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本物だったら150億円? カラヴァッジョの名画、屋根裏から発見か(画像集)

2016年04月13日 21時03分 JST | 更新 2016年04月14日 14時35分 JST

イタリア絵画の巨匠カラヴァッジョ。その強烈な陰影表現と写実的描写は、多くの人を魅了してきた。国内でも東京・上野の国立西洋美術館で2016年3月から「カラヴァッジョ展」が開催されており、世界初公開の作品「法悦のマグダラのマリア」が展示され、人気を呼んでいる。

そのカラヴァッジョの作品と思われる絵がフランスで見つかり、本物であれば推定価格は1億3500万ドル(約150億円)にのぼるとして話題になっている。BBCなどが4月13日に伝えた。

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『ホロフェルネスの首を斬るユディト』(1598年 - 1599年) 国立古典絵画館(ローマ)


この絵画はフランス南部トゥールーズ近郊にある住宅の屋根裏から見つかったもの。NHKニュースによると、鑑定を行っていた専門家が12日に記者会見し、イタリアで16世紀後半から17世紀初頭に活躍したバロック期の天才画家カラヴァッジョの作品「ホロフェルネスの首を斬るユディト」である可能性が高いことが分かったと発表した。

専門家の一人エリック・テュルカン氏は、「いかにもカラバッジョらしい光とエネルギー、ミスがなく、自信に満ちた筆遣いや描写手法から、本物であることが分かる」と指摘した。その一方でテュルカン氏は、他の専門家の中には絵画の作者をカラヴァッジョの弟子だとする見方もあると認めているとAFP通信が伝えた。

フランス当局は、国外への持ち出しを禁止し、詳しい鑑定を進めている。

■気性が荒く、殺人犯に?「バロック絵画の先駆者」カラヴァッジョ

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オッタヴィオ・レオーニが描いたカラヴァッジョの肖像画(1621年頃)/Wikimedia

カラヴァッジョは1571年9月、ミラノで誕生。本名はミケランジェロ・メリージ。「カラヴァッジョ」という通称は両親の出身地に由来する。ミラノでの修行の後、当時ローマで随一の美術通と言われたデルモンテ枢機卿に見出されたカラヴァッジョは、28歳の時に「聖マタイの召命」「聖マタイの殉教」で画壇の寵児となった。

しかし、その栄光も長くは続かなかった。画学生を棍棒と剣で襲撃したり、居酒屋の店員に態度が悪いと暴行したり、警官に暴言を吐いたりするなど、数々のトラブルを引き起こしたとされる。ライバルの画家を貶める詩を広めたとして訴訟沙汰(バリオーネ裁判)も有名だ。挙げ句には1606年5月に集団決闘で人を殺してしまう。カラヴァッジョは一時身を潜めた後、ローマを脱出。ここから4年にわたる逃亡生活が始まった。

ローマを出たカラヴァッジョは、イタリア半島南部のナポリへと逃亡するが、すでに有名画家となっていたこともあり、ここでも注文が舞い込んだという。その後、ナポリから聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の本拠地マルタ島へ渡った。才能を認められたカラヴァッジョは、聖ヨハネ騎士団長の庇護を受け、修養期間を経て騎士の位も授かった。滞在中には、聖ヨハネ騎士団のサン・ジョヴァンニ大聖堂を飾る傑作「洗礼者ヨハネの斬首」も描いた。

しかし、ここでも生来の気性の荒さが災いする。騎士任命からわずか1カ月で騎士団員と諍いを起こして投獄されてしまう。そして脱獄し、マルタ島を離れた。騎士団長の許可なく島を反れることは重大な規則違反とされ、カラヴァッジョは騎士団を除名された。

マルタ島を出たカラヴァッジョはシチリア島やナポリに滞在。その後、「恩赦によって殺人罪が許される」という情報を得ると、「洗礼者ヨハネ」など3作品とともに船でナポリからローマへと向かった。しかし、その道中に熱病で死去。ローマ帰還の夢を果たせぬまま、38歳で波乱の生涯を終えた。

若くしてこの世を去ったカラヴァッジョだが、短い活動期間の中で残された作品は、同世代や後世の画家にインパクトを与えるには十分なものだった。イタリアのみならずヨーロッパ各地でカラヴァッジョの手法を真似た画家たちもあらわれ、彼らはカラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ派)と呼ばれた。後世には「バロック絵画の先駆者」と称賛され、ルーベンスやレンブラントなど17世紀の画家たちにも影響を与えたとされる。

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カラヴァッジョ作品集