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盗まれたiPhoneが米中友好の架け橋に あの「オレンジ野郎」に会いに行った

2015年05月21日 23時51分 JST | 更新 2015年05月22日 00時20分 JST
Matt Sheehan

リ・ホンジュンはひょんなことからアメリカと中国のヒーローになった。

アメリカで盗まれたiPhoneを親戚からプレゼントされ、初期化しないままオレンジの木をバックに自撮りしたら、元の所有者のフォトストリームにアップロードされ、その顛末がバイラルメディアの「Buzzfeed」に取り上げられた。「オレンジ野郎」として瞬く間に有名人になり、元の所有者をアメリカから中国に招いたことで、海を越えた善意の象徴と持ち上げられた。

それまでホンジュンには中国人以外の友人もいなかったが、今やアメリカと中国の両方から、映画出演の話や、スキンローションの広告に出ないかという話が持ちかけられている。

(なんのことだかわからない人は、こちら→盗まれたiPhoneを追って、ニューヨークから中国へ。その心温まる物語

この騒動を通じて、「オレンジ野郎」とBuzzfeedエディターのマット・ストペラは、アメリカと中国の友好に大きく寄与した。オレンジ野郎は人がよく朴訥で堅実そうな感じだった。

だけど、マットは書かなかった――結局「オレンジ野郎」って一体誰なんだ?

彼は会社を経営している、ちょっと内気なお金持ちだ。中学中退で、郷里の文化を誇りに思い、飛行機に乗るのが怖く、突然有名になって戸惑っているようだ。

この3カ月で彼の人生は完全に変わってしまった。でも自分を見失わずにいる。中国南部の最貧の村で、子供の頃から顔見知りの、多くの家族や友人に囲まれて。

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ホンジュンの住む地域。毛沢東の肖像画が掲げられている。

リ・ホンジュンは1976年に生まれた。ちょうどその頃、中国社会は、毛沢東への強烈な個人崇拝から、経済成長と消費ブームへと転換する時期にさしかかっていた。彼は緑豊かな広東省の田舎で育った。父は小さな商店でタバコや茶葉、酒を売って生計を立てていた。

中学を中退したあと、ホンジュンは15歳で家を離れ、仕事を求めて好景気に沸く海沿いの街・深圳に旅立った。1991年、ガタガタの田舎道をバスで12時間揺られて深圳に着いたが、まったく退屈なんかしなかった。

「あの頃、僕はとっても若くて、すべてのことがミステリアスだった。家から遠く離れたところに行くのも初めてだったし、眠いと思わないのも不思議だった」

その後20年、彼は沿岸部の都市を転々としながら、プラスチック製のサングラスや家事用品、安物の服などを売って暮らすようになる。結婚して、今は小学校に通う3人の子供たちをもうけたのもその頃だ。家族の貯金をはたいて金属加工工場を設立したが、利益を生み出すには至らなかった。2011年、病気の両親の面倒を見るため、家族で故郷に帰った。

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ホンジュンと末っ子。経営するレストランで。

リ・ホンジュンと家族が故郷の五華県に帰ったとき、地域の一人当たりGDPは1249ドルで、広東省でもっとも低かった。その2年後に、ホンジュンの両親が相次いで死去した。地元に帰ってホンジュンが始めた、川に浮かぶ船上レストランも、地方政府から安全上の懸念を理由に閉店を命じられた。彼と船のオーナーは、地方政府に対し、課徴金は公正に課すよう嘆願したが、投資した金額のごくわずかしか戻ってこなかったという。

苦境を打開しようと、ホンジュンは船を沼地に引き上げ、生まれ育った場所から1キロの場所で、6カ月かけて新たなレストランを始めた。そのレストランのオープン祝いに、甥っ子がiPhoneを買ってきたことで、人生が変わった。ホンジュンが新しい道具を使い始めたところ、色の白い見知らぬ男が、フォトストリームに何枚も現れるようになった。

