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ロッテ、韓国の強制捜査で窮地に その知られざる政権癒着の歴史

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日本と韓国で製菓事業などを展開するロッテグループは、母体となる日本のロッテ製菓(1948年設立)から68年、1967年の韓国進出から49年になる。韓国ロッテは韓国の財閥序列の5位となり、目覚ましい成長をとげてきた。2015年は約81兆ウォン(約7兆300億円)の売上高を記録するなど、日本のロッテをはるかにしのぐ巨大財閥だ。しかし今、後継争いに加え、不正疑惑で検察の捜査を受けるなど危機に瀕している

韓国でのロッテの歴史は、歴代の政治権力との蜜月の歴史でもあった。ハフポスト韓国版に掲載された「ハンギョレ」の記事を紹介する。

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辛格浩(シン・キョクホ、日本名:重光武雄)ロッテ総括会長が2015年5月22日、ソウルの「ロッテワールドタワー」(第2ロッテワールド)工事現場を訪れ、進行状況について説明を聞いている。

1970年11月13日の午後。東京からソウル・金浦空港へ向かう飛行機に、ロッテ製菓の社長・辛格浩(シン・キョクホ、日本名:重光武雄)が乗っていた。隣には、駐日大使の李厚洛(イ・フラク)が座っていた。2人は飛行機から降りるとすぐ大統領府に直行した。大統領の朴正煕(パク・チョンヒ)が、2人を待っていた。

辛格浩が韓国に来る前日の11月12日、ソウル市は大規模な不正食品取り締まりの結果を発表した。ガムから鉄粉が検出されたロッテ製菓は3カ月間の製造停止処分を受けた。ロッテ製菓は日韓国交正常化の2年後の1967年、辛格浩が日本での成功をモデルに、韓国に設立したガム製造会社だった。短期間に韓国でも名を馳せたロッテが、この処分で企業イメージや売上に深刻な打撃を受けることは確実だった。辛格浩は朴正煕に会うや否や「日本市場を席巻し、東南アジアなどにも輸出しているのに、母国はどうしてこんな待遇をするのか」と不満を爆発させた。朴正熙は李厚洛に「調べて措置しろ」と指示した。

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辛格浩をなだめた朴正煕は提案した。ソウル中心部・小公洞の半島(パンド)ホテルを払い下げるから、新たに国際的なホテルを造って経営してほしいという要請だった。戦前、植民地時代の朝鮮半島を拠点に窒素肥料工場や水力発電所を経営した「日窒コンツェルン」のオーナー・野口遵が1938年に建てた半島ホテルは、解放後に韓国政府が買収して、当時の観光公社が運営していた。アメリカ軍政の責任者だったホッジ中将、初代大統領・李承晩(イ・スンマン)政権の実力者・李起鵬(イ・ギボン)、1960年の学生革命で李承晩政権が倒れた後、首相を務めた張勉(チャン・ミョン)らが愛用していた由緒あるホテルだった。

日本でガムやチョコレートなどの菓子を作り、売っていた辛格浩は、予想もしない提案に困惑した。彼は後日「青天の霹靂のような話に答えを躊躇していた。ところが、李氏がつついて「とにかくこの場では、はい、と答えなさい」というサインを送っていた。仕方なく『はい、分かりました』と答えた」と明かしている。しかし、1965年の日韓国交正常化以来、ロッテは製鉄業に進出しようと準備していたが、韓国政府が直接、浦項製鉄の経営に乗り出したので断念したことを考慮すると、ホテル事業だからといって参入できない理由がなかった。さらに、経済発展によって観光需要が拡大すると予想され、政権が完全に後押しするというのだから、ためらう理由もなかっただろう。

駐車場建設のため、産業銀行の跡地を売却

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ロッテホテル新館と百貨店のある左区画が、旧「産業銀行」本店があった場所。

この日の大統領府での会談は、製菓会社ロッテがホテルや流通業を抱える財閥に変貌する出発点だった。政権が提供した各種の特典のおかげだったことは言うまでもない。1974年6月、半島ホテルの入札は形式的な手続きにすぎなかった。ロッテが単独で応札して41億9800万ウォンで購入した。半島ホテルの隣にあった国立図書館も、朴正煕の売却指示で簡単に取得できた。中華料理店「雅叙園」など私有地の買い取りは、洞長(区役所の支所長に相当)が住民を説得するなど支援した。これに先立つ1973年10月のある日、金鍾泌(キム・ジョンピル)首相はソウル市長・梁鐸植(ヤン・テクシク)と都市計画局長ソン・ジョンモクを執務室に呼んで、ホテルロッテ建設にすべての支援を惜しまないよう指示し、ソン・ジョンモクは後に洞長を動員した。

