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ネット選挙運動解禁でネットに飲み込まれる報道と政治

2013年06月07日 17時33分 JST | 更新 2013年08月06日 18時12分 JST

■報道とネット企業はどう変わる?

 

ネット選挙運動の解禁は、インターネット・サービス・プロバイダー(ISP)等ネット企業においては別の意味で関心が高まっているのかもしれない。

法的義務として粛々と体制整備に努めるISPもあれば、ネット選挙を通じて、政治系コンテンツを幅広くカバーし新たな集客モデルを構築してマネタイズしていこうというネット企業もあるに違いない。営利追求に極めて貪欲な某社にしては、やけに社会貢献に前向きに取り組みすぎるからだ(笑)。

考えてみれば、大手新聞社や放送局等既存メディアは選挙予想、選挙速報等選挙報道に多額の情報化投資をし、多くの人材を投入してきたのではなかったか。選挙報道における内容の網羅性、精度、速報性に関しての優位性はネット企業の追随を許さず、当面は盤石だろうとは思うが、後年振り返れば、ネット選挙元年の2013年を境にして、その主役がネット企業に徐々に移行したと評されることになるのではないか。

選挙コンテンツを制するものが政治コンテンツを制し、政治コンテンツを押さえるものが報道を押さえる。

新聞(社)の生き残りは、実はこの選挙の面でも問われてくるような気がしてならない。

ただし、問題は、ネット側にその覚悟と責任感がないことである。ニコ生のように、既に報道類似の機能を備えつつあるのに、依然として「場の提供」というスタンスを崩さない。報道としての使命と責任を回避し続けることが、いつまで、どこまで許されるのかということが問われるのである。

ネット選挙と言われたオバマ政権とともに誕生したこのハフィントンポストは、報道としてのスタンスを持っているようだ。報道機関が担う権力チェックの対象である政治家を多数コラム執筆者に採用し直接情報発信させるという斬新なスタイルも支持されてきたところであろうと思う。この是非は、今まさに評価されている途上であるように思う。

安倍総理とハフィントンポストの社長が並ぶ姿は、新しい報道のスタイルを象徴しているのか、報道の溶解のはじまりなのか。

少なくとも報道がネットの一コンテンツに平板に溶けたところに報道はなく、報道のないところに健全な民主主義はない。そこには荒廃した政治風土が広がるだけであろう。

ジャーナリストのスキルと矜恃のない人が、報道機関としての機能を担う責任感のない組織が、既存報道機関にとってかわる世の中になれば、政治の貧困が加速するだけだろう。むしろネットでは炎上する方が集客できて広告モデルとしておいしいという側面を持っている。無責任がはびこりかねない誘因がそこかしこにころがっている。

Twitterのつぶやきを、さもインタビューかのようにいくつも引用し貼り付けたページがニュースのような外形をもって配信されれば、場合によっては嘘を拡散しかねない危うさがある。twitterのつぶやきの裏をとっていないのだ。たとえそれが審議会の傍聴者であっても、事実と異なる情報が混入する可能性が高くなる。

ジャーナリストでもない人が、報道機関でもないところが、ニュースのようなものを安易につくることが横行し、それらがネットに蔓延し、報道的な構えのサイトを通じて、ニュースとともに区別なく扱われる時代に入りつつある。

これが放置されるのだとしたら、報道は溶解過程に入ったといっていいだろう。ネットに溶け出している。

記者の記事が、専門家のブログで間違いを指摘され、また批判を受けて、その正確性に対する信用が揺らぐところは増えてきた。また個別の問題は新聞の記事以上にブログに詳細に記述されるところが増えてきた。

新聞と記者の役割が問われているところもあるだろう。しかし、それが一気に全否定的ニュアンスに飛躍するのはかなり問題である。

マスゴミ批判も結構だが、既存メディアを代替するところなく、そのマスゴミとともにジャーナリストを排除した社会の先に何が待っているのか。フラストレーションを叩きつけるのではなく、そのことも考えていきたい。

■政治はどう変わる?

 

ネット選挙運動の解禁を契機に政治運動の手法にも変化が生じてくるはずだ。有権者の分析は、より精緻になっていく。

行動ターゲティング広告の技術と手法にも着目しておく必要がある。図書館の貸出履歴のセンシティブさに鈍感な人々が増えれば、購買履歴とともに政治信条を推察するさまざまな情報もまたどさくさにまぎれて収集可能な社会となる。

すでに誰もが気がつかぬうちに静かに始まっているのかもしれない。

例えば、共通ポイントと引換えに、当該新聞を購読している事実を売り渡している新聞社はないか。赤旗ほどではないが、一般紙の購読履歴も、有権者の傾向を探る上で最適な情報の一つにはなるだろう。

安易にポイント提携に踏み切ることができる組織に、ネットにおける社会的事象を鋭く洞察する記者を育む力はとても期待できない。これでは、マイナンバー導入を批判する立場にはないということになりかねない。

行動ターゲティング広告における広告最適化技術は、政党における選挙対策用の効果的クラスタ分けにも応用できるだろう。A層、B層、C層、D層、E層、F層と社会階層化社会を反映した見事な選挙戦略が描けるはずである。

なにやら政党もかつてのイデオロギー対立が希薄化し、むしろ階層対立ではないかと思えるような昨今である。ネット選挙を契機に、有権者の分類が精緻化しはじめた先に何が待っているのか。イマジネーション豊かに警戒をもって考察していくべきだ。

TVが登場しサブリミナル広告を禁止したように新たなツールには新たな禁じ手があるはずである。報道も、政治も、ネットを使うつもりが、ネットに飲み込まれつつあるようにも見える。

■インターネット選挙運動解禁で選挙はどう変わる

6月1日(土)10:00~17:00に全国町村会館において、日本インターネットプロバイダー協会と情報ネットワーク法学会主催で特別講演会「インターネット選挙運動解禁で選挙はどう変わる」が開催された。

研究者のほか、企業関係者やマスコミ等約150名が聴講していたが、中でも韓国の高先生の報告は考えさせられた。

韓国では、ネット選挙運動の解禁は2004年からはじまっている。すでに10年先を走っているわけだ。日本はここでも失われた10年であるが、「なんで今さらメールだけ別扱いにしたのか、意味がわからん」とのこと。韓国の試行錯誤の10年を十分に教訓としているのか。ちなみに個人情報保護法制も改正できない間に韓国法に抜かれている。なぜ、なんでものろいのか。

なお、詳細については下記の資料をご覧いただきたい。

情報ネットワーク法学会

http://in-law.jp/bn/2013/20130601.html