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茅葺き屋根を残すために、町ごとアートに。 地方創生の未来と、秋田・田代の人たちの想い。

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撮影:桜庭文男


撮影:阿部花恵


撮影:桜庭文男

秋田県羽後町の田代(たしろ)は、つづら折りの峠道を登った先にある山間の集落だ。のどかな里山風景と昔ながらの茅葺き民家が数多く残る田代地区の別名は「鎌鼬(かまいたち)の里」。鎌鼬とは、つむじ風に乗って現れる人を鎌で切りつけるイタチの妖怪、もしくはその現象のことを指す。そしてこの地に2016年9月に「鎌鼬美術館」が誕生する。館長と目されているのは、上の写真の愛らしいイタチ(剥製)だそうだ。

この鎌鼬美術館の設立を記念して、慶應義塾大学アート・センターで6月1日から「KAMAITACHIとTASHIRO」展が開催中だ。鎌鼬美術館の特色とは何か? 各地の「アートの町おこし」とどこが異なるのか? 新しい地方創生のかたちとは? 秋田の写真、映像、そして茅葺き屋根の各専門家らによるトークイベントの様子をレポートする。

■鎌鼬は田代を奇襲した「天才舞踏家」の記憶

そもそも田代がなぜ「鎌鼬の里」と呼ばれるようになったのか。それは、51年前に田代に突然現れて、里の人たちの前で道化を演じ、つむじ風のように去って行った秋田出身の舞踏家・土方巽(ひじかた・たつみ)の記憶に由来する。

1965年(昭和40年)、秋。稲の収穫期を迎えた田代に奇怪な男が現れた。男は稲を天日干しするための稲架(はさ)のてっぺんに登り、赤ん坊をさらって田畑を疾走し、村人の輪に入り戯れ、呆気にとられる子供らの眼前で跳ね、少女をかどかわすような行為に及んだ。今の時代ならば即、通報ものだろう。

だが、これらはすべて土方巽と、彼の才能に惚れ込んだ写真家・細江英公(ほそえ・えいこう)によるアートプロジェクトだった。

田代の里を奇襲した土方の姿はカメラに捉えられ、写真集『鎌鼬』として1969年に出版され、芸術選奨文部大臣賞を受賞した。「KAMAITACHIとTASHIRO」展の主催である慶應義塾大学アート・センターの森下隆氏によると、『鎌鼬』は国内外で今なお高い評価を得ている写真芸術だという。

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写真集『鎌鼬』より 撮影:細江英公


写真集『鎌鼬』より 撮影:細江英公


写真集『鎌鼬』より 撮影:細江英公

森下:現在、ロンドンテート・モダンで開催中の「カメラに向けたパフォーマンス(Performing for the Camera)」展(6月12日まで)や、ウィーン、スイス、パリ、シカゴを巡回する大規模な展覧会「PROVOKE」展でも、『鎌鼬』の写真が展示されています。

キュレーターももちろん「KAMAITACHI」を評価していますし、土方巽の舞踏、細江英公の写真はいずれも芸術として海外では高く評価されています。その『鎌鼬』が田代の里に戻ることにはとても意義がある。私としては鎌鼬美術館を通じて、土方巽の舞踏を多くの人に知ってほしいと願っています。


展示の主催、慶應義塾大学アート・センターで土方巽アーカイヴを担当する森下隆氏

■田代は県内でもレアな循環農業モデル地区

では鎌鼬美術館が、アートに突出した美術館なのかというとそうでもない。鎌鼬美術館には『鎌鼬』の写真のほか、茅葺き民家が今なお残る田代の四季の風景が展示されるという。

今回のゲストスピーカーとして招かれたのは、「鎌鼬」とは異なる道筋で田代に繋がっていった3人だ。「茅葺き民家」に魅せられたという秋田のテレビ局に勤める藤原峰さんが口火を切った。


左から藤原峰さん(秋田朝日放送カメラマン)、桜庭文男さん(写真家)、本間恵介さん(茅葺き職人)

藤原:普段は秋田朝日放送でカメラマンをやりながら、企画を提案して番組作りもしています。田代にたどり着いたのは7、8年前。県内の茅葺き民家に興味を抱いて映像を撮り続けていくうちに、「羽後町には86軒もの茅葺き民家が残っている」と聞いて訪れたのが最初です。

森下:今回の「KAMAITACHIとTASHIRO」展では、田代地区をドローンで上空から撮影する映像を作っていただきましたね。

藤原:「田代 循環と記憶」というタイトルをつけた16分の映像を出しています。田代地区は有機資源をリサイクルする「循環農業」が行われているんですが、その象徴となっているのが稲架(はさ)のある風景です。

