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【ガザ紛争から1年】「戦争は人間の尊厳をも破壊する」 国連機関局長の清田明宏さんに聞く

2015年08月18日 19時33分 JST | 更新 2017年03月10日 20時07分 JST
清田明宏・UNRWA

2014年7月から50日間、イスラエルによる空爆などが続いてパレスチナ自治政府のガザ地区で2千人以上が死亡した「ガザ紛争」から1年が過ぎたが、ガザの復興はいっこうに進まない。パレスチナ難民を支援する「国際連合パレスチナ難民救済事業機関」(UNRWA=アンルワ)の保健局長で医師の清田明宏さんがハフポスト日本版のインタビューに応じ、「戦争は、人間の尊厳をも破壊すると」と述べ、日本人はガザの苦しみをもっと知るべきだと訴えた。

清田明宏(せいた・あきひろ) 1961年、福岡県生まれ。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。2014年夏のガザ紛争では停戦直後も含めて計3回、ガザに滞在して携帯電話のカメラで子供らの姿を撮影、5月には写真絵本「 ガザ: 戦争しか知らないこどもたち」(ポプラ社)を出版した。

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インタビューに答えるUNRWAの清田明宏さん=東京都渋谷区

――2014年夏、イスラエル軍と、ガザを実効支配するイスラム組織ハマスが戦闘を繰り広げ、多くの市民が死亡しました。その後の現地はどんな状況でしょうか。

苦しい生活が続き、本当に終わりなき難民です。パレスチナとイスラエルの和平交渉も先が見えず、難民らは将来に対して非常に悲観的になっています。ガザは貧しくて治安が悪く、将来に希望が持てず、過激派組織「イスラム国」(IS)が入ってくる土壌がぜんぶそろっています。とても心配しています。

2014年夏の戦闘では、ガザにある20の保健所のうち、7カ所は戦闘地域に入ったため封鎖されました。しかし、戦闘中も残りの13の保健所は診療を続け、UNRWAの職員の6割以上が毎日、出勤しました。停戦直後にガザの避難所に行って、住民の男性に「何が一番ほしいか」と聞くと「平和がほしい」と。「人間の尊厳を返してくれ」と続けました。戦争は建物を壊したり、人々と避難に追い込むだけではなく、人間の尊厳をも破壊すると実感しました。

また、7人で暮らす家庭で、15歳の少女イマンさんが将来の夢について「お医者さん」といい、さらに一言「このままならガザを出たい」とつぶやきました。周りの人たちはみなシーンと静まりかえってしまい、そのお母さんは悲しそうな顔をしてしまいました。

いまでも、人々の生活はよくなっていません。そのなかで私たちの使命は、諦めずに支援を続け、希望を伝えていくことだと思っています。

――UNRWA(アンルワ)について教えてください。

本部はガザとヨルダンの首都アンマンにあります。1948年のアラブ・イスラエル紛争で生じたパレスチナ難民の支援をするため、1949年にできました。当時、パレスチナ難民は80万人いましたが、いまはガザとパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区、そしてヨルダンとシリア、レバノンの計500万人に増えています。UNRWAは、教育と保健という基本的なサービスをしています。500万人という数は中東では結構大きくて、UNRWAは途上国の政府のような存在です。

国連組織としてUNRWAはとてもユニークです。ふつう国連組織は、相手側の政府にアドバイスをしたり、事業を頼んだりします。でも私たちは、自分たちでサービスを提供する政府の保健省のような役割を果たしています。

UNRWAは職員が3万人いる非常に大きな組織です。そのうち、外国人職員は200人くらいで、ほかはパレスチナ難民を採用し、難民に職業を提供する役割もあります。難民たちは、同じ難民たちのためにとても一生懸命仕事をしています。管轄する学校は、日本でいう中学校までのものが700校あり、先生は約2万人。保健所は138あって、職員が約3000人います。

もう一つ大事なことは、UNRWAは「国際社会はパレスチナ難民を忘れていない」と難民に示しているということです。イスラエルが1948年に建国されたため、そこに住んでいた多くのパレスチナ人が故郷を逃れて難民となり、その後も何回も戦争が繰り返され、67年には西岸地区も取られました。このパレスチナ問題は、基本的には現在でも何も解決していません。国際社会はこの問題への関心を失い欠けています。

