フォトジャーナリスト・嘉納愛夏が歩いた戦場「そこにあなたがいた」ー10年前、イラクで本当にあったこと

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 戦場や被災地など極限の土地を取材し、そこで生きる人たちの姿をレンズを通して見つめてきたフォトジャーナリスト、嘉納愛夏さんの連載「そこに、あなたがいた」が始まります。初回はイラクです。10年前、戦争が起こる前夜にイラクではどのような日常があったのか。そして、サダム・フセイン政権崩壊後の人々の表情は。あの戦争に立ち会った嘉納さんが撮影した写真、一枚一枚に“人生”が写っています。
 


■アラブ世界の「本音と建前」

 戦争の2か月前、2003年1月のイラクで見たものはサダム・フセイン独裁政権下で、必死に生きる人たちだった。
 人々は崇拝を強制され、従順な羊のように、それでも辛抱強く生きていた。独裁政権を跳ね返すような力は民衆になかった。中央の政府と部族社会が織り成す複雑な利権が絡み合い、密告という名の目に見えない鎖が人々の手足を縛っていた。フセイン政権は一方で生かさず殺さず、ぎりぎりの福祉を与えた。ある意味、生殺し状態ではあったが、貧しい者も何とか生きられたのだ。
 訪れたバグダッドの小学校では、少女たちが「サダム・フセイン」を崇拝する歌を歌ってくれた。何百種類もあるという。洗脳という二文字が脳裏に浮かぶ。朝礼では整列して国旗掲揚、児童によるサダム・フセインへの謝辞が朗読され、女性教師がカラシニコフを構え、空に向かって撃った。笑顔いっぱいの子どもたちに見送られる時、これは「サダム・フセイン劇場」のワンシーンを見せられているのかもしれないと感じた。アラブ世界では常識である「本音と建前」で、決して洗脳されているわけではない。

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 帰国後、日本のイラク大使館で戦争取材のための「ジャーナリスト・ビザ」が取れず、苦労している間にイラク戦争が開戦してしまった。経費が苦しいフリーランス同士、パレスチナの取材を通して知り合ったビデオジャーナリストの長井健司さん(故人。2007年9月27日、ミャンマーでデモ取材の最中銃殺された)とバグダッドまでバディを組むことを決め、車のチャーターなど折半した。すったもんだの末、イラクの隣国ヨルダンのイラク大使館でジャーナリスト・ビザ取得。それからまた何だかんだあり、バグダッドに腰を落ち着けることができたのは陥落の2日前だった。
 以前とはすっかり様変わりしていたバグダッド。目くらましのための重油の黒煙がもうもうと立ち上る。翌日までには首都防衛のイラク兵は全て逃げ、情報省の役人たちは落ち着きを無くし、話しかけても相手にしてもらえない。陥落直前、複数のカメラマン同士で車に乗り合い、取材に行ったサダム・シティー(当時)はカオスと化していた。政府や公的機関の建物はすでに略奪の対象となり、警察署でさえ襲撃されたようでパトカーを押している人たちがいた。圧力鍋が爆発したような、抑圧から一気に解き放たれた気分のせいで、「何をしてもいい」狂気が町を覆っていたのだった。

 それからしばらくして米軍がバグダッドに進駐してくる。隠れていた民衆はおそるおそるフィルドス広場(フセイン像の立っていた円い広場)に少しずつ出てきて、米軍を歓迎した。それから後のことは世界中で目撃されていたことだと思う。人々は歓喜し興奮していた。「これから世の中が変わる!」そんな期待感が広場の上に膨らみ、爆発しそうな勢いで一気にフセイン像が倒された。

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 翌日からは信じられない略奪行為が街中で横行、家族総出で椅子でも壷でも何でも持って行く民衆の姿を見続けることになった。この国にモラルはなかったのか。あるはずもない。あったのは抑圧と強制と服従だった。老若男女、誰もが取れることろから搾り取るのが普通で、それがうまく生きていくということなのだ―突き詰めるとそういうことだと思うが、私の目にはそこまで考えてないように映った。平たく言えば「他の人より損をしたくない。盗らなきゃ損損!!」「いつ盗るの?今でしょ!!」というお祭りのような空気。悪気は一切感じられず、ピクニックにでも出かける雰囲気だった。フセインの城でも銀行でも文化遺産でも何でも、略奪しては火をつけて証拠を消す。残しておけば観光資源になるのに…平和すぎる国から来た私はそう思うが、彼らにしてみればそんなことは関係ない。


■「サダムの方がマシだった」

 この8か月後に私はまたイラクへ入った。日本の自衛隊派遣の取材が主な目的だが、半分くらいはバグダッドに滞在した。歓喜して迎えられたはずの米軍がすでに民衆の敵となっていて、「サダムの方がマシだった」と言わしめていた。舌の根も乾かぬうちに…喉元過ぎれば熱さ忘れる…そんな諺がいくつか頭をよぎった。米軍がいいとか悪いとかではなく、どうしてそう思えるのか?サダム・フセインにはひどい目にあったはずではないのか。
 この頃、サドル派というイスラム教シーア派組織が台頭し、米軍に対抗していた。毎日のように爆弾テロが発生し、米軍の締め付けも厳しくなるという悪循環であった。結局はアメリカが去った後、誰(どこ)がてっぺんの旗、強大な権力を手に入れるかの争いの火蓋が既に切られていた、ということであろう。
 元々が部族社会で、個人は家長の支配下にあり、村や地域は部族長の支配下にある。そして国民全員がサダム・フセインに支配されていた。キツイ、ゆるいの差はあれど、結局は「誰かによる支配」が常識の、伝統的なアラブ社会であった。だから、(どうせ支配されるなら米軍より)「サダムの方がマシだった」という言葉も出てくる。変わり身の早さと柔軟に長いものに巻かれるのが、この国を生き抜くコツなのかもしれない。

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 そんな争いと関係なく暮らすのは、多くの女、子どもである。そして究極までに貧しい民。中でもファルージャからバグダッドへの道中、濁ったローズ色の砂嵐の視界の中で見たイメージが今でも頭を離れない。ボロ布で作ったテント小屋の前にマントを着て裸足で立つ、燃えるような赤毛の少女。また、バグダッドの隅にある巨大なガルベージ(ゴミ捨て場)で暮らす、一族のたくましさと笑顔。ゴミを食べて育つ羊の群れ。放牧されている駱駝のほのぼのとした風景。食べるために生き、生きるために食べる暮らし。誰が国を治めようが関係なさそうな生活。記憶の中で輝いているのはそれらだ。そんなひとつひとつに人間としての原点を見た気がした…のだが、一斗缶を積み上げて作った粗末な小屋(家である)に招かれて目が点になった。真ん中に鎮座していたのはなんとカラーテレビ、しかも衛星放送受信機とパラボラアンテナまで!!服もボロボロで家具と呼べるものもなく小屋の床は土である(要するに地面だ)…それなのにテレビがある。屋根のトタンを買うとか、ほかにもっとお金を使うところがあるのでは?と思ったが、人は娯楽なしには生きられない。素朴であると同時に俗でもある。これも真理なのであった。
 
■プロフィール 
嘉納愛夏(かのう・あいか) 
1970年生まれ。神戸芸術工科大学卒業。写真週刊誌の専属カメラマンを経て、2004年からフリーになって以来、ジャカルタ暴動やパレスチナ、ジャワ中部地震など戦場や被災地の過酷な第一線に身を投じてきた。写真集に「中東の戦場スナップ」(アルゴノート刊)。

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