「どの写真も何か食べて、飲んで、楽しそうだった。僕は思ったんだ。『なんでこいつ、年がら年中こんなに楽しそうなんだ?』って」

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ホンジュンのレストランの裏玄関から見た景色。

その写真のことはその後、あまり深く考えたことはなかったが、やがてまた甥っ子がやってきて、ホンジュンのことが中国のネットでものすごく話題になっていると聞かされた。甥によれば、膨大な数の微博(Weibo)ユーザーが「オレンジ野郎」を探しているという。

その話を聞いてホンジュンは青ざめた。無理からぬことだった。中国のインターネットは別名「人肉サーチエンジン」とも言われる。画像や動画に写り込んだ人物を特定するために、多くのネットユーザーが群がり、個人情報をたちまち白日のもとにさらしてしまう。腐敗した官僚や性犯罪、動物虐待、その他の社会通念上よろしくないことをした人間を晒し者にするためによく使われる方法だ。

自分は何も悪いことはしていないのに、これは中国でよく聞く、ネットで人生をメチャクチャにされる話じゃないか?

結局、何も悪いことは起きなかった。ホンジュンはネットを始め、自ら「オレンジ野郎」だと明かした。微博のアカウントを開設したら、即座にフォロワーが10万人を超えた。それから3カ月のことはよく覚えていない。

マットが中国を訪れたあと、ホンジュンは初めてアメリカを旅行した。ホンジュンとマットは人気テレビ番組「エレンの部屋」に出演し、ラスベガスでは人気歌手ブリトニー・スピアーズにも会い、ニューヨークのBuzzfeed本社も訪問した。初めて食べたアメリカの料理の感想は複雑だ。チポトレ(ハラペーニョの燻製)は「拷問」だったが、「メキシコドリンク」のマルガリータは「最高」だったという。

この、ひょんなことから知り合った2人は、殺到するメディアに「生涯の友人」と描かれた。しかしホンジュンは脚光を浴びるのが苦痛でもあった。ホンジュンの中国語は出身地の強い訛りがあるが、テレビの司会者はこれを面白がった。傷ついて、録画の1週間後、ホンジュンは「テレビに出ることで、自分自身を貶めているのではないか」と思ったという。

「テレビに出る人は、活発で楽しくてリラックスしているように見られたいだろう。だけど出演者の本当の生き様なんて、どうやってわかるんだい? 今まで舐めてきた辛酸とか」

ホンジュンは自分自身を内向的だという。だからストペラが羽目を外してテイラー・スウィフトのダンスや、ブリトニー・スピアーズの歌を真似するのを、感服して見ていた。

「マットはいつもオープンな性格で、僕は本当にうらやましい。外で人と付き合っているときも、家にいるときも一緒なんだ。イライラしたり、どうやって振る舞おうか悩んだりすることもない」

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マットとホンジュンが植えた米中「友情記念」の木の前で。

海を越えて拡散した2人の仲良しの話は、金の卵を産むニワトリに化けた。この数カ月でホンジュンのところには、オレンジやスキンクリームやお酒など、広告に出てほしいという電話が殺到した。ただ、いくつかのビジネスの話で嫌な思いもしたので、今は自身が経営するレストランに専念したいと思っている。

レストランでは、生魚をピーナツや胡椒、ニンニクであえた郷土の名物料理を出している。ここ数カ月は、ホンジュンの名前が知れ渡ったことや「オレンジ野郎」の電飾の看板を掲げたおかげで、お客さんが増えた。見知らぬ人と働くのは何となく嫌だったので、幼なじみを雇って、電気事情を改善しようとしている。

「ここは電気が足りないんだ。夜にエアコンをつけると、看板が点滅するんだよ」

駐車場を舗装したいが、ほんの数十メートル離れたところに新たな高速道路の計画が浮上した。レストランも営業できなくなるかもしれない。こういう悩ましい問題はいくつかあるが、とりあえず、ホンジュンはインターナショナルな生活と、「オレンジ野郎」のブランドに満足している。

「この名前が本当に気に入っているんだ。本名とどっちがいいかって? うーん、比べられないね」

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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