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子供たちを集めたカウンセリング。避難所となったUNRWAの学校にて。清田さん(右から3番目)も参加=2014年8月8日

――国際協力の分野に進んだきっかけを教えてください。

医学生の時、犬養道子さんの「人間の大地」を読んでとても感動しました。当時大問題になっていたカンボジア難民を始めアフリカやアジアの難民キャンプのルポなのですが、自分も発展途上国の人たちの健康に寄与する仕事をしたいと思いました。医大を出て、横須賀にあるアメリカ海軍基地の病院で1年間インターンをした後、結核研究所(東京)で働きました。1990年から2年半、イエメンで行われているJICA(国際協力事業団:当時)の結核対策プロジェクトに参加しました。

その後、世界保健機構(WHO)の結核対策部長が当時は日本人だったのですが、日本人職員を増やしたいこともあり、WHOで働かないかと誘われました。これを受け、北アフリカと中近東22カ国を管轄するエジプトの事務所に務め、結核と三大感染症対策の責任者になりました。そして2010年、上司から「UNRWAに行かないか」と声をかけられました。

――UNRWAではどういった取り組みをしているのですか。

保健サービスの提供を担当しています。赴任当時は、138ある保健所を全部回れば、働く人や住民、そして問題について理解でき、どんなサービスを提供すればいいのか分かると思ったので、始めました。すると、パレスチナ人は糖尿病や高血圧、がん、呼吸器系疾患といった生活習慣病(慢性疾患)が多いことが分かりました。WHOの資料によると、7割強の人たちが生活習慣病で亡くなっているんです。パレスチナ難民は、食料が不足しているということではないですが、貧しくて、パンやお菓子が中心の食生活を続けているため栄養素の摂取が偏ってしまい、さらに運動する場所がないことや喫煙することで、生活習慣病が進んでいます。

それまでは、お母さんの妊娠、分娩、出産、その後は感染症といった母子保健が一番大事だと思われていたのですが、これまでの活動で、乳児死亡率や母親の死亡率などはかなり改善されていたのです。

一方、生活習慣病については家族全体のケアが必要だと理解し、保健所の診療所に「家庭医療制度」を導入しました。それまでは、糖尿病外来、母子外来、一般外来など三つの診療所にいけば医師が3人いて、カルテが3つできます。そうではなくて、住民を医師ごとに振り分けて、いつも同じ先生と同じ看護師さんが診るようにしました。患者さん中心のケアです。医療を継続すれば家族全体について分かります。医者と患者さんの信頼関係もできます。

生活習慣病には食事も大切です。パレスチナ人は、基本的に男は料理をしません。だから、旦那さんに食事のことを言っても意味がなく、奥さんに言わないといけないんです。

この「家庭医療制度」には効果が出ています。「私のお医者さんがいる」と患者からの評判もいいし、医師も毎回、患者に説明する必要がなくなります。

清田明宏さんの撮ったガザ

――日本から中東は遠いイメージが強いですが、日本ができることは何でしょうか。

現地では、日本人はまじめで誠実、また日本は国際情勢に左右されないと受け止められており、評判がいいといえます。日本人であることで"損“をしたことは一度もありません。この日本人の価値をさらに勧める協力を進めていけばと思っています。これまで通りインフラ整備や人づくりといったことをコツコツやればいいと思います。

ガザの子供たちは、東日本大震災の起きた3月11日前後に毎年、犠牲者の追悼と日本からの支援に感謝の意を込めてたこ揚げをしています。一方、国際NGO日本リザルツスタッフは今年、岩手の釜石でガザの人たちに向けてたこ揚げをし、また現地の理解を深めるため、私の写真絵本「Amazon.co.jp: ガザ: 戦争しか知らないこどもたち」を岩手県のすべての小学校342校の図書館に寄贈する計画です。このように、交流も深まっています。

とにかく、現状を知ってもらいたいです。パレスチナ問題を知ることが、国際情勢を理解するきっけになればいいと思います。

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