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難民だって、自分の人生を自分の手で変えられる。この日本なら --- 岩瀬香奈子さん Part2

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6月20日"世界難民の日"を記念し、難民をネイルアーティストとして雇用しているネイルサロン「アルーシャ」を経営する岩瀬香奈子さんとのインタビューをお贈りしています。第2部は、アルーシャの現在と、目指すべき道についてお送りします。

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*インタビュー@アルーシャ(港区虎ノ門)
*英語版はこちらから!
 


Part1からの続き)
■ 不安だらけの出発

「アルーシャ」のネイル研修を受けたのは、世界中から来た人たち。日本で有効な就労ビザを持っている人というのが、研修参加の条件でした。法に触れる危険性を無くすために、それらを証明する書類のコピーもいただきました。当初「定員8人」としていましたが、20人程が参加したいとのことで、そのまま全員で研修を開始しました。

だけど、日本語がほとんどできない難民がかなりいました。例えばアフリカから来た難民は、英語も日本語も話せず、フランス語しか話せないという人が結構います。何年日本で生活していても、です。そういう人たちは、ビザが一番早く下りたという理由だけで日本に来ていますから、事前に日本のことをほとんど知らず、自国とのギャップに戸惑っているんですね。

家族と一緒に来て、家ではフランス語を話し、外でも友人たちとフランス語で話す。結局、4〜5年日本にいても日本語を話せなかったり、家族と離れて1人で来日した方は、友達もいなく、引きこもりのようになってしまう難民も多いそうです。私も「ボンジュール」くらいしか分かりませんから、NPOの方に通訳をお願いしたり、日本語→英語→フランス語と皆で通訳し合っていました。

でも伝言ゲームのようにだんだん話の内容が変わっていき、「私、そんなこと言ってないけど・・・まぁいいや」という状況でのコミュニケーションとなっていました。コンゴ人女性が私に話したいということで、彼女のフランス語をカメルーン女性が英語に訳すと「毎日、パンにマヨネーズをかけて食べていて、お腹が空いている」ということだったり・・・「果たして、この中から本当にプロネイリストは誕生するのか」という一抹の不安がよぎりました。
 


■ 「あなたの人生を変えるのは、あなた自身」

初めの3週間の研修は、事情があった1名を除き全員修了しました。ただ、その時点では実際にお金をいただけるようなレベルではなく、その後、継続して研修を行いました。

ただ、研修は無料でも交通費は各個人の負担でしたので、将来性が厳しい方には「ネイリストになるのは簡単ではない」ということを伝えました。実際、アフリカ人のメンバーは、「なぜ、ジェルが爪からハミ出してはダメなのか」などの基本的なことが、感覚として理解できないようで苦労していました。こちらが注意し続けると「Don't worry!」「ダイジョウブ!」なんて言ってくるので、日本でネイリストとして仕事をするのは相当に困難だと痛感しました。

余談ですが、研修生の中に1人イラン出身の男性もおり、彼はとてもスマートで覚えも早く、ネイルも上手く習得したので、プロデビューを打診したところ、「僕はできません」。なぜかと聞くと、宗教的文化的理由から「女性の手は触れません」とのことでした。「この3週間は何だったんだろう・・・」と一瞬思いましたが、彼は友人が少なく、外国人同士でワイワイ楽しく過せることを欲していたようでした。海外で日本人同士が固まっているのを見ますが、外国人同士の繋がりも大切なのでしょうね。よくイラン料理を作って持ってきてくれました。

話は戻りますが、基本的に私は「やりたい人、続けられる人は続けて下さい。そうじゃない人は、辞めることになっても私は止めません」というスタンスでいました。だって、自分の人生は自分で決めてほしいし、何より楽しくないと続かないじゃないですか。

それに、難民の方はこれまで自分の意思とは違った人生を歩まざるを得なかったけど、日本では違う。自由がある、民主主義のこの国では、自分ががんばれば、収入を増やして生活を改善することができる。だから「私があなたのライフを変えるのではない。あなたがあなたのライフを変えるんだ」と彼女たちに言い続けていました。

