BLOG

「無添加」というブランドが欲しかっただけの私

2014年05月22日 20時41分 JST | 更新 2014年07月22日 18時12分 JST

無添加化粧品がにわかに市場をにぎわしている。いや、以前からそういったものは存在していたのだが、ここにきて一気に市民権を得はじめているような気がするのだ。一昔前まではそういったものは専門店やら一部デパートでしか手に入らなかったような記憶があるのだが、いまやCMで「無添加」のフレーズを聞かない日はないし、ドラッグストアの陳列棚にも、無添加化粧水やら無添加シャンプーやらが、一般の製品に混じって堂々と鎮座ましましている。

かく言う私も、「なんとなく良さそうじゃん? エコな感じだし~」ということで、少し前から無添加シャンプーなるものを使用してみたりしているのだが......いやあ、これが泡立たないのなんのって! きしむきしむ! 香りもないし! 洗っているとき全然楽しくないんですけど! しかも乾いたあともごわごわするし! 地肌もどうもすっきりしないし! なによこれ、もっとマシな無添加シャンプーはないの? もっと泡立って、もっと指通りがなめらかで、もっといい香りで、そんでもってさらさらにもなって、地肌もすっきり爽快! みたいな無添加シャンプーはないわけ!? ......なんてことを言って、某「コスメ・美容の総合サイト」を血眼になって徘徊しているうちに、「はた」と気が付いたのだった。こ、これじゃ全然意味ないじゃん......と。「無添加シャンプー使ってるのよ、ふふん」っていう気分を味わいたいだけじゃん、私......と。そう、私が欲しいのは「無添加というブランド」だけで、効果としては「無添加じゃない」製品のそれを求め続けていたのである。いわば、「無添加というブランド」を自らに「添加」しようとしていただけだったのである。自分の愚かさと強欲っぷりに、しばし呆然としてしまった。

そもそも無添加化粧品は、「余分なものは入れていません。だから身体にやさしいんです。使っていくうちにどんどん肌や髪が本来持つ力が引き出されていきますよ。お楽しみに!」というスタンスで製造・販売されているはずのものである。(「はず」と書いたのは、「無添加」を名乗る製品の中にも、実はいろいろなものがあるらしいことを知ってしまったからなのだが、そのことについてはここでは言及しないでおく。)だから、たとえばシャンプーで言えば、泡立ち成分やら、香り成分やら、指通りなめらか成分やら、洗い上がりすっきりさらさら成分やらは、「余分なもの」として排除されているのだ。当然、上記のごとき一般的な美容製品に求められる効果は最低限。その代わりに、「身体へのやさしさ」をもって、「肌や髪が本来持つ力を引き出す」お手伝いをします、というわけだ。

無添加化粧品を使用することの最終的なゴールは、「自分が本来持つもので勝負できるような状態を整える」というところに置かれている。消費者である我々は、そこをしっかりと理解しておかなくてはならない。そういった製品を使うならば、軸を自分というものの内側に持たなくてはならないのだ。さもないと先日の私のように、「無添加というブランド」を自らに「添加」するという、矛盾に満ちた結果に終わりかねない。

自分本来の力を信頼する態度、それが必要なのだ。外側から付け加えられる「余分なもの」に頼らなくても、自分は十分美しく、健やかでいる力があるのだと、自分は本来、ものすごい力を持つ存在なのだと、そこを信じて進んでいく態度が求められているのだ。それは決して不遜な態度ではない。むしろ自我的なものをそぎ落として、はじめて見えてくる境地なのだと思う。

お釈迦さまの最後の言葉に「自灯明(じとうみょう)」というものがある。「ただ自らを灯火として進め」。この場合の「自ら」というのは、「○○して欲しい」とか「××のせいで......」とかいう、外側に依存する態度を取り払ったところにある、確固とした「自分」のことである。しっかりと整えられた「自分」以外に、本当は拠りどころなんてものはないのだ。その事実を容赦なく突き付けてくる無添加化粧品は、外側のものに自分の一切を預けて無責任に生きてきた私のような人間など、はなからお呼びでなかったのだ。「ちゃんと自分の足で立ちなさい、歩きなさい、生きなさい。これからも私を使うつもりならばその覚悟を持ちなさい」と、無添加シャンプーさまは、厳しくもあたたかく、私を諭してくるのだった......。

......って、たかだかシャンプーごときで話が壮大になりすぎましたね、ごめんなさい。しかし、良くも悪くも選択肢に溢れるこの世の中、「自灯明」という言葉を胸に抱いて生きるのは、ものすごく重要な態度だと思うのだ。そして、「無添加」の製品が以前より多く売り出されるようになったのには、そういった態度で生きる人たちが増えてきたという背景が(おそらく......だが)あるからであり、それはなんだか、ものすごく頼もしいことだなあ、なんてことも思うのだ。私も「自灯明」を実践していけるよう、無添加シャンプーを使い続けて、しばらく修行してみます。