稲架っていうのは、稲を天日干しするために田んぼに立てられた組み木のことで、天日で干した稲はおいしい米を作り、乾燥した稲ワラは牛の飼料になる。田代は肉牛の飼育も盛んなんです。さらに牛の排泄物を田んぼに戻せば堆肥になり、翌年の米づくりにも繋がる。まさに循環です。これをやっている地域は、秋田県内でも珍しい。やっぱり相当手間がかかるんです。


展示会場には秋田から運んできた栗の木で実際の稲架(はさ)を設置。イタチの剥製もお出迎え

当初、藤原さんにとっての関心事は、失われつつある農村風景や手仕事、そして茅葺き民家だったという。だが取材を通じて田代を訪れ、土方巽と『鎌鼬』について話を聞くうちに意識が変化していく。

藤原:『鎌鼬』で撮影された人、その現場を記憶している人たちに話を聞いたところ、当時のことを「すごく楽しかった」と語る人がほとんどだったんですね。それで取材を通じて調べていくうちに、晩年の土方さんは「東北」を非常に意識していたことも知りました。『鎌鼬』はそのきっかけだったんじゃないか、と知って興味を持ちました。

■すべてが土に還る、それが茅葺きのある風景の魅力

また、カメラマンの桜庭文男さんにとっては、土方巽は秋田工業高校電気科の先輩にあたる。だが舞踏家としての彼の名声はほとんど知らなかったという。桜庭さんもまた、茅葺き民家を通じて田代を知った一人だ。

桜庭:茅葺きの家はすべてが有機物でできあがっている。つまり、全部が土に還るんです。そういうところに思い入れが働いて、これまで30年近く茅葺き民家の撮影を続けてきました。

2008年に『茅の家 雪国の古民家』という写真集を出版したことで一区切りつけたつもりだったんですが、田代の方から「一人暮らしのおばあちゃんから茅葺きの家を譲られたが、どうすべきか困っている」と相談を受けて。それでいろいろとお世話をするようになったのです。

■茅葺き民家の器としての「田代という地域を残す」

現在、羽後町には40棟を超える茅葺き民家が残っている。どうすればこれらを後世に残せるのか。桜庭さんが行き着いた答えは、茅葺き民家の器としての「田代という地域を残す」ことだった。

桜庭:私が過去に撮影してきた古民家は、もうすでに9割がなくなっています。けれども田代という地区が残り続けるなら、茅葺きの家もきっと存続していける。そう思っています。

桜庭さんは「鎌鼬美術館はそのためのキーポイント」だと捉えているのだ。

■脱サラして秋田に移住。37歳の若き茅葺き職人

3人目のゲストスピーカー、本間恵介さんは1979年生まれの37歳。かつては福島で「普通のサラリーマン」をやっていた。30歳のとき、茅葺き屋根を作る“茅葺き職人”の道を志して秋田に移住した。

本間:秋田県で茅葺き職人の育成事業を行っていることを知り、興味を持って見学に行ったんです。そうしたら80代の職人の親方が、屋根の上ではつらつと楽しそうに仕事をしていた。その姿がかっこいいな、って。それまでの会社員生活で、そんな風に楽しそうに仕事をしている大人を見たことがなかったんですよ。もともと自然が好きだし、外でする仕事も好きだった。それで会社を辞めて、茅葺き職人として2年間の研修を受けさせていただきました。

現在はフリーの茅葺き職人として独立。茅葺師の親方と共に、各地の茅葺き民家の補修などを行っている。

本間:私は舞踏も写真もまったく詳しくないんですが、土方さんが稲架の上に乗っている写真は非常に象徴的であり、田代の風景も稲架によってその美しさが際立っていますよね。今回の展示で、実際の稲架を見て触れてもらえれば嬉しいです。


会場では田代ならではの風物詩だという稲架掛けの風景写真も展示

■消えゆく里山の記憶に“手触り”残したい

『鎌鼬』の写真、そして稲架と茅葺き屋根が残る風景を残すために、美術館を作りたい。それは取りも直さず、田代の人々の強い希望から始まったという。

森下:私どももお手伝いしていますが、基本的には地元の人々の意志で動き始めたプロジェクトです。そのために田代の有志が中心となって2016年4月にNPO法人「鎌鼬の会」が設立されました。
田代の大地主の邸宅だった旧長谷山邸の蔵を美術館として活用することも決まりましたが、やはり資金はまだ足りていない。何とかそれを今克服しようと動いている最中です。

