業」、「腹がけ」、「裏交渉」、「ログローリング(貸借合戦)」など、人間の持つ清濁を併せ呑む個別行為が束となって行き交う。マサチューセッツの金持ちの息子JFKの知らない、古き南部を知り尽くすジョンソンは、世界はある日突然に変わるわけではないことを叩き上げの大人として、保守的な政治家として知り尽くしていただろう。

 しかし、行政府の長として大統領になり、選挙で圧勝し、世界最強の軍隊をベトナムに50万人も送り込んだ政治家は、100の現場戦術と政治的「処理」のノウハウを知りながら、キングの正しい政治的圧力に対して、最後は「憲法の規範」に従ったのである。それを人間の道理の言葉へと翻訳すれば次のようになるだろう。

「どのような事情があろうと、利害を超えて、それはだめだということがある。それをやったら我々は終わりだ」。

 政治は、「あらゆる善意と真実と歴史をなぎ倒して世界を前に一歩進める必要がある」と判断された時、何ものにも配慮することなく悪魔と手を握る人間的営為である。しかし、それはそのように法と道理を踏みにじることに十分な正当性があってのことだ。憲法を踏みにじる必要があるほど我々は切迫した状況にあり、議会でのおしゃべりをしている間に我々が破滅するような急迫的危機があるのだと、人々を説得できることが不可欠な条件である。

 もしそれが果たせない時、政治家を最後の最後に縛るものは「いくらなんでも、それはできない」という広義の統治エリートたちが党派や利害を超えて無条件で共有すべき「規範」である。いかにきらびやかな、いかに先進的な政治制度を導入しようと、どれだけの支持を集めて政治権力を把握しようと、どれだけの議会における多数を暫定的に保持しようと、そして政治家個人がどれだけ私的怨念と野望を抱えていようと、最終局面において、1億の人間の運命と生活、100年先の子孫に決定的な影響を与える可能性のある判断においては、「それはいくらなんでもできない」という規範は、我々の最後の安全弁である。そして、それが省みられなくなった時、立憲主義を基礎とする我々の民主政治は即死するのである。それほどデモクラシーとは脆弱なものなのだ。

 失われるのは、安保関連法における法の安定性、長年積み重ねられてきた法解釈、政治における言論の知的尊厳だけではない。手放してしまうのは我々の政治の最終的、かつ根本的な「縛り」である。有権者の付託を受けようと受けまいと、永田町と霞が関の統治エリートたち、我々が置かれた状況を人々に正しく伝えるメディア・エリートたちは、弱き我らのデモクラシーを担保しているものの重さを、果たしてどれだけ理解しているだろうか?