辛格浩はホテルの建設にとどまらず、流通業(百貨店)にも進出した。ロッテは当初、小公洞のホテルの隣に9階建ての建物を建てると申告した。しかし、実際にできた建物は25階建てだった。最初は宿泊客のためのショッピングセンター(1、2階)だったが、完成直前に「デパート(1〜7階)と賃貸オフィス」に変わった。当時は都心への人口集中を抑制する政策が厳格に実施されていた時期で、当然、大規模な百貨店は許可されるはずがなかった。しかし、許可したい朴正熙の心中を読んだソウル市職員が、名称を「ショッピングセンター」に変えた。朴正煕は暗殺される数時間前の1979年10月26日午後、「ロッテショッピングセンター」を許可した。朴正煕は1979年4月、今のロッテホテル新館にあった産業銀行本館の跡地を、駐車場が不足しているロッテに売却させる「奇妙な」方針も許可した。

辛格浩は朴正煕だけでなく、1962年の軍事クーデターの主役だった金鍾泌とも親密だった。日韓国交正常化交渉の際、影の交渉代表だった金鍾泌らを助け、金鍾泌の右腕だった(金東煥(キム・ドンファン)を1973年から74年まで、ホテルロッテ社長として雇うこともした。

朴正煕政権の頃がロッテグループの形成期とするなら、全斗煥政権の時代は、財閥への跳躍期だった。1979年12月12日の粛軍クーデターと1980年5月18日の光州事件で民主化運動を武力鎮圧し、政権を掌握した全斗煥も、ロッテの後押しに積極的だった。最初の支援は、産業銀行の抵抗で遅れていた敷地をロッテに早く譲渡するよう圧力をかけた。ロッテは駐車場ではなくホテルの新館を建設し、客室やデパートの面積を大幅に増やした。ソウル中心部に「ロッテタウン」が完成したのだ。

ロッテワールドの土地を特権で購入直前、全斗煥氏に50億ウォン

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ソウル・ロッテワールド

ソン・ジョンモクは著書『ソウル都市計画物語』で、新軍部は当初、辛格浩を快く思わなかったが、「そんな雰囲気が明らかに変わったのは全斗煥と辛格浩が2人きりで面会した直後からだった」とし「確かなことは、全斗煥は国家保衛部議長のときから大統領の任期が満了するまで、常にロッテグループの事業を積極的に支援した」と述べている。また、「全斗煥政権の時代、大統領に最も近い企業を挙げろと言われれば、辛格浩が挙げられるほど、2人の関係は格別のものだった」と書いた。

1988年のソウル・オリンピックを控えオープンしたソウル南部・蚕室(チャムシル)の「ロッテワールド」は、全斗煥の全面支援で建設された。もともとこの土地は、新興財閥の栗山(ユルサン)が1979年に倒産した後、土建財閥・漢陽が所有していた。オリンピックの開催が1981年に決まった後、蚕室地区に大規模なレジャー施設を誘致しようとした全斗煥政権は、不渡り直前だった漢陽の代わりとなる大資本が必要だった。ロッテは1987年5月、公有地の石村湖(西湖)の開発権も手に入れた。ロッテは石村湖(西湖)を事実上、独占使用している。

全斗煥政権の終盤に第2ロッテワールドの土地約2万6000坪を買収する過程も、特恵だらけだった。ロッテワールドから道路を隔てて向かい側の一帯のこの土地は、位置や規模からいっても、ソウルに残された最後の金の卵だった。ソウル市が所有する遊休地だったが、大統領選挙直前の1987年12月12日、電撃的にロッテに払い下げられた。売却計画も準備も全くなかったが、大統領府が下した指針に沿ったものだった。1カ月前の87年11月、辛格浩は青瓦台に出向いて全斗煥とふたりきりで会談した。その後、全斗煥の裏金を巡る捜査で、この時に50億ウォンを直接渡したことが明らかになった。入札にはなぜかロッテだけが参加し、買い取り価格は時価の半分のわずか819億ウォンだった。