桜庭:私としては循環農業で生産した米を全てNPOで買い取ってもらって、「鎌鼬の里」のブランド米として売り出していく仕組みを作りたいですね。そのあたりはNPOの人たちと私でちょっと意見が違うんですが、とにかく一棟でも多くの茅葺き民家を残すための方法を考えています。

■稲架のある風景は、“日本の原風景”

茅葺き民家や稲架のある風景を残したい。それは鎌鼬美術館プロジェクトに関わる全員に共通する思いだ。

藤原:今の秋田の街並みはもう絶滅状態です。人が減って駅前は寂れ、冷たいアスファルトだけが残されている。ただ農村に目を向けると、里山風景はまだギリギリ残っている。僕は取材する側ですから、そこで暮らしている方々に軽々しく「残したほうがいいですよ」とは言えなかった。それでも取材を重ねるにつれて、一周回って「やっぱり残したほうがいいんじゃないか」という気持ちが今は強くなってきています。

森下:実際に田代を訪れて稲架のある風景をこの目で見ると、陳腐な言い方ですが“日本の原風景”だと感じますね。あの風景を残すべきだし、残すことで得られるものは多いのでは、と私も思っています 。

藤原:稲架がなくなれば「鎌鼬」の記憶も薄れ、手触りのない記憶になってしまう。稲架があることで蘇るものって絶対にあるはずですから。その過程を記録していく。僕はそういうスタンスで鎌鼬美術館に関わっていきたいと思っています。

本間:そういった風景を残すためには、やっぱり若い世代に注目してもらうことが大事になる。20・30代の人たちには茅葺き屋根の家ってすごく新鮮なんですよ。「燻された匂いがいい」とか「家の中で囲炉裏で火を焚くなんて!」という驚きの声も聞きます。彼らに積極的に関わってもらうことで、情報発信や保存活動にはずみがつけばいいですね。私は職人として仕事をするのみですので、なるべく安く早く屋根を仕上げることを頑張りっていくつもりです。

森下:皆さんそれぞれ動機が異なりますが、田代の人たちも一人ひとり考えが違うんですね。私としてもこの美術館設立を「村おこし」の一環という風には考えていませんし、田代の人々としてもそういう意識はあまり強くないように見えます。

それよりはむしろ、誇りに思っている郷土の風景が写真に残されて世界に認められていることや、その貴重な写真に自分や知り合いが写り込んでいるという事実。その誇りを田代にずっと残すためにも美術館を作りたい。それが田代の人たちの気持ちだと私は感じています。

■なぜ美術館の館長をイタチにしたいのか

茅葺き民家を撮影してきたカメラマン、里山風景を記録するテレビ局員、茅葺屋根を作り続ける職人、土方巽の研究者、そして田代の地に暮らす人々。それぞれ異なる動機と理想がある。それらが組み合わさって相乗効果を生み出していけばいい。理想を実現するために、必ずしも一枚岩である必要はないのだと森下氏は語る。

森下:笑われるかもしれませんけど、私は美術館の館長はイタチにしようと提案しているんです。たとえば田代に10億円で新しい建物が作られると決まったとする。するといろんな人が集まってくる。館長にはきっと偉い人が天下りしてくるでしょう(笑)。けれどもこれからの時代の里の美術館は、村の人たちが自分たちの力で運営していくスタイルが一番いいんじゃないかと私は思っています。

従来のように美術館のハコの中身だけにこだわらなくてもいい。鎌鼬美術館に関していえば、ハコの外に広がる風景もまた「展示物」として見てほしいという。

森下:土方が踊った田んぼや稲架が今も残る田代の風景、それ自体もまた美術館の一部だと我々は考えています。

アート、茅葺き民家、稲架、循環農業、そして地元の人たちの誇り。すべてが重なる里のミュージアム像をめざして、「鎌鼬美術館」は開館準備中だ。

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鎌鼬美術館設立記念「KAMAITACHIとTASHIRO
日時/2016年6月1日(水)~2016年7月15日(金) 月曜~金曜 10:00〜17:00
場所/慶應義塾大学アート・スペース
費用/入場無料

関連企画 【「鎌鼬」の50年】(入場無料・申込不要)
2016年7月15日(金)18:30~20:00 慶應義塾大学三田キャンパス 東館6階 G-Sec
登壇者/細江英公(写真家)、チョイ・カファイ(アーティスト)

(取材・文 阿部花恵