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アンネ・フランクが住んだ街:過去と現在の交錯

2014年02月24日 00時51分 JST | 更新 2014年02月24日 19時04分 JST
NOID/Anne Frank House

アンネ・フランクは、彼女が遺した勇敢で親しみやすい日記で、世界中の人々を感動させてきた。彼女の日記には、ホロコーストの残虐さが記されているが、彼女は最後まで希望を持ち続けていた。

アンネは強制収容所において、わずか15歳で悲劇的な死を遂げたものの、彼女の知恵と勇気、無限の愛は、今日に至るまで、さまざまな人々の心を動かし続けてきた。アンネ自身が述べたように、「いったい誰が、若い少女の心で、ここまで大きなことが起こっていると思うだろう?」。

フランク一家は、ナチスの政権掌握後、故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命。しかし、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日に一家は、隠れ家で潜行生活に入った(ほかの人々もこの隠れ家に入り、計8人のユダヤ人が隠れ家で2年間暮らした)。© Anne Frank House / Anne Frank Fonds / erven Goldberg

Photo Montage: Michel Dankaarts, LBi Lost Boys

© Anne Frank House

この記事で紹介する写真シリーズは、現代のアムステルダム市街地のカラー写真と、アンネが生きていた時代の白黒写真を合成して作られている。この不調和な組み合わせを見ていると、かつてアンネが身を隠しながら生活していた、ナチスに占領されていた頃のオランダに住んでいる気持ちになる。

子どもや、軍服を着た兵士たちの、ぼんやりとした不吉で悲しい姿が、ある種の美しさをたたえながら、現代の街の観光地をさまよっているのだ。

不思議な雰囲気をたたえたこの画像集は、ビジュアル・デザイナーであるマイケル・ダンカーツが主導して制作された『Anne Frank's Amsterdam』(アンネ・フランクが暮らしたアムステルダム)というアプリの一部だ。このアプリでは、アンネの生活の詳細について、現代のアムステルダムと関連づけながら説明している。

1940年5月、アムステルダムに入るドイツ軍。アムステルダム市民の中には歓迎する人々もいた

Photo Montage: Michel Dankaarts, LBi Lost Boys

© Anne Frank House© NIOD / Anne Frank House

Photo Montage: Michel Dankaarts, LBi Lost Boys

© Anne Frank House© NIOD / Anne Frank House

Photo Montage: Michel Dankaarts, LBi Lost Boys

© Anne Frank House© NIOD / Anne Frank House

Photo Montage: Michel Dankaarts, LBi Lost Boys

© Anne Frank House© Anne Frank House / Anne Frank Fonds

Photo Montage: Michel Dankaarts, LBi Lost Boys

© Anne Frank House© NIOD / Anne Frank House

ドイツ占領地のユダヤ人たちは、「ダビデの星」の黄色いバッジの着用を義務づけられた。これらの写真でもその様子を見ることができる。

Photo Montage: Michel Dankaarts, LBi Lost Boys

© Anne Frank House © NIOD / Anne Frank House

Photo Montage: Michel Dankaarts, LBi Lost Boys

© Anne Frank House © NIOD / Anne Frank House

h/t My Modern Met

[Priscilla Frank(English) 日本語版:丸山佳伸、合原弘子/ガリレオ]

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