蚕室の土地を手に入れた辛格浩は、100階建て以上の建物を建てようと全力を傾けた。大統領が交代後、彼は大統領・盧泰愚に会い「100階建ての建物を造れるようにしてほしい」と頼んだのを皮切りに、政権が替わるたびに権力に直接または間接に依頼した。金泳三政権時は水面下の実力者だった次男・金賢哲(キム・ヒョンチョル)の義父をロッテ物産社長に据えた。第2ロッテワールド事業を推進するためだった。金泳三と長く親交のある辛格浩は、1990年の保守3党合同のとき、大統領府側の要請を受け、水面下で金泳三を説得した。盧武鉉政権では、第1付属室行政官(ヨ・テクス)に政権の実力者アン・ヒジョンにやれといって3億ウォンを渡したこともあった。しかし、蚕室地区の交通渋滞の問題や、近くにある軍事基地・城南飛行場(ソウル空港)の安全性の問題があり、盧泰愚、金泳三、金大中、盧武鉉政権ではすべて拒絶された。

そして辛格浩は、全斗煥以来20年ぶりに、2008年、相性がぴったりの政権に再び出会った。「ビジネスフレンドリー」を前面に打ち出した李明博大統領だ。李明博はソウル市長時代の2006年2月にも、第2ロッテワールドの建設計画案を最終承認した。しかし、空軍の反対を受けた盧武鉉政権はこの問題を行政調整協議に図り、ブレーキがかかった。

李明博氏にスイートルームを長期提供

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ロッテワールドタワー。2015年12月

2008年、大統領に就任した李明博はロッテの支援を惜しまなかった。2008年4月28日、大統領府で開いた「投資活性化と雇用創出のための官民合同会議」で、第2ロッテワールドの計画に懸念を示した国防長官イ・サンヒに「肯定的な方向で検討せよ」と指示した。続いて「日付を決め、それまでに解決できるように検討せよ」とまで圧力をかけた。その後、李明博はキム・ウンギ空軍参謀総長を更迭するなど空軍の反対論者を排除した後、最終的に2009年に承認した。この時、容積率と建ぺい率も上方修正され、112階建てから123階建てになった。

ロッテグループと李明博政権の蜜月度は歴代最高だった。ロッテは、李明博の高麗大学経営学科の友人であるチャン・ギョンジャクを2005年に迎え入れ、李明博が大統領に当選した直後、第2ロッテワールド事業を指揮するホテルロッテの総括社長に昇進させた。彼は事業承認後に退き、今は李明博が設立した「清渓財団」の幹事を務める。また、李明博は、2007年に大統領選挙の予備選挙の頃から、ロッテホテル31階のスイートルームに宿泊した。当時の事情をよく知る政界関係者は「李明博夫妻がロッテホテルのスイートルームで寝泊まりしていた」として「主要な報告や協議のために、側近たちがホテルに訪ねて行った」と述べた。大統領に当選後、就任を待つ間にも、李明博はここで組閣などをした。

ロッテは李明博政権の間に、系列企業の数が46から79に増えた。資産総額も49兆2000億ウォンから95兆8000億ウォンと倍近く増加した。李明博政権の最大の受益者は、ロッテだった。

朴槿恵政権になると、ロッテはソ・ジンセ(対外協力団長)とノ・ビョンヨン(ロッテ物産社長)を重用した。2人は朴政権の最大の実力者であるチェ・ギョンファンと同窓生(大邱高校)という点だ。ロッテは2013年に、大々的な税務調査にもかかわらず、追徴金は600億ウォンと比較的安価だった。当時の税務調査に続く検察の捜査で、オーナーのイ・ジェヒョンが拘束されたCJグループ(CJ)と比較すると明確だ。ロッテの場合、1996年の全斗煥元大統領に対する裏金事件の捜査で、1984年の10億ウォンなど、5回にわたって計150億ウォンの賄賂を辛格浩が大統領府で全斗煥に直接提供した事実が明るみに出るなど、数回のヤマ場があったが、これまでオーナーが処罰されたことはない。

辛格浩の40年の悲願となる超高層ビルの完成を目前にしたロッテグループは、試錬の時を迎えた。後継者をめぐる骨肉の争いに加え、オーナーが拘束されるかもしれない状況だ。創業70年を前に、ロッテは、歴史から教訓を得られるだろうか。

ハフポスト韓国版に掲載されたものを翻訳しました。

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