日本のマーケットの要求するレベルは高い。でも逆に日本で成功したら、世界で通用するネイルアーティストになれる可能性だって十分あると思います。

結局、研修は3週間の予定が3カ月になりましたが、最も上手だった3人をプロとして選び、彼女たちは2010年5月15日のサロンオープンでデビューしました。

今のところ、有り難いことにお客様は口コミでお越し下さる方が大半です。いろんな所からお客様がいらして下さいます。中には遠く東北、関西、中国地方などからいらしてくれた方もいます。地元にいくらでもネイルサロンはあるはずなのに、です。それは料金の安さ以上に、国際貢献への高い関心がお客様にあるからでしょうね。日本にはなかなか難民とゆっくりマンツーマンでお話できる場所はありませんし、興味をお持ち下さり嬉しく思っています。

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■ 郷に入っては郷に従え

こちらを訪ねてくる難民の多くは、日本で仕事をしたことがないか、もしくは飲食店のアルバイトや工場での仕事で生計を立ててきた方々です。他の職場で経験するような、難民への差別から生じるイジメも、ここにはありません。ですので、そういう意味ではとても楽しそうに仕事しています。
ただ、日本のネイル技術は、まさにミリ単位の世界。脱落する人も出てきますし、向き不向きも当然出てきます。

また当初は、約束や時間を守れなかったり、「デモに参加する」と言って突然休んだり、お客様への気遣いが出来なかったり、接客中にも関わらずスタッフ同士がミャンマー語でケンカしていたり、都合の悪いときは「あ、その日本語分かりませんでした」と言ってごまかしたり、上手くいかないことがあると、すぐに神様にお祈りして解決しようとしたり・・・と、日本人と違った外国人ならではのマネジメントの困難さもありました。

ネイルのビジネスでは、お客様は95%以上日本人なので、日本人の喜ぶサービスを身に付けさせることは本当に困難で、むしろ彼女たちに同情しそうにさえなりました。ただ、主観的ではありますが、時間の経過と共に、少しずつ彼女たちの技術力とサービス力は上がってきているように感じます。

これまでの仕事では、日本人(お客様)に「ありがとう」と心のこもった言葉をいただくことがなかったようで、日本人にお礼を言われたり、褒められることを通じて、成長しているのだと思います。
色々な意味で、見捨てず応援してくださっている寛大なお客様に心から感謝しています。

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女優のサヘル・ローズさん。アルーシャの広報大使を務めています(写真提供:アルーシャ)
 


■ いつか"普通"のネイルサロンに

ネイル事業を初めた時は、私自身が何の予測もつかないまま、プロと呼べる人が出てくるかどうかも分からずに研修を開いていたし、難民側も「私たちがプロになれるのかしら」といった疑問があったと思います。

ですが、難民の多くは楽観的で私も特に心配もなく「何とかなるでしょう」という思いで楽しくやっていました。それ以上に、各国の難民問題を本人たちからリアルに聞けることは、とても貴重な体験でした。どうして難民となってしまったのか、出身国によって事情は異なりますし、どういう思いでいるのか、家族のことや将来のことなど、私だったら乗り越えられそうにない多くの困難を抱えて、それでも日本で前を向いている姿勢はとても勇気付けられ、駆り立てられる想いでした。

もちろん、仕事=お金をいただくことは簡単ではありませんので、厳しく伝えることもありました。何度注意しても出来なかったり、約束を守らず、脳みその血管が切れそうにもなりましたが(笑)多くのことを気付かせてくれた彼女たちに感謝しています。

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一番最初に申したように、今では難民以外の人も雇用しています。しかし"難民ネイルサロン"という看板を変えられるようになるまでには、まだまだ時間が必要でしょう。"難民"という言葉を看板から外すのは、日本に難民がいるという事実を日本国民全員が知る時です。「難民がこの日本にいるなんて、当たり前じゃん」と誰もが言うようになった時ですね。

いつになったらそういう時が来るか・・・実際、今も"難民"という言葉を聞くと"囚人"をイメージする人が身近にいるくらいです。「本当にネイルしにくるお客さんなんているの?」と言う人もいます。

いつか、日本が"難民に優しい国"となり、周りから「え、わざわざ"難民"っていう言葉を使ってるの?バカみたいだね」と言われるようになったら、"難民"という言葉を外そうと思います。

【岩瀬さん関連リンク】
アルーシャ:http://www.arusha.co.jp/
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*Twitter : http://twitter.com/arusha_jp
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)ストーリー:http://stories.unhcr.org/jp/
*岩瀬さんのストーリーも掲載されています!こちらをご覧下さい。

【関連記事】
浅野マミさん(難民支援学生団体代表 *掲載当時)
N.Yさん(難民)



(2010年9月22日「My Eyes Tokyo」に掲載された記事を加筆修正・再構成の上で転載)