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ロヒンギャ難民の男性「僕たちも人間なんですよ」 人権改善訴える【スーチー氏来日】

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MAUNGDAW 2016
A displaced resident, member of the Myo ethnic group, carries her child at a Buddhist monastery in Kantharyar village at Maungdaw located in Rakhine State near the Bangladesh border on October 15, 2016.A Pakistani Taliban-trained militant leader was behind deadly attacks in the north of Myanmar's Rakhine state that have sparked a military crackdown and sent thousands of terrified residents fleeing the area, Myanmar's president said on October 14. / AFP / YE AUNG THU (Photo credit should r | YE AUNG THU via Getty Images
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ミャンマー新政権の事実上トップ、アウンサンスーチー国家顧問兼外相が、11月1日から日本を訪れている。ミャンマーでは政府が少数民族との和平問題を抱えているが、少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」の人たちは「不法移民」として扱われ国籍も与えられないなど迫害を受けており、国際人権団体や欧米メディアから批判の声が上がっている。

そのロヒンギャの人はスーチー氏の来日をどんな気持ちで受け止めているのだろうか。ハフポスト日本版は、スーチー氏が来日中の2日、埼玉県川越市でリサイクル業「株式会社アジアパシフィクトレーディング」を経営するロヒンギャ難民、ゾーミントゥさん(44)の元に足を運んだ。ゾーミントゥさんは「ミャンマーはまだまだ軍政で、民主政権になったというのは嘘だ」と述べ、人権状況の改善を求めた。

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取材に答えるゾーミントゥさん=埼玉県川越市

■ロヒンギャの数十人、治安部隊から性的暴行か

「今朝も朝から電話がいっぱい入ってきて仕事にならない。(ミャンマー西部)ラカインからもかかってくるんだよ」。ゾーミントゥさんは取材中、そう嘆いた。

ロヒンギャはラカイン州に多く住む。ゾーミントゥさんは、バングラデシュ国境に近い同州北部のマウンドー出身だ。

ラカイン州では、武装集団が10月9日、警察施設を襲撃する事件が発生した。それ以来、マウンドーを中心に治安部隊がロヒンギャの村々で「掃討作戦」を展開中だ。ロヒンギャへの「弾圧」とも指摘されている。

「軍隊が入ってきてから100人以上が死んだと聞く。いままでで一番ひどい状況だ」。ゾーミントゥさんは、地元の人たちから電話で直接聞いたり人権団体の報告を読んだりするなどして情報収集している。「二十歳前の従兄弟が軍に連れて行かれて13日に殺されたんです。弟の家も焼かれ、軍人が中にあった現金や金品を持っていった。みんなテント暮らし。弟はどこかへ逃げたのか、2週間連絡がつかない。軍が毎日やって来て探しているんですよ」と不安げな表情を見せた。

さらに最近では、治安部隊がロヒンギャの女性数十人に対してレイプなど性暴力を加えた疑惑が浮上している。「家に軍人が上がってきて銃を天井に向けてバンバンバンと打つと、みんなが怖がります。そして女の子を連れていくんです。人権を守ってほしい。心が痛い」と悲しがった。

ラカイン州では2012年、多数派の仏教徒ラカインとロヒンギャとの間で大規模な衝突が起きた。それ以来、軍や警察がロヒンギャの移動の自由を制限するなど締め付けを強化しており、ロヒンギャの多くは今も襲撃におびえながら避難民キャンプで生活しているという。

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「アジアパシフィクトレーディング」事務所前に立つゾーミントゥさん=埼玉県川越市

■スーチー氏の演説に毎週、足を運ぶ

ゾーミントゥさんは、マウンドーから動物学を学ぶため1994年に首都ヤンゴン(当時)にあるヤンゴン大学に進んだ。在学中、民主化運動指導者だったスーチー氏の演説を毎週末聞きに行き、軍事政権に対して民主化を求めるデモに加わり、スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)の人々とも活動した。そのため治安当局に何度も拘束された。命の危険を感じ、1998年に日本に向かった。

しかし、成田空港でビザが偽造だとばれたため入国拒否され、入管施設に1年間収容された。施設から出て2002年に難民認定された。豚肉やアルコールを口にしない敬虔なイスラム教徒だが、東京・六本木のクラブでウエイターとして働いた。「本当はお酒を扱う仕事をしてはいけないけど、暮らしのため仕方なかった」。住まいは渋谷。6畳ほどの部屋にロヒンギャの6人くらいで生活していたという。

2006年に群馬県館林市に移り住んだ。日本に暮らすロヒンギャは現在、約230人おり、館林にはその約9割の約200人が住んでいるとされる。ゾーミントゥさんは工場で働いた。

知人の日本人の助けを借り、現在の会社「アジアパシフィクトレーディング」を2009年に設立。その後、仕事は「まあまあ順調」という。ネパール人ら6人の従業員を抱えている。川越の同社敷地内では、回収した中古自転車がうず高くつまれていた。

住まいは12年、埼玉県桶川市に移した。故郷の父が11年に亡くなったため、12年に母を日本に呼び寄せた。10人兄弟だが、マウンドーのほかオーストラリアやバングラデシュ、タイにバラバラに暮らしている。桶川の家では現在、母のほか、ロヒンギャの妻と10歳、8歳。5歳の3人の息子と暮らす。小学生の息子は学校で使う日本語の方が上手で、ロヒンギャの言葉は「50パーセントくらい」とゾーミントゥさんは苦笑する。

かつて、会員約50人を抱える「在日ビルマロヒンギャ人協会」の会長も務めていた。日本でも母国の差別がそのまま影を落とし、在日ビルマ人が集う団体ではロヒンギャの参加が認められていない。共闘に抵抗を持つ人がいるからだという。協会の会員は自分の仕事に忙しくてロヒンギャの人権改善を求める人は多くないため、ゾーミントゥさんは現在、世界に散らばったロヒンギャの人たちのネットワークに加わり人権改善を求める活動をしている。

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日本記者クラブで記者会見をするアウンサンスーチー氏=11月4日、東京都千代田区

■「僕たちも人間なんですよ」

「スーチーは昔から尊敬し、権力を握ったらロヒンギャのこともよくしてくれるだろうと期待していた。でも、いまのところまだ何もしてくれていない。残念だ」。ゾーミントゥさんはそう語気を強めた。スーチー氏は多数派のビルマ族で、これまでロヒンギャ問題について積極的な発言は控えている。

スーチー氏の来日は2013年4月以来3年ぶりで、15年11月の総選挙を経て16年3月に国民民主連盟(NLD)主導の政権が発足してからは初となる。今回のスーチー氏来日にあたり、ロヒンギャを取り囲むひどい状況について直接スーチー氏に訴えたかったのだが、スーチー氏は在日ビルマ族の人たちとは顔を合わせたものの、実現はしなかった。その代わりに10月下旬、仲間らと日本の外務省に出向き、スーチー氏が来日した際に、日本政府からロヒンギャ問題の改善を求めるよう伝えてほしいと訴えた。

「日本政府は経済だけを考えている。人権問題は後回しだ」。ゾーミントゥさんは、これまでの報道を見てそう感じている。経済振興に力を入れ、日本の経済支援が極めて重要と位置付けているスーチー氏は2日、安倍晋三首相と東京・元赤坂の迎賓館で会談。首相はインフラ整備やエネルギー協力などとして、今後5年間で民間投資を含めて8000億円規模の支援をすると表明した。また、少数民族支援では5年間で400億円の支援を伝えた。

2011年から民主化が進んだミャンマー。「僕たちも人間なんですよ」と繰り返すゾーミントゥさんは「ミャンマーはまだまだ軍政で、民主政権になったというのは嘘だと思う。スーチーが言っても軍人はいままでやってきたことを変えようとしない。だから、人権を守るようにとミャンマー政府にもスーチーにも軍にも、日本からもっと言ってほしい。ミャンマーにとっては、アメリカやイギリスより日本の方が影響力を持っているだから」と訴えた。

スーチー氏は5日に日本から帰国する

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会社の作業場でネパール人従業員に話しかけるゾーミントゥさん


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ミャンマー総選挙(宇田有三さん